空から少女が落ちてくる、僕は受け止めない。

渡貫とゐち

空から「ものは試しに」


 雲を突き抜け飛んでいる……じゃなくて落ちている塊があった。


 宇宙からの隕石かと思えば、それは人の形をしていた。

 長い青髪、豪華なドレス、風を切っているせいでドレスはバタバタと暴れ、落ちてくるその女の子……? は、まるでムササビのようにドレスをできるだけ広げて落下速度を抑えようとしているけれど、当然、薄いドレスではムササビの再現なんかできなかった。


 加速は増すばかり。


 少しずれれば海だ。海に落ちれば、まだ助かるとは思うけど、女の子は真っ直ぐに僕の元へ落ちてくる。硬いアスファルトに向かって、だった。


 ……興味本位で近づいてくるんじゃなかった。見て見ぬフリをして学校へ向かえば、僕の知らない事件として関わることもなかったのに……。

 こうして現場まできてしまえば、さすがにこれを見て見ぬフリはできないし、見捨てることも後味が悪い……というか罪になるのでは?


 倒れている人を放置して離れるのはダメなんじゃなかったっけ?

 あの子の場合は今のところ落下しているだけだけど、このまま落ちれば怪我をすることは確実だ(怪我どころではないと思うけど……)。


 怪我をしている女の子を見捨てることも、落下中の女の子を見捨てることも同じことなんじゃないか……。


 奇しくも(苦しくも)落下地点にいる僕は、彼女を受け止める義務が発生しているのでは?


 ……落下している彼女からの、期待の眼差しだった。

 でも……、両手で受け止められる? 気になるのは受け止めようとして、するっと腕から抜けてしまった場合、これは僕のせいか? ということだ。


 意図的でなくともミスをして相手が怪我をすれば、こっちの過失になるのでは? じゃあやっぱり、手を出すべきではないのかもしれない……。

 まだ見捨てた罪の方が軽い気がする。


 速度がさらに増している女の子がどんどんと近づいてくる。あっという間に、指でつまめるほど小さかった彼女は、今や手のひらから溢れてしまうほどで――――


 受け止める寸前で急停止して、ふわりと速度が消えてなくなる、なんてことは…………うん、やっぱりなさそうだった。


 あの子を助けようと覚悟を決めて両手を広げ、彼女を受け止めようとしたが、目前まできて一気に底なしの恐怖がやってきた。

 本能が訴えかけてくる……あ、これはまずい。

 仮に女の子が助かっても僕が死ぬ。全身の骨が砕けて即死だ。

 人間ひとりの落下を受け止めるのは、猛スピードで突っ込んでくる大型車を受け止めるのと同じなのではないか?


 接触が点か面かの違いで……。女の子の方が点であり、一点集中した威力は僕の体を貫き破壊する。粉々にならなくとも再起不能だろう…………だから。


 これは仕方ないと思う。


 誰だって自分が一番可愛いのだから。


 僕は目前で横に避けていた。気づけば……だったから、わざとじゃない。

 見捨てたわけじゃない。助けたかったけど勇気が出なかっただけ……うん。


 ごめんね、空から落ちてきた女の子――――




 硬いはずのアスファルトが人型の穴を作っている。

 大の字に空いた穴を覗いて声をかけてみると、返事があった。


「ちょっとっっ、早くロープ!!」

「え……あ、うん、ちょっと待ってて」


 穴の底が見えないけど、どこまで落ちていったのだろう……それによってロープの長さも変わってくるけど……。

 ともかく、近くの工事現場から縄を拝借し(休止していたので人はいなかった)、大の字の穴へ垂らす……。呼びかけながらロープを下ろしていくと、「ストップ!」と声が聞こえた。


