残刻

@Auroradays

第1話 聖餐

神よ、どうか正しきものが報われる世を



私は目の前の民衆を前に言う。

「皆さん、神は我々を見ておられます。常に祈りの心と反省を忘れぬよう。」

日曜日は教会に集い説教をする、と決められたのはいつの時代からなのだろうか。物心つく前より父と共に神に祈り、日々この教会の中で過ごしてきた私は、そのまま跡を継ぎ若くして神父となった。

父は非常に信心深く、また善悪の区別なく誰もを平等に扱った。

しかしある日、親切心から泊めた男に殺害された。教会であれば貯めこんだ金があるだろうというのが理由だったそうだ。

生憎と父にそのような蓄えを持つ気はなかった。都市部の神父や教皇庁の幹部であればまだしも、彼は清貧と喜捨の人だった。私はその時修道院に寮を借りており、幸か不幸かそれを免れた。

人に暖かさと愛を教えた父は、冷たさと孤独の中で命を落とした。

我欲を貪り食らって生きる者はさらに肥え太り、他者へ分け与える者はこれ幸いとばかりに簒奪と収奪の中で消えていく。神が与えるべきなのは平等ではなく報いではないか?真の残酷とはグロテスクではなく、必死に努力した者が報われぬことだろう。


「…神父様、どうかなされました?」

ふと気づくと、目の前に一人の少女がいた。

いけない、考えをめぐらすとそれに没頭してしまうのが悪い癖だ。

「失礼、少し呆けていたようです。何かありましたか」

この少女はこの近くに住んでおり、非常に熱心な信仰者である。女であるという理由で教育を受けられなかったが、そんな環境にもめげずにこうして説教の意味を聞いてくる。勤勉で明朗、更に経験で純潔な見本となるべき人間だ。

今日も様々な質問を受けた。他人に教えるというのは己を見つめなおす機会にもなる。さて、本日も務めを果たさねば。



神よ、我々をお赦しにならないでください



掃除は空間を綺麗にすることもそうだが、己をも同様にきれいにするものなのだろう。無心で像を磨き床を掃いている間、私の心は最も信仰そのものに近い形になる。ただひたすらに神への思いと無私の思いで勤行することは何よりも良い修練ではないか。


気もそぞろになっていたせいか箒を強く机にぶつけた。またやってしまった。何かを考えると周囲が見えなくなる。おまけについさっき(掃除は何よりも良い信仰の心の発露だ)などと考えていたことが恥ずかしい。

父も天の国から「その精神のどこが敬虔なのだ」と笑っているだろう。

ふと机を見ると、おかしなところが開いてしまっている。壊れたか?慢心に加えてあまつさえ聖なる場を破壊したとあっては申し訳が立たない。慌てて破損個所を見る。

…おかしい。これは壊れたというよりも、もともとあった収納場所が今になって開いたように見える。

そっと中を覗くと何かが光っている。


なぜだ、そんなはずはない。これは貨幣か?

良く見ると貨幣だけではなく、金銀らしき奢侈品や宝石らしきものもある。

どう考えてもこれは隠し財産だ。私の物ではもちろんない。そうなるとこの位置に隠せるのは必然的に父のみだ。

あの熱心な信仰者であった父がそんなことをするはずがない。これはきっと何か異なる理由があって保管していたのだ。

そう思った矢先、私の目に入ったのは金歯であった。

忘れもしない。これは町でもまず間違いなく貧しいうちに入るだろう老人が、教会への寄付として持ってきた物だ。昔に挿したから純度が高いと嬉しそうに語っていた記憶がある。

父はそれを「教皇庁へ送った。教皇様も貴方の話を聞き感激しておられた」と彼に伝えていたではないか。

あの父は偽りだったのか。それどころか、私たちに見せてきた敬虔さはみな偽りだったのか。見知らぬ男に殺されて当然の人間だったというのだろうか。

私はよろめく体を引きずるように歩いた。今日は休もう。きっと何かの間違いだ。



神よ、我々に必要なのは赦しではなく罰なのです



私は人を見る目の無い大莫迦者である。

私が信仰に関して切磋琢磨の相手だと思っていたあの少女は阿婆擦れだった。

四つの宝を抱いていたように見えた姿は偽りで、あたかもアダムを騙したリリスの如く、男を良く知る娼婦の手腕で私を欺いていた。

教会から帰ったその足で男たちと交わり、聖者の血である葡萄酒を催淫剤として飲んでいたとは露知らず、彼女のことを褒めたたえていた私はさぞかし滑稽に映った事だろう。

本質的に労働が価値とされる男と違い、女はその淫蕩さから一切の学が無くとも引く手は数多である。無知無能であろうとも、人の中に確かに存在する獣性が女を求めるのであるから、それゆえに女は下等とされてきたのだ。

リリスはアダムを捨て、深き地へと堕ちて悪魔と交わった。人の世に存在する売女も同様に、誠実を嫌い淫蕩を好む。巧言令色を旨とする獣と交わるのだ。

しかし、その蛆のような命を聖職者ですら見分けられないのであれば、この世は既にリリスの産み落とした魔物ばかりではないのか?守銭奴の種から生まれたこの私のように。

私に出来ることはあるのだろうか。こうして繁延した生き物たちを神はなぜ黙って見ているのだろうか。人と獣を分けるのは善行である。善の報いは受けられない一方で悪の報いも受けられない。それは信仰の道としてあまりにも残酷である。

ともすれば、これこそが私が獣ではないという証明であり、同時に神の教えを指し示す道となるだろう。



神—————



何故私は石を投げられているのだろう。十字架を背負わずして縛り歩かせるとは、まるで私が現世の罪に浴する罪人のようではないか。

私はただ、最も近くに存在した悪を浄化しただけである。あのリリスには十字架の焼印を以てエニグマを施し、他の獣には聖火を以て肉体を浄化しただけである。

この世に悪の蔓延る兆しがあるならば、灰を灰へ塵を塵へと帰すのが私の役目だ。

このまま縊り殺す気か、階段を上がらせるな。

人の形をした獣共が下で騒いでいる。人の命が潰える瞬間を観に来るとはつくづく醜い命だ。

神よ、まだこの地に悪は満ちています。使命は消えておりま



今日も下は騒がしい。手慰みに作った灰と塵の混ぜ物がいつものように喚いている。

全てを見通す目とどこまでも届く腕を幼児の好奇心で振るうそれは、片手間に作られた混合物の争う様子を眺めている。

家畜にとって愛玩とアガペーを見分ける術はない。玩具が転んだのを見て喜んでいる様子も、見方次第では無償の愛なのだ。

それは下を覗きながら考える。この混ぜ物は己たちの本質を自由や愛だと宣うが、どう考えても最もそれらしいのは分断だろうに。

とかく物事を二つに分けねば気が済まない。己か己以外どころか、身の内にある情動をも分けようとして壊れてしまう。いつまでもその繰り返しを続けているのになぜ気付かないのか。

混ぜ物は、自身を作りたもうたそれの二面性すら善悪に分けてしまった。

そろそろ他の混ぜ物を作ろうかと考えて手を止める。この混ぜ物は限界まで負荷を与えて裂けると面白い。もう少しだけ無聊の慰めとなるだろう。


「神は天におわし、世はすべてこともなし」

この言葉は自分たちの創造主が創造物にさして関心を持ってはいないことを伝えようとした賢人によって作られたものだった、という説を提唱した者がいたが、異端とされて論説は潰えてしまった。現在の使われ方は、概ね知られているとおりである。

今日も世界は、良い音を出しそうな誰かに歪を蓄積させながら円滑に回っている。



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