最終話 狐と夢

月に一度、この屋敷には天使がやって来る。

その天使はとても小さく、とても弱い。

だが、多くの人に愛されその愛を一身に受け止めている。

かく言いう私もその天使を愛している者の一人だ。

…というか、愛さない方がおかしい。


「ふふふ…まだまだほっぺはぷにぷにだねぇ」

「ええ。とても小さくて甘え上手で…ですが気を付けてくださいね?今見た目で既に歯が生えていますから」

「分かってるよ。さっき噛まれたし」

「どうやら一足遅かったみたいですね」


妖狐族の赤ん坊はすごいものだ。

生後半年で既に肉を噛み千切れるような鋭く丈夫な牙が生えているのだから。

そして、さっき噛まれたけど普通に痛かった。


「やはりここに居ましたか、フウカ様」

「なんですばあや?我が子を愛して側にいてやることがそんなに悪い事ですか?」

「…転移の術まで使って鍛錬から逃げたのはいつじゃったかの?我がボケておらぬのなら昨日の話じゃとお思うのじゃが…」

「…残念です。もう少しユリカを愛でたかったのです」

「あとでも沢山出来ましょう。行きますぞフウカ様」


鍛錬から逃げてきたフウカさんは少し時間をおいてからやってきた木仙に捕まって連れていかれる。

名残惜しそうに私の腕の中で笑う赤ん坊を撫でると、嫌々去っていった。

それを見てすごく悲しそうな表情を見せ、私に抱き着いてくる赤ん坊。


「ユリカは本当にフウカさんが好きね。あなたから見て、私とフウカさん。どっちがユリカに好かれてると思う?」

「それはもちろんサユリ様かと…」

「ふふっ。流石は木仙の弟子ね。良い目をしてる」


私は腕の中の赤ん坊――私とフウカさんの娘ユリカを愛でながら世話係の木仙の弟子と話す。

『ユリカ』本名は『秋百合華姫あきゆりのはなひめ』で、フウカ様の本名から秋と華を、漢字は違うけど私の名前からユリを持ってきてつけられた名前だ。

私とフウカさんの娘だって一発でわかるように、みんなユリカユリカって呼ぶ。

サユリとフウカでユリカだ。

分かりやすいでしょ?


「木仙はこの子の教育の事で何か言ってる?」

「どんな花よりも優しく、どんな蝶よりも丁寧に育てろ。しかし甘やかしすぎるなと」

「基本的に甘くて優しい方針は変えないんだね。でも、甘やかしすぎるなと言ってる当たり、フウカさんの反省はしてそうだね」


蝶よ花よと甘やかされて育ったフウカさんはとんだ拗らせお転婆お姫様になった。

自由気ままで自分がやりたい事最優先。

鍛錬だって平気でさぼるし、すぐにこうやってさっきみたいに逃げ出す。

一度やると言ったら周りが止めても聞かず、たとえ相手が何であれ喧嘩を吹っ掛ける。

そんなお姫様には育たないように、甘やかしつつ適度に叱る。

そんな理想的な教育を目指してるわけだ。


「…まあ無理して塩梅を考える必要はないよ。多少厳し目に育てる代わりに、頻繁にこっちに遊びに連れて来な。そうしたら私が甘やかすから」

「ですが…」

「木仙に怒られるって?『フウカ様にそうするよう命令されて…』とか言っておけばいいよ。あの人ならそれくらい言いそうだから納得してくれるはず」

「………」

「どうしたの?私の後ろに何かい、る…」


何故か私の後ろを凝視する弟子を見て振り返ると…笑顔で仁王立ちをしている木仙が…


「どうやら明日の鍛錬は頑張りたいようですな」

「い、いやだなぁ〜?冗談だよ冗談」

「娘の世話を口実に鍛錬から逃げているサユリ様にそれを言われても…納得できませんな?」


ガッツリバレててガッツリ怒られてる。

くどくど文句を言われるのかと思ったけど、何故かチラチラとユリカを見て怒るかどうか迷う木仙。

これは好機とユリカを差し出してみる。

すると木仙は少し嫌そうにしながらもユリカを受け取り、慣れた手つきであやし始める。


「…ふふっ、400年前を思い出すの。フウカ様もこのように純粋で愛らしかったのじゃぞ?」

「ふ〜ん?で、今は?」

「何をしても我を困らせる厄介者に育ったわい。じゃが、それでも見捨てる気になれんのは何故じゃろうな」

「それはきっと、今でもフウカさんの事を愛らしいと思ってるからじゃない?」


木仙からユリカを取り返す。

ユリカは木仙にそれほど懐いていないから、凄く挙動不審で怖がっていた。

私が抱っこすると、すぐに抱きついてゆっくりし始める。

どこか眠たそうに見えるのは私の気の所為なのか、ユリカが眠たいだけなのか。


「ユリカをお昼寝させた?」

「いえ。本日はまだでございます」

「なら私が寝かしつける。よしよし、よ~くお眠り」


優しくそう問いかけながらゆっくりと体を左右に揺らす。

それだけで疲れていたのかユリカは眠ってしまう。

私の腕の中で気持ちよさそうにない眠るユリカ。

その可愛さは私の知る言葉では表しようがない。

生みの母で、乳離するまでずっと一緒だっただけあって私に抱っこされると落ち着くユリカ。

口を半開きにしてよだれを垂らしながら寝るユリカを見ているといつの間にか時間が経ってフウカさんが帰ってきた。

そして、フウカさんにユリカを取られてしまう。


「もう終わったの?」

「ええ。ばあやが『また明日でもいい』と早めに切り上げてくれたので」

「ふぅ〜ん?」


木仙の方を見ると、ニコニコとあまり見ない緩んだ笑みを見せながら私達を見ている。

…400年可愛がってきた娘のような存在のフウカさんの子供。

孫を甘やかすおばあちゃんかな?


