翠玉の章 4話 出会いと誤算2

「……?」


迂闊な気配に視線を向けたカナタと、

私の視線が交わった。


(目が合った!やばい!)


「…!玻璃はりの花!!」


何事にも動じなさげに見えた切れ長の瞳が大きく開いた。

必要以上に驚いて見えたのは気のせいか。


「まさか…」


ぶつかった視線をすぐに逸らし、私は平静を装いながらもそのまま早足で逃げ切ろうとする。


(一刻も早く離れなきゃ!)


「ん?…あっ!!」


ボトムの尻ポケットを確認し、財布がないことに気がついたカナタは声を上げる。


「カナタ?」


「スられたな。……丁度いい」


(バレた!!)


背後から私を呼び止める声聞こえ、

その周囲からどよめきの声が上がる。


(どうしよう、どうしよう、どうしよう!)


迂闊だった。見るんじゃなかった。

完全に私の失態だ。


人混みをかき分けるように、彼は私を追いかけてくる。


「待ちなさい!!」


(待つわけないでしょ~!)


後ろを振り返ってみる。


(まだ間合いはあるから、このままなら何とか逃げ切れる!


(こんなところで捕まるわけにはいかない!)


私は目についた横道にとりあえず逃げ込むのだった。


•••••


「はぁっ…はあ…」


細い道を全速力で駆け抜ける。

足元が悪かろうが構わずとにかく走って走って、走った。


枝道をくねくね、必死で撒こうとマニアックな道を選んでいるのに、一向に彼は諦めない。


いつもだったら私の勝ちだったのに。


(捕まったら、どうなっちゃうんだろう)

衛兵に突き出されて、それから。

初犯だけど鞭打ちか、腕切りか。


(怖い…今更だけど。)


徐々に差を詰められていくことに、私の背筋に冷たいものが伝う。


「待ってください!」


息を切らしながらも、彼も必死だ。

スピードは落とさない。


「ほんっとしつこい!!!」


どうしてついてこれるのだろう。

体力の差はあるかもしれないけど、地の利は私にあると思うのだけど。


この街に入った時に入念に下調べをしているから、この街の道情報に詳しいはずだ。


(土地勘のない人ならまずついてこれないのに…色々見誤ったかな)


地元の人間ではないかと思ったが、見当違いだったのかもしれない。


こんなヘマをしたことはなかったのに。


あの人の瞳。

あの緑に調子を崩された。


(あぁあああ~!一生の不覚!!!)


しばらく脇目を振らずに必死に走りぬける。

そろそろ足も限界に近く、祈る様な気持ちで後ろを振り返ったところ…


彼の姿は見えなくなっていた。


(やった!撒いた!?)

ほっとすると張り詰めていたものが切れて、疲れも一気に押し寄せてきた。


呼吸を整え、道端により足を休める。


(危なかった~~!美男子イケメンなんて狙うもんじゃないな)


たまたまの不運と不注意が重なった結果だが、汚いおっさん相手ならきっとこうはなっていない…はず。


自分が思っているよりも浮き足だったのかもしれない…

迂闊さに反省しながら、ノロノロ歩き出す。


(綺麗だった、な。あの人の瞳)


一瞬だったのに、時が止まったかと思った。

吸い込まれていくみたいに。

そして、心の奥がぎゅっとする様な感覚はいかがしたものか。


(あの夢のせいか…)


もう少し歩けば大きな通りにでる。

ここは程よく肥大な地方都市。

そこまでいけば群衆に紛れ、きっともう会うことはないだろう。


(とはいえ、もうそろそろ潮時かな。足ついたら困るし。ケチついた街で仕事はできないよね)


仕事もしやすかったし、港もあるのでさまざまなものや人に溢れているこの街のことは結構気に入っていたが、


(またこんな目にあったらと思うと…怖い。)



「へぇ…どちらへ行かれるんですか?」

「それが決まってたら苦労ないよ…」

「…えっ!?!?」


何が起こったの?

