第30話 人間と天界

沙友理は少し離れた所にある別室で隔離される事になり、両親である俺達と知り合いの住職の3人で話し合う事になった。


「それで…沙友理はどうなるんだ?」

「どう、と言ってもね……はっきり言ってしまうと『諦めてくれ』としか…」


『諦めてくれ』

それはつまり…あの化け物沙友理を渡せと…?


「君らには分からないだろうね。彼女が魅入られた存在が、どう言うものか」

「……あれは一体、なんなのですか?」


妻が住職に質問をする。

あの化け物の正体がなんなのかは、俺も気になる所だ。

狐とか言ってたが…まさか狐の嫁入りと言うやつなのか?


「まず、あれはおそらく狐だ。妖狐と呼ばれる…まあ狐の妖怪だね」

「狐の妖怪か…玉藻前とか、そう言った類の狐なのか?」


狐の妖怪と言えば玉藻前。

傾国の美女に化けたりだとか、殺生石だとか。

色々な伝説がある大妖怪だ。


しかし、住職は首を横に振る。


「あれはそう言うのは別の妖怪だろう。まず話をする上で幾つか前提がある」

「聞かせてくれ」

「1つ目は、あれはおそらく霊界の妖怪だと言うこと。2つ目は私達がよく聞く妖怪と、霊界の妖怪は少し違うと言うこと。まずはこれだけで良いかな」


霊界…?

よくわからない話になってきたな…


「まずはじめに霊界についてだが…霊界は私達の済む世界と瓜二つの、妖怪達が住まう世界。ここでは人間が社会を築いているように、霊界では妖怪達が社会を築いている」

「なるほど…」

「そして、あの狐はおそらく霊界の狐だ。これが厄介なのだが…まあ後回しにしよう。もう一つの妖怪の違いについてだが、簡単に例えるなら日本生まれのアメリカ人とアメリカ生まれのアメリカ人。どちらも私達から見ればアメリカ人だが…少し違う」


…難しいが、何となく理解できる。

つまり、今沙友理を誑かしている狐は、霊界と呼ばれる妖怪達の世界に居る狐で、私達の知る狐の妖怪とは若干違うと…

しかし何故それを話す必要があるのか分からない。

…霊界の妖怪には手を出してはいけない決まりでもあるのか?


「私達のよく知る妖怪はその殆どがこの世界、人間の世界で生まれた妖怪だ。だが、妖怪の世界で生まれた妖怪は私達の知る妖怪よりも遥かに強い」

「…手が出せないと?」

「そんな次元の話ではない。仮に彼女に婚姻の証とか言う契約を結ばせた妖怪がこの世界にやって来れば、止められる人間など存在しない」

「それは…」

「強いて言うならお釈迦様やイエス・キリストのような、大宗教の開祖レベルの…いわゆる聖人と呼ばれる類の人間のみ。そんな怪物に彼女は魅入られていて…彼女自身も本気で恋心を抱いている。暗示や洗脳の類で操られていない事は間違いない」


とんだ化け物に魅入らたものだ…

しかも、そんな化け物相手に沙友理は本気で恋心を…?

あの子はどんな状況でも顔色一つ変えず冷静に対応できる、ある意味怖いとも言える自慢の娘だったが…まさかこんな事にまで……


「知人のツテを使ってなんとか出来ないか動いてみよう。しかし、期待はしないでほしい」

「どうにもならないのか…?」

「ならない。仮に引き剥がす事に成功したとしても、契約がある。アレはどう頑張っても無理だと言っておこう」


契約…解除しようとすれば一族郎党道連れにしなければならないとか言う、とんでもない契約の事か。

婚姻の証…一度結んだら解除は出来ない。

妖怪にも結婚と言う概念はあり、それをするのは人間の結婚よりも重要なものみたいだ。

……仮に契約は放置するとして、その場合沙友理は人間と結婚出来るのか…?


「詳しい話は彼女から状況の説明を受けてからにしよう。娘さんの面倒はコチラで見る。今日は帰って休みなさい」

「……分かった」


…俺達がここに居ても出来ることはない。

住職が帰れと言うのなら、帰るしかない。

血の気を感じない白い顔をした妻を立たせ、車に戻った。













奥の部屋の前にやって来ると、部屋から会話が聞こえてきた。

…あの部屋には預かっている女性しか居ないはず。

それに、あの部屋には妖や怪異の類が入れないような結界が施されている。

それを無視して話すことができると言うことは…間違いなく霊界の妖怪。


「入ってもいいかな?」


扉越しに声を掛けると、話し声が止まる。


「どうぞ」


そして、入室を許可してくれた。

…この先は地獄のようなもの。

覚悟しなければ、死んでしまうかもしれない。

そんな思いを喉の奥に押し込み、襖を開ける。


…開けなければよかったと後悔した。


「なる、ほど…またこれは…珍しい」


なんとか平静を取り繕い、何処かカタコトな口調で最大限“それら”の機嫌を損なわぬように話す。

1人しか居ないはずの部屋には…3人の――いや、1人と2柱と言うべき数の人と妖怪が居た。


「不思議な感覚、だ…目の前に、これほど絶大な力を持つ大妖怪が居るというのに…」


目の前に居るのは間違いなく人知を超えた力を持つ大妖怪だ。

しかし、その強大な力をまるで感じない。

目を合わせるだけで、心臓を鷲摑みにされているような感覚に陥るのに、気配は一般人のそれ。


「何も感じないか。まあそうじゃろうな。天界の者を少しでも欺くために力を抑えておるからの」

「この状態では神通力の一つもまともに使えない。まったく、愛しの人に会うだけで一苦労ですよ」


この若い人型の狐が契約を結んだ妖怪か…

交渉は…するだけ無駄。

この者たちでもそう簡単には解けぬ契約を使っているはず。

交渉は相手を不快にさせるだけ。

ならするべきことは…


「これから私はどうするべきか…何もしない方がよろしいでしょうか?」


自分のためという意味もある。

それ以上に、この化け物が外へ出て暴れないようにするため。

少しでも穏便に事を済ませるために…あの2人には悪いが、この子には犠牲になってもらいたい。


「なにやらよからぬことを考えておるようじゃな。我らに隠し事が出来ると思うたか?」

「いえ…そのようなつもりは…」

「まあよい。質問に答えるなら、『そうしろ』と言っておこう。我らとて騒ぎを起こしたいわけではないからな」


…話の分かる相手ではあるらしい。

お互い穏便に事が済むならそれでいいと…

なら、あの二人には私の方から――


『やはり来ていたか。忌々しい獣よ』


突然天井から声が聞こえてきた。

思わず顔をあげるが、そこには誰もいない。


『結界が破られ、こちらへ来ているのなら人間の娘のところだと思ったが…寺に隠されていたとはな。道理で気づけぬわけだ』

「この声は…?」

「天界…もう勘づきおったか」


天界…そうか、霊界の妖怪が無断でこの世界に来るなどあってはならない事。

すぐに天の使いが動いてくれたか!


『寺の者よ。その者たちはこちらで預かろう。よくぞ獣をとどめた』

「この気配って…」

「ああ。備えてくだされ、サユリ様」


突然畳が発光したかと思えば、その光に一人と二柱が包み込まれ、姿が消えた。

その後は、まさに嵐が去ったような静けさだった。

しかし、すぐに彼女の両親への説明をしなければならない事に思い至り、結局頭を抱える羽目になった。

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