「可愛いですね〜。抱っこしている人が変わったのに、全く起きる気配がありませんよ?」

「それだけ安心して寝られてるんだよ。口の中に指を入れてみて。はむはむって食べようとしてくるんだよ?」

「わぁ!なんて愛らし――痛たたたた!?」


指を食べてはむはむするユリカを見せようとしたら、歯を突き立てられて普通に噛まれたフウカさん。

私の時ははむはむと指を甘噛みされ、たまに吸ってくるくらいだったんだけどなぁ?


「子どもは臭いで親を判断するからの。サユリ様がやった時は乳が飲めると勘違いして噛みはしなかったのじゃろうな」

「それはつまり…私は親ではないと言うことですか?ばあや」

「フウカ様がユリカ様に乳を与えている状況を、我は見たことがありませんな」

「私がすると噛まれますからね。…神通力で乳が出るようにしても、ユリカに噛まれたのはそういう…」


そう言えば、前にフウカさんがユリカに乳をあげようとしてた事あったね。

フウカさんの豊かなお胸に噛み跡が残るくらいしっかり噛まれてたけど。


「全く。ダメじゃないですか?ユリカ」

「う、ぁぁぁぁぁぁーー!!!」

「っ!?な、泣かせてしまいました!?」

「あ〜あ。おいでユリカ。フウカお母さんは怖くて困るね〜」


軽く叱ったら、目を覚ましたユリカが泣き始めた。

私がユリカをフウカさんの腕から取り上げると、ユリカは泣き止んで私の服を脱がそうとしてくる。

…もしかして、お乳が飲みたいの?


「もう乳離した後なんだけどなぁ…」

「いいじゃないですか。ユリカの好きにさせてあげれば」

「…なんか拗ねてない?」

「拗ねてません!ぷんぷん!」


確実に拗ねてるフウカさん。

とりあえず面倒くさい事になってるフウカさんは後回しにするとして、一応服を脱いで出産を気に前よりも大きくなった胸を露出させる。

するとユリカは一目散に吸い付いてきた。

…もう乳は出ないけどね?


「妖狐族って乳離が速いんだよね?」

「ああ。じゃが、それでもこのくらいの子供はまだまだ母乳が忘れられない頃。もう出ない乳を求めて泣くのはよくある事じゃ」

「へぇ〜?じゃあ弟子も苦労してるんじゃないの?」

「その時は神通力でサユリ様の臭いを模倣して、私の乳房を吸わせています。あと、弟子ではなく私は――」

「はいはい緋炎だったね。でも、あんまり馴染みがないんだよね」


な〜んか弟子の名前を覚えられないと言うか…馴染みがないんだよね。

まあこの人もかなりの役職の妖狐族って事は知ってる。

木仙曰く、この国で2番目に強い『火』系統の妖狐族らしい。

ちなみに一番強いのはこれまた木仙の弟子の火仙と言う男性だそう。

察しのいい人なら分かる通り、他にも『土仙』『金仙』『水仙』と呼ばれる重役がいて、みんな木仙の弟子。

…そう考えると木仙ってやっぱ凄いね。


「ユリカを見ていると、私も乳が欲しくてばあやに甘えていた時期があるのかと不安になってきます…」

「もちろんあったぞ。あの頃のフウカ様は今のユリカ様のように愛らしかったものじゃ」

「うぅ…恥ずかしい」


自分の恥ずかしい過去を知って顔を赤くするフウカさん。

あんまりフウカさんを傷付けないように静かに笑う。

すると、ユリカが乳を吸おうとするのを諦めて私の腕の中から出ようと暴れ始めた。


「あ〜う〜!」

「どうしたの?木仙の所にいきたいの?」


木仙の方を見て手を伸ばしているのを見るに、何やら木仙に用事があるみたい。

ユリカを木仙に渡すと、すぐに髪の毛を引っ張り始めた。


「くっ…!この姫様はすぐに我の髪を…!」

「何故か引っ張りたがるよね、木仙の髪」

「赤ん坊にしか分からない何かがあるんですよ、きっと。それよりもサユリさん。今晩は…」

「そうだね。…何度も言うけど2人目は作らないよ?」

「分かっていますよ。作るとしてもユリカが大きくなって、赤子が恋しくなったころです」

「いや、もう良いって…」


今晩もお誘いを受けた。

ユリカを育て上げたらまた子供が欲しいと言うフウカさんだけど…私はもう嫌だ。

と言うか、そんなポンポン産んで良いものじゃないでしょ子供って。


キャッ!キャッ!と嬉しそうに髪を引っ張るユリカを見ていると、産んで良かったと思うけど…もうあんな思いはしたくないって気持ちもある。

何より…


「愛は子供の数じゃないよ。子供が1人でも2人でも3人でも。例え子供が居なくても私の愛は変わらない」

「ふふっ、サユリさんらしい考えですね。ですが…悪くないと思います。私だって、サユリさんへの愛は変わりませんよ」


髪だけでなく尻尾や耳まで引っ張られている木仙を横に私とフウカさんはイチャつく。

いつの間にか緋炎が木仙の隣に移動してユリカの世話をしていたけれど…それでも木仙の髪を引っ張るのはやめない。

そんな愛らしい娘を、これからもフウカさんと一緒に育てていくんだ。

例えやる事が少なくてもね?


それに、やることが無いならフウカさんが居る。

始めて出会った時はこんな事になるなんて全く想像できなかったけど…私は今の暮らしが一番だと思う。

そして私は…夢のようで夢でないこの時間が、ずっと続くことを密かに祈るのだった。






END

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