「上がるけど……しっかりと持ってなさいよ」

「分かった」


 すると、ぐっとロープが重くなり、なんとか両足で踏ん張って堪える……。ぐっ、ぐっ、と重量感が伝わってくるので、順調に女の子が上がってきているのだろう。

 やがて、穴の先の暗闇から人影が見えてくる。

 青い髪と薄いドレスの女の子だ。

 もちろんだけど日本人ではなかった。

 そして、僕を見つめる宝石を埋め込んだような瞳が、とても綺麗で…………



 女の子が、やっぱり怒りの形相で近づいてくる。


 半泣きの彼女が僕の胸倉を両手で掴んで、



「――なんで受け止めない!!」


「いや、無理だって……死ぬ覚悟で君を助けるほど、僕は聖人君子じゃないんだよ」


 それに、きっとこの子だって自分のせいで僕が死んだとなれば傷つくだろうし……、トラウマになるだろう。あと普通に罪になるだろうし、この子を責める人は多い。

 僕の親族は、この子を許さないだろうから……今後受けるだろう過度なストレスを考えれば、僕は彼女のことを助けたとも言えるのだ。


 受け止めなくとも、助けてはいるんだからね。


「というか、君、生きてるじゃん」


「なんとかね……」


 怪我もしていない。

 ちょっと汚れているくらいで……、僕が受け止める必要もなかっただろう。


「……でも、受け止めてほしかった」


「無茶言わないでよ……」


 寸前で急停止して、ふわりと速度が緩やかになるならまだしも……そうなる気配がなかったし……。もしもそうなる予定なら先に言ってほしかった。そしたら僕だって気楽に受け止めることができたのに……。


「それじゃ意味がないもの」

「え?」

「それじゃ意味がないの」


 そう言った後、彼女のドレスが膨らんで、まるで気球のように上昇していった……――あれ、飛べるの?


 飛んでいるというか、浮いているって感じだけど……。


 落下している時に使えたら、こんな大穴を作らなくて済んだのに。


『それじゃ意味がないの』

 ……と言った彼女の真意とは?



「あなた。次に私を見つけても近づいてこないでいいから。私は、怪我をしてでも私を助けてくれる男性を探しているの……。だからね、あなたじゃなかったわね」


「…………僕を試したの?」


「あなたを狙って試したわけじゃないけど。寸前で私を避けるあなたは私が探している男性ではなかったわ……まだ若いし、あなたじゃない。違うわ――帰りなさい」


 言うだけ言って、猛スピードで上昇していく彼女に文句のひとつも言えなかった。

 ……助けなかった僕が悪いみたいだけど、あの子を受け止める人なんていないよ……。


 成功か失敗かはどうでもいいのだろうけど、つまり本気で助けるつもりかどうかを見ているのだろうね。で、僕は不合格だった……仕方ない。


 テストが分かっていても、やっぱり僕は寸前で避けてしまうだろうから。




 翌日、クラスメイトのひとりが休んだ。

 理由は全身、複雑骨折らしい。


 それだけで済んだんだ……、と意外だった。

 教室では、「トラックにでも撥ねられたのか」と噂でいっぱいだったけれど、僕には思い当たる節がある……というかあの子しかいない。


 一歩間違えれば昨日の僕がこうなっていたかもしれないのだ……、複雑骨折どころではなかったかも……。


 休んだクラスメイトは運動部で体を鍛えているために頑丈な方だ。比べて僕は――インドアで背も低い。平均的な女の子ひとりを背負うこともギリギリくらいの貧弱さだ……、骨折以上に巻き込まれて内蔵が破裂していてもおかしくはなかった。


 想像するとゾッとする『もしも』だ……。

 優先的に女の子は助けるべき、という教えが我が家にはあるけれど、手を出していたら巻き込まれ、殺されていたと考えれば、その考えも見直しが必要だろう。

 自分が死んでもいいから女の子を助けろ、という方針ではないのがまだ救いだった。

 ――臆病者こそ、長生きできる。


 ふと、窓の外を見てみれば、見覚えがある落下中の少女が見えた。


 ……またやってるの?

 いや、まだやってるの?


 もしかして受け止めても壊れない男を探してる……?

 あの子を受け止めて、怪我をしない男なんてたぶんこの世界にはいないと思うけど……。



「空から女の子が落ちてくる、か……」


 憧れた物語冒頭のシチュエーション……、だったけど。

 よく考えれば、落ちる方も受け止める方もクライマックスだ。

 最初がピークは、望まない。


 そして、お互いに良いことなんかひとつもなく、生きるか死ぬかの緊迫した状況で……。


 理想が崩れる。

 というか理想も見直さないといけないようだ。



 人が落ちてきて、恋に発展することを期待することは、もうできない。


 少なくとも、恋に落ちる時――――人は落ちてこないのだから。



 …了

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空から少女が落ちてくる、僕は受け止めない。 渡貫とゐち @josho

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