第7話 演奏

「ごめんなさい。わたしは、軽音部には入れない。――歌えないの」


 あれから何度か、マイクを持ってみたことはあったけど、歌詞もメロディーも頭に出てこなかった。口も動いてくれなかった。


 きっとわたしは、もう、歌に関わることはできないんだと思う。


 ……あんなに、好きだったのに。


「……それなら、一つだけ、頼んでいいか?」


 少し黙った安西くんが、言った。


「俺たちの演奏を聴いてくれないか。軽音部に入るかどうかは、その後に決めてくれ」


「…………」


 それくらいなら、いいかな。坂田くんと二条くんの演奏は、すごく心地よかったし、もうちょっと聴きたいって思ったから。それに、安西くんの演奏もちょっと気になるかも。


 まあ、わたしの気持ちは変わらないと思うけれど。


「わかった」


 わたしがうなずくと、安西くんは表情を引き締めた。


「すぐに用意する」


 そう言って、窓から離れた。


「あ、入口はそこだよ。靴のまま上がって大丈夫」


 坂田くんが側にあるドアを指さして、引っ込んでいく。わたしはドアノブに手をかけて、ゆっくり開けた。


 中では、皆が用意していた。


 安西くんの楽器は……ギターかな? 形はそっくりだけど……


 わたしは安西くんがケースから取り出した青い楽器をじっと見た。


 あ、違う。あれ、ベースだ。弦が4本だから、間違いない。


 ベースは、曲の低い音を担当する楽器。安西くんが持っているのは、アンプっていう機械につなげて音を出すエレキベースだ。


 ちなみに、ベースはギターとそっくりな見た目だけど、弦の本数が違うんだ。ギターは6本、ベースはだいたい4本。二条くんが持っているのはエレキギターみたい。


 ドラムは白くて、古いけど使い込まれてる。さっき聞いたドラムの音も、すごくいい音だった。きっと、ちゃんと手入れしながら使ってたんだ。


「律、なに歌うの?」


 スタンドマイクをセットしていた坂田くんが訊くと、ベースのチューニング――弦の長さを調整して音を合わせる――をしていた律くんが顔を上げた。


「決まってるだろ。俺たちの十八番おはこ


「……ま、それはそっか」


 おひさまみたいな笑顔を浮かべた坂田くんがドラムに座る。


「あ、そこの椅子座っていいよ。じゃあ、行くね。ワン、ツー、スリー、フォー!」


 坂田くんのカウントに合わせて、3つの楽器が一斉に鳴り出す。


「――っ!?」


 わたしは、一瞬でその演奏に惹き込まれた。


 曲じたいは少し前に流行ったバンドの曲。明るい曲でノリノリになれるんだけど、今安西くんたちが演奏している音楽はそれだけじゃない。もちろん明るくて楽しい気持ちになれるけど、どこかかっこよくて、温かくて。


 ベースが入ったからなのかな。さっき聴いたときより音の厚みがましている。


「……――♪!」


 坂田くんがドラムを叩きながら歌い出す。すごく優しい歌声。それに合わせて二条くんがときどきハモリを重ねる。律くんは歌ってないけど、すごく楽しそうなのが表情にでてる。


 音楽を聴いててこんなに楽しくなったのって、いつぶりだろう……


「――……♪」



 やがて演奏が終わった。


「……どうだった?」


 アンプのスイッチを切った安西くんがわたしをまっすぐ見つめて訊いてくる。


「すごく良かった。なんか、今まで聴いてきたバンドとは違う感じがしたっていうか……こんなに優しい音が出るんだって感じ」


 うまく言葉にはできないけど、これは本心。本当に感動した。


「歌ってたもんね、宮本さん」


「……え?」


 坂田くんの言葉に、ポカンとなる。


 歌ってた? あんなに歌えなかった、わたしが?


「あれ、もしかして無自覚? 途中から楽しそうに歌ってたけど」


 全く覚えがない。口が動いていた感覚すらなかった。


 ……わたしでも、自然に歌っちゃう演奏だった、ってこと?


 確かに、すごく心地良い演奏だったけど……


「……もう一回、演奏してもらってもいい? 歌ってみたい」


 無意識じゃなくて、ちゃんと。自分の声で、歌ってみたい。そしたら、決心もつく気がする。


「……わかった」


 頷いた律くんがすぐにベースを構える。


 マイクを握ったわたしの手は、震えていなかった。


「いくよ。ワン、ツー、スリー、フォー!」


 前奏が始まる。


 なんでかはわからないけど。でも、歌詞が、メロディーが、頭に浮かんでくる。今まで、あんなに頭が真っ白になってたのに。


 歌える。わたしは、歌える!


「――――♪!」

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けいおん部っ! 瑠奈 @ruma0621

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