翠玉の章 5話 出会いと誤算3

「腕…痛いよ…」


目に涙を溜めて、上目遣いで女の武器を全面に押し出し、出来る限りしおらしく訴えてみた。


「すみません、強くしてしまいましたね」

思わず謝って、掴む力を緩めてくれた。


小悪党の私に容赦するなんて、とんだお人よしである。


(チャンス!)


「!」


力いっぱいうでを振り解くように払ったため、かなり緩まっていたカナタの拘束は外れたので

とにかくこの場から逃れようと身を翻し


「ごめんなさい!」


財布を投げるように返し、走り出す。

とにかくすぐ先の大通りで人ごみに紛れて逃げ切りたい!


火事場の馬鹿力よろしく、命掛けの走り出しができた…はずだったんだけど。


「あまり舐めないでいただきたい。」


冷ややかな声に空気が冷える。


「ーーーー全く。とんだじゃじゃ馬ですね」


リーチも違うし、体力も違う。

不意打ちくらいで太刀打ちできる相手ではなかった。


「手荒なことはしたくないのですが」


ガシッ


すぐに伸ばされた手は、私を背後から抱き抱えるように捕獲する。


「きゃあっ!」

「可愛い顔で、随分振り回してくれますね?悪い子だ」

「声…近い!!」


彼方に後ろから強引に抱き止められ、そのまま彼の腕の中に拘束される。


「近いですか?…そうですね、

こうでもしないとあなたは…逃げるだろう?」


カナタの声が直接耳朶に注がれる。

甘い響きを孕んだ声が脳にダイレクトに響いて、恥ずかしさに頬が熱くなる。


「耳元で話さないで~!」

「ふふ」


表情は見えないが抱きしめる腕の力が強くなる。絶対わざとだ。


私の耳にカナタの吐息がかかる。唇の振動まで伝わるくらいの距離。


首元に触れる柔らかい髪の毛の感触。


この手のことには免疫の薄い私の心臓はもう持たない…


「せっかく優しく話をしているのに。あなたは痛い方がお好みか?

人の話を聞かないで逃げようとするなんて、悪い子ですね」


「だから近い~!!恥ずかしい!」


「真っ赤になって、可愛いですね。

…もしかして、何かされるって期待して?」


「!?」


茹蛸のようになっている私を揶揄うように、煽ってくるカナタ。


「するかっ!!離せ変態~!!」

「変態!?」


渾身の力で抵抗するが、その腕の力は弛まず、びくともしない。

私の罵倒に気を悪くしたのか、目が座っている。


「…変態とは心外ですね。口が悪い子にはお仕置きが必要でしょうか?」


「えっ」

なんだかんだでいつの間にか壁際に追い詰められていた。


そのまま強引に体を反転され


壁とカナタに挟まれる形で物理的に追いつめられている。


(逃げられない…)

向かい合わせで吐息のかかる距離まで迫られる。


心の奥まで見透かしそうな視線から

少しでも逃れたく視線は逸らす。


「お望み通り、離してさしあげましょうか。私は紳士ですから、ね」


「どこが!?」

「どこも触れてないでしょう?」

「そーいう問題じゃない!変態紳士!」


結局身動き取れないように塞がれて、ただ恥ずかしい目に遭わされ、なにがしたいんだこの男は。


自分の置かれた状況を横に置き勢いで言葉を返していたら、

揶揄うようににっこり、微笑みかけてくるカナタ。


「減らないその口、塞ぎましょうか?」


緑の瞳が意味ありげに細められ、カナタの顔が近づいてくる…


(キスされる!?)


まだ誰にも許したことないのに!

生暖かい、吐息が顔にかかって…


(こんな形で奪われるなんて…!)

私はぎゅっ、と固く目を閉じる


ガブッ。


「~~~~~ぃいったい!!!鼻!鼻噛んだ!!」


「ふふん、お仕置き?」


「~~~~~」

なんてやつだ。そこそこしっかり噛みやがった。


ジンジン痛む鼻を抑え、睨み上げた。


「ふふっ、良い顔ですね?」

してやったり、いたずらが成功した子供のようにだいぶ無邪気に笑った。


「私がもっとタチが悪い男だったら、これくらいではすまないですよ、お嬢さん」


(なんだかよくわからない人に捕まってしまったみたいだ)


(…どうしよう)


この先を思うと不安しか無いのだが、この妙な男のペースに

私はなすすべもなく巻き込まれていくのだった。

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