何であの人がここにいるの?


トボトボ歩く私の横を歩調を合わせてニコニコと話しかけてくるのは、


赤みがかった栗色の髪に翠玉エメラルドの瞳を持つ…


逃げ切ったはずの彼だ。


「何でーーーーーっ!?さっき撒いたはずだよね?」


「ここの枝道、繋がっていることはご存知ですか?お嬢さん」


凶悪なまでの良い笑顔で、すぐ先にある道とも言えない様な細い細い枝道を指さした。


「ここ!?道じゃないよね?」

「繋がっていればみんな道ですね」

「通れる…か?」


薄っぺらくなれる魔法でも習得してるんだろうか。


「私の方が一枚上手のようですね?」

唇の端を上げる様に笑う。


「…えーーっと。では、私は急ぐのでここで」


平然を装い隙を見て逃げ出そうとした私の手首をガッチリ掴まれる。


「!?」


「私から逃げられるとお思いですか?」


見た目よりも無骨なその手は、私の全力の抵抗もものともしない。

恐怖に肌が粟立つ。


整った顔だけに、終始微笑んでいるだけで邪悪感を一層際立たせていた。


「…衛兵に突き出すの?」


「そうですね…どうしましょうか?」

私の怯えた様子に、愉快そうに双眸が細められる。


これはもう…詰んだかも。

どうしたらいいか、心の中は大変なことになっている私は突破口を探すが


「…ごめんなさい。盗ったものは返す。

だからお願い…見逃してください…」


謝る。これしかないだろう。


私は自由の効く方の手で盗った財布を彼に差し出した。

ここまできたら力技では逃げられないだろう。


不本意ながら私の命運は彼に握られている。

何とか常に訴えて、解放してもらえないものか…


「お嬢さん、あなたのお名前は?」

「え?」


一縷の望みにかけていた私に断罪する声がかかると思っていたのに拍子抜けた。


手の内にある重みのある財布も後回しとは…


「失礼。レディには自分から名乗るのが礼儀ですね」


「私の名はカナタ。カナタ・イグニードと申します。」


「カナタ…」


丁寧な物腰で名乗るカナタ。

彼の名を知り、何かが引っ掛かる様な気がした。


「はい。あなたは?」


カナタの表情に笑顔が消え、

深緑の双眸がまっすぐ私を射抜いていた。


(あ、これダメなやつ)


怖い。唇が、全身が小刻みに震え出す。

蛇に睨まれた蛙の気持ちが、いまほどわかることはないだろう。


泣きたくないのに涙が込み上げてくるのを必死に抑える。


「……」


問いかけに答えられずにいる私に痺れを切らしたのか、腕を掴む力が強くなった。


「痛っ…」

「っ!」


反射的に出た私の言葉で、少し緩まった。


「すみません、怖がらせたいわけではないのですが」


カナタの空いている方の手で、ややぎこちなく私の頭を撫でる。


その大きな掌は、初対面かつこんな状況なのに震えをとめ、不思議と心を落ち着けてくれた。


「私の名前は…ハ」


うっかり本名を名乗りそうになったが、そこは避けた方が賢明だろう。

何とか踏みとどまる。


「ハル。私の名はハル」


「ハル…ね」


視線を逸らし、あからさまに納得がいっていない様な表情を浮かべるカナタ。


「1つお聞きしますが、あなたはいつもこの様なことを?」


「…」


黙って唇をかみ、俯いた。

沈黙は肯定ととられるだろうが、口にしたくはなかった。


「…ずっと、こんな生活を…?」


カナタの呟きは小さくて、私には聞こえなかったが、

彼の表情が苦しそうに歪む。


(怯えている場合じゃない。何とか切り抜けなきゃ)


1人で動いているのだから、いつかはこんな目にあうことも覚悟しなくてはならないのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る