第30話 世界で一番幸せな人

 ああ、あたしはなんて幸せなんだろう。

 今、世界で一番幸せな人間は間違いなくあたしだ。

 

 あたしを助けに、約束を守りに、ルイスがここに来てくれた。

 あたしを汚そうとする屑から救ってくれて、役立たずになったあたしをそれでも受け入れてくれた最高の主人を持っている。


 あたしは今までずっと、ルイスと結ばれたがっていた。

 でも今は違う。

 あたしなんかがルイスと結ばれる必要はない。

 

 ただ、側にいて、一生尽くしたい。

 この命を、身体を、心を。

 すべてをただただルイスのために使いってしまいたい。


 あたしの生きる全てだ。


「随分と、お気楽な顔をしているわね」

「最高に幸せですから」


 クオン様があたしを見下ろしている。

 この方と結婚するのがルイス様の幸せなら、あたしはそれに従おう。

 ルイス様の望みをかなえることが、今のあたしにとって何よりも……。


「私への敵意も消えている……ようやく自分がルイスにふさわしくないと自覚した?」

「あたしは、ただルイスの幸せが全てなだけです。ルイスが望む事全てを叶えるのがあたしの望みなので」

「随分と変わったわね」


 変わった? 

 あたしが?


 そうかもしれない。

 でも、それでいいと思う。

 この地獄から救い出してくれたルイスの幸せを叶えるためなら、あたしという個人がどういう風に変わろうと些細な事だ。

 本当にどうでもいい。


「よく壊れずに堪えたわ……いえ、壊れた結果がそれなのかしら」

「さあ? でも、あたしは今幸せです。それでいいと思ってます」

「そう、まあどうでもいいわ。あなたがルイスの邪魔にならないならそれでいい」


 この人もまた、ルイスが全てだ。

 でもたぶん、微妙にベクトルが違うと思う。


 クオン様にとっての幸せは、ルイスを手に入れること。

 ルイスと共に一生を過ごす事こそが幸せ。


 でもあたしは違う。

 別にあたしは、ルイスと過ごせなくてもいい。

 ルイスが幸せになるなら、あたし個人の感情は本当に1ミリも気にならない。


「さて、仕事を全うするわ」

「あたしはここで待っていますね」


 仕事――つまりは捕虜の救出だろう。

 何人が“無事“かは知らないけれど……。


 ついて行ったところで何もできない。

 ていうか、そもそもついて行けない。


「は? あなたをこんな敵だらけの所に置いて行ったらルイスに怒られるじゃない」

「じゃあ、どうするんですか? あたし、見ての通り歩けませんが」

「こうするのよ」


 そう言って、クオン様にお姫様だっこをされる。

 えぇ……。


「重くないですか?」

「別に、特に何もないわ。早く行くわよ。案内しなさい」


 そう言って、部屋を出てあたしの指示のもと捕虜の救出に向かう。


 数分歩くと、捕虜たちがいる牢に着いた。

 いくつか並ぶ牢には、捕虜たちが密集している。

 皆一様に、無言でこちらを見て来る。

 だけど、みんな目の焦点があってない。


 たぶん、合計したら100人を超えるだろう。

 ……でも、逆に言えばあの戦場にいた半分以上の兵はもういない。


「さて、どうしようかしら……」

「歩ける人は出てもらいます?」

「いえ、決めたわ」


 そう言って、先に進んで歩いていく。

 途中牢のドアだけ壊している。


「あなた達、とりあえずそこで待ってなさい。私が邪魔者を全て殺して安全を確保するわ。ただし、ドアは開けたから敵が来て危険だと判断したら自分たちで逃げなさい」


 そう宣言して、牢がある部屋から外に出る。

 囚人たちはみんな一歩も動かなかった。


「普通はああなるわ」

「あたしにはルイスがいましたから」


 そう、あたしには希望があった。

 だからこそ苦しかった。

 でもその分、だからこそ今はこうして正気を保ててる。

 

 それもこれも全部、ぜーんぶルイスのお陰。


「おーい!」


 目の前から男が近づいてくる。

 男はなれなれしく手を振っている。


「ふぅ……。なんとか敵を倒せたよ! さ、早くここから出よう」


 目の前の男が、あたしたちに手を差し出してくる。

 汚らわしく、薄汚れた手。


 顔には、ルイスの顔が張り付いている。


「クオン様……」

「許さない」


 小さく、それでいて大きな意思で、クオン様が宣言する。

 身体からは瘴気のように黒い影が無数に溢れ、部屋を暗くしていく。


「許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない」

「ま、待ってくれクオン! 俺だ! ルイスだ!」


 目の前のルイスを名乗るゴミが、命乞いをするかのように声を上げる。

 こいつが、ルイス?

 そんなわけがない。

 ルイスはこんな穢れた人間ではない。


「その顔で、その声で!!! よくも!!! よくも私のルイスを穢したな!?!?!?」


 クオン様が、聞いたこともないような大声で叫ぶ。

 

「ま、待ってくれ!」

「“レイデン“!!!」


 クオン様が大声で魔術を使う。

 

「ぐ、ぐぎゃあぁぁぁぁぁああぁあぁぁ!!!?!?!?」

レイデン。

 対象に地獄の苦しみを与え、死の淵まで追いやる魔術。

 身体中の神経に対し魔力で刺激を与え、痛みによる地獄を見せる禁断の術。


「死ぬまでかけ続けてやる」


 今なお男の金切り声があたりに響いている。

 耳栓が欲しいくらい、大きな声だ。


 クオン様が呟くと、男の顔が変わっていく。

 そこには、この数日で見慣れた顔が出て来た。


「こいつ……!」


 現れたのは、トールだった。

 あたしを地獄に叩き落した本人が、今目の前で死よりも辛い苦痛を味わっている。


「知り合いなの?」

「あたしを拷問した奴です」

「……そう、殺したい?」


 殺したい。

 もちろん、今すぐに殺したい。

 

 でも、それを選ぶのはあたしじゃない。


「ルイスに任せます」

「わかったわ。とりあえず、今はこのままにしてルイスが来るまでに他のゴミを掃除しましょうか」


 トールは、叫び声をあげすぎてもはや声すらでなくなった。

 けれど、意識と命は手放せない。

 それがこの魔術の特徴だから。


 床を這いずり転げまわりながら苦しんでいるトールを置いて、あたしたちは殺戮を始めることにした。


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