第33話 ジル

 私が“ジル”としてルーデンドルフ家に仕えてからもう何年になるだろう。


 昔と比べてルイス様は変わられた。

 昔のルイス様は、はっきり言って屑だった。

 わがままで、性格が悪く、意地汚い。

 子供相手に向ける感情としては良くないが、はっきり言えば最悪の子供だと思っていた。

 きっと将来は傲慢な悪徳貴族になるんだろうなと容易に想像できた。


 私は、ルイス様が今後苦労していくだろうと思い、彼を守るために強くなろうと努力した。

 幸い才能があって、重力魔術を使えるようになった私はルイス様を守るには十分な腕前がある。


 でも、ある日からルイス様は変わられた。

 わがままは減り、性格も優しくなった。

 時折私の事をイヤな目で見て来るが、そんなものご愛嬌だろう。


 クオン様と出会ってからは、更に変わられた。

 今では、十分に立派な騎士になれる器であると思う。


 今日のルイス様は特にご立派だった。

 あの方が帰ってきた時のために、私は準備をすべきだろう。

 とりあえず、温かいご飯を用意しよう。

 

「お姉さんかわいいね、お名前は? その服、どこかのお店の衣装?」

 

 市場で買い物をしてると、軽薄そうな男が話しかけて来る。

 無視してやりすごそう。

 

「ねえねえ、無視しないでよ!」


 睨みつけることすらしない。

 徹底的に存在を無視する。

 

「あ! おーい! ジルさーん!」


 ……間の悪い。

 スオウが私を見て手を振りながら走って来る。

 

「こんにちは、スオウ」

「こんにちは! って、その人は?」

「知りません、他人です」


 未だまとわりつく若い男にスオウが興味を示す。

 はぁ……。

 こうなっては、無視を貫くわけには行かないだろう。


「ジルちゃんって言うんだ! 名前までかわいいねぇ」

「うわぁ……。ねえ、お兄さんその人ルーデンドルフ家っていう男爵様のメイドだから、命が惜しいなら辞めた方がいいよ?」

「へぇ……、ルーデンドルフ」


 男から、軽薄な雰囲気が消える。

 まるで獲物を見つけた獣のような目つきになり、私を見ている。


「お姉さん、今日は一人なの? ルーデンドルフさんちの主人さんがいないなら、俺と遊ばない?」

「はぁ……。あいにく、主人はいませんがあなたと遊ぶつもりはありません。今すぐ立ち去りなさい」


 仕方なく、強い口調で追い払う。

 これ以上は不毛だ。


「わかったわかった、じゃあ帰るよ」


 そう言って、実にあっさり男が帰っていった。

 ――随分と、簡単に帰りましたね。


「ジルさん、今日ルイスはいないの?」

「ええ、今は……」


 いつ帰って来るかはわからない。

 数日は帰ってこないだろうが、それでも私が準備をすること自体は変わらない。

 余ったなら、まぁ、スオウにでも上げればいいだろう。


「そっかー」

「それでも食事の準備はします。よければお食べになりますか?」

「いいの!?」


 ルイス様はスオウを気に入っているようだし、これ位はいいだろう。

 まあ、この分は私の財布から出せばいい。


 暫く買い物をした後、市場から帰り家に着く。

 スオウも着いてきて、帰りは二人だ。


「お邪魔します!」


 家の中にスオウが入っていく。

 元気よく食卓の椅子に座り、楽しそうに笑顔で座っている。


 やはり、子供は笑顔の方がいい。

 少なくとも、スリなどに身を落とすべきではない。


 それから暫くして食事の準備も整い始めたころ、玄関のドアがノックされた。


「お客さん?」

「予定はないですが……。スオウ、一応部屋の奥に隠れて」


 誰だろう。

 誰かが来る予定は入っていなかったはずだ。

 もしもの時のため、スオウの身を隠す。


「どなたですか?」

「王室より遣わされた使者でございます、扉を開けてください」


 王室の使者……?


「所属は?」

「扉を少し開けていただければ、証拠を提示いたします」


 

 ……微妙に答えになっていない。

 まあいい、少しだけ開けよう。


 見てから判断すればいい。

 そう思い、扉を開けると隙間から王室の判が押された手紙が入って来る。


 ……間違いない、これは本物だ。

 仕方ない、扉を開けよう。


「どうぞ」


 少し怪しいけど、扉を開ける。

 目の前には、さきほどの軽薄な男が立っていた。


「やあ」

「お前!?」


 私の言葉より早く、男が私を蹴り飛ばす。

 重力魔術の反応が遅れ、もろに食らい部屋に入ってきてしまう。

 くそ、油断した!


「なんの用ですか?」

「ああ、何。ちょっとした仕事でね」


 男は剣を抜き、突っ込んでくる。

 でも、遅い。

 問題なく対処可能だ。

 重力魔術で奴の身体を……。


「“グラビティ“!」

 

 身体を、止めるはずだった。

 奴の身体には何の変化もない。

 魔術が、ファンブルした。


「くそ!」


 とっさに飛びのけて避ける。

 でも、奴はそのままの勢いで近づいてくる。


「さあ、死ね!」

「“グラビティ”!“グラビティ”!“グラビティ”!……なんで!?」


 何度唱えても、魔術が発動しない。

 あの男が何かしている?


「終わりだ!」

「ぐっ……!」


 男の剣が、私の身体に突き刺さる。

 そのまま何度も刺され、意識がどんどんと遠のいていく。


「……よし、帰るか」


 かろうじてまだある意識で、男が家を出るのがわかる。

 申し訳ありませんルイス様……。

 約束、守れ……。


 ―


 ――


 ―――


 ――――


 ルイス様はご立派になられた。

 周りにはクオン様やカズハ様がいて、彼を慕い守っている。

 ……もうきっと、私は必要ないだろう。

 でも……。

 でも、最後にもう一度だけ……。


 ――声が聞こえる。

 ルイス様が泣いて、私に縋り付いているのがわかる。


 私は、その感覚を何で感じているのだろう。

 

 もはや何も映さなくなったはずの瞳?

 聞こえなくなったはずの耳?

 血に塗れ、何も感じなくなったはずの肌?


 違う。

 きっとこれは、魂だ。

 止まったはずの心臓が動き出したわけではない。

 酸素の供給が無くなり、壊死した脳が復活したわけでもない。

 魂だけが、私を私のままにこの世界にとどめている。


『戻ってきてくれ、頼む、頼む……、俺を置いて行かないでくれぇ』


 ルイス様の願いが聞こえる。

 主の願いは、必ずかなえなければいけない。


 分かりましたルイス様、今あなたの元へ……。

 私は、魂だけでルイス様の元に近づいた。





 





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