第一章 入学試験編

第2話 見慣れた天井

 見慣れた天井だ……。

 なんだかすごく懐かしい夢を見ていたような……。

 取り敢えず、身体を動かす。

 うん、なんの異常もない。

 ない、ないはずだ、うん……。


「おはよう、ルイス」


 ベッドのすぐ横から若い女性の声が聞こえる。

 おかしいな……。

 この部屋……何か変……。


「なんで当たり前のように部屋にいるんだ? なあ、クオン」

「ふふふ、3年前、あなたは私に言ったわよね? 責任を取るって……」


 俺のベッドの隣にある椅子に座りながら、目を細め、自分の身体を抱くように顔を高揚させている女  ―クオンを助けてから、もう3年近くの日数が経っていた。


「言ったけど、それは……」

「言ったわよね?」


 クオンの顔が俺を覗き込むようにぐっと近づく。

 “あの日“のキス以降、彼女の呪いは綺麗さっぱり消えてなくなり、呪いに隠された美しい容姿は日に日に凄みを増していた。


「いいました……」

「そうよね? なのに……」


 クオンが口を俺の耳元に近づける。

 息が吹きかかってくすぐったい。


「どうして、あなたはなにもしないのかしら?」


 妖艶さすら感じる甘い囁きが耳にかかる。

 そして、若干怒っているんだろう。

 制御しきれなくなった魔力が身体から吹き出ている。

 呪いの対価として得た強大な魔力とその性質は、呪いが消えた後も健在だった。


「なにもしないって、してるだろ? 色々と……」

「色々? 色々って言うのはあれかしら、カズハとかいう剣士に訓練を受けているあれのこと?」


 やばい、声色が低くなった。

 慎重に答えないと……。


「そ、そう! それだよ! 俺もそろそろ15歳だ。騎士として戦場に出て武勲の一つでも上げれば……」

「そのために、カズハとやらから、手取り足取り腰取り何取り教えてもらってるわけね、私に隠れて」

「か、隠れてなんて……!」


 カズハとは俺が子供のころから一緒に剣の練習をしているいわば幼馴染だ。

 決して、やましいことはしていない。

 本当だぞ?


「へえー、そう? 私はてっきり、お妾さん作りでさぞや忙しいのかと心配していたのよ?」

「妾なんてとんでもない! 第一、まだ結婚すら……」

「そうよね、あなたが爵位もない村持ち騎士で満足してるから、どこかの伯爵令嬢と結婚できないのよね?」


 そう、そうなのだ。

 あの日、クオンを救った日から、クオンはずっと俺を愛してくれていた。

 正直見た目はドンピシャで好みだし、性格も基本的には俺に尽くしてくれるいい女だ。

 クオンは、あの日からずっと結婚しようと迫って来る。

 俺だって、こんないい女やぶさかではない。


 だけど、現実は非情なのだ。 

 相手は一度は捨てられたとは言え伯爵のお嬢様。

 かたや俺は男爵の三男、爵位無しと来たものだ。


 長男ですら釣り合わないのに、いわんや三男をや、だ。

 クオンと結婚するにはどうしても身分が足りない。

 だからと言って、男爵になればどうなるか?

 待つのはゲームの悪役男爵ルートまっしぐらだ。

 つまり、詰んでるってわけ。

 せめてワンちゃんに賭けて武勲でもと思ってはいるんだが……。

 どうやらそれがお嬢様にはお気に召さないらしい。


「ねえ、ルイス? 私はね、あなた以外に指一本触れられたくないの」

 

 クオンが甘い声で囁く。

 耳元で、それはもう官能的に……。


「わかってる、俺だって……」


 その先は中々口に出せない。

 現実的に考えれば、俺の事は諦めてもらうのが妥当だ。


「逆に、あなたになら身体中のどこだって……」

「そ、それは……」


 漂ってくる女性特有の甘い匂い。

 耳に感じる息遣い、少し腕を動かせば豊かな胸に触れることも出来るだろう。

 理性が、音を立てて崩れていく。


「触りたい?」

「クオン……っ」


 クオンの肩を抱き、キスをしようと顔を近づける。

 だが、寸でのところでクオンが顔を上げ、俺のキスを避ける。

 

「ふふっ、だめよ? 伯爵令嬢のくちびるを二度も奪うなんて、そんなのは今のあなたには許されないわよ」

「……まあ、そうだな」


 実際そうだ。

 今の身分でクオンとそういう関係になれば、バレた時点で間違いなく処刑だ。

 バレないだろうって?

 残念、この世界にはご丁寧に対象が処女であるか見分ける大層無駄な魔術が存在している。

 貴族の娘が結婚に行く時や、娼館が女を仕入れるときに便利な、人権も糞もない最低の魔術だ。


「したいなら、わかるでしょう?」


 クオンが誘うように呟く。


「でも、実際の所どうするんだよ? まさか、男爵になるために兄上たちを殺せってか?」

「まあ、それもいいけれど……」


 いいのかよ……。

 たまに村に遊びに来て一緒に遊んだりしたのに……。


「それよりも、もっと確実な方法があるわ」

「確実な方法?」


 なんだろう、全然思いつかない。

 裏ボスパワーで追って来るやつらを皆殺しにして駆け落ちするとか?

 もしそうなら絶対にお断りしたいところだ。


「王立騎士学校で主席になればいいのよ」


 はい、却下でーす。


 王立騎士学校、それはアルド戦記の主要な舞台。

 17歳になった主人公が通い始め、メインヒロインやらライバルやらがみーんな通っている物語の一丁目一番地。

 そんな所に通えば絶対に主人公たちに巻き込まれて、安全な生活とは無縁になるであろう。

 そしてきっと俺は主人公に殺されるんだ、ゲームみたいに……!


「絶対に嫌だね、そもそも主席になったからって結婚できるわけじゃないだろう?」

「いいえ、言質はとってあるわ」

「言質?」


 クオンがにやりと笑う。

 

「ええ、そうよ。この間お父様に逢った時、もし私とルイスの結婚を認めないなら、追っ手を皆殺しにして駆け落ちしてやるって言ったのよ」

「えぇ……」


 あったんだ、皆殺し√……。


「そうしたらお父様が言ったのよ、『ルイス君が王立騎士学校で主席になるようなら、結婚を認めてやっても良い』って」

「クオンさんや、そういうのは脅迫って言うんだぞ」

「いやね、ただのわがままよ? かわいい娘の、ね」


 クオンならば実際に追っ手を殺しながら駆け落ちすることも十分可能な気がするし、お義父さんも怖気づいたんだろう……。


「いやでもほら、そもそも主席なんて無理だよ」

「そんなことないわ! あなたはとっても優秀で、格好良くて、優しくて、でもちょっとお茶目なところもあって、それにそれに……」


 顔を赤くさせながら延々と俺の良いところを上げている。

 それ自体は嬉しい事だが、間違いなく過大評価だ。

 少なくとも、主人公のアルドやメインヒロインのクリスタ達には遠く及ばないだろう。

 なんたって、ゲームの登場人物で、メインキャラクター達だ。

 モブで中ボスな俺とは比較にならんはずだ。


「ちょっと人見知りなところも素敵だし、剣の訓練中の綺麗な動きも! ああ、でもっ、学校に行ったら間違いなく他の女が湧いてくるわね……困ったわ、害虫が寄り付かないようにしないと……でもでも、私の男がこんなにも格好いいって自慢したい気持ちも……」


 クオンが妄想から帰ってこなくなった。

 どうしよう、このまま部屋を出て取り敢えずやりすごそうかな……。


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