錬金術と夢の終わり

ラッセルリッツ・リツ

【錬金術と夢の終わり】 

 夢はハッと覚めて無くなるものではなく、グツグツとしだいに冷めて萎れて枯れていく。そうして心が凝固したときには理想という浮ついた蒸気は涙となり、それすら忘れたときに色褪せる。

 それほど強い野望などがあるものだろうか。それほど愚かな妄動があるものだろうか――――私は本の詰められた段ボールの重さにその存在を実感し、現実直視したことで余計に想いの儚さを知るばかりであった。


 「これも時代だよ、そんなに考え込むな。やれることはやっただろ」


 編集長は段ボールを担ぐ僕の肩をトンと叩いてそう言うと自身の席に座り、コーヒー片手にパソコンのキーボードをカタカタと、仕事に戻っていった。

 数週間前まではこの本のページを捲っていたが、すでにそのページにバツをつけてウェブページを閉じるように忘れ去られてしまった。これを書いた作家がその一ページにどれほど気持ちを込めていたのか、編集長はそれを知った上で今もクリックしている。非道だ。あのクリック音は私にとっては悪魔の産声のようだ。

 けれどそんなのは私の好みに過ぎない。とっくに理解できてる。編集長は魔王であってもやっていることは合理的であること。とても社会のためになっていること――――もしもあの作家がこのまま続けていれば、何人が不幸になっていたのか。それに彼自身もそっちのほうがいいだろう。



――――昼休み。いつものように僕は妻の作ってくれた弁当を持って近くの公園へ行く。やっぱり自然の空気を吸うと心が休まるからだ。仕事場ではずっと仕事のことばかり考えてしまう。


 平日の昼間の公園。ほとんど散歩する老人しかいない。たまに小さい子を連れた人も見かけるが、今日はいつもよりも静かで、緑の芝の上を優しくなぞる風があるくらい。

 ともなれば自然ばかりを堪能できるはずなのだが、有り余る錆びた遊具が目立ち、それほどでもない。ただゆっくり流れる時間に休まるのは変わらず、安らかな切なさに浸っていく。


 にしてもやはり自然は整合的だ。木は日を浴びるために葉を広げるし、雑草は人に構わずベンチの足元を擽るし、ミツバチは花を嗅ぐっては行き来している。全ての行動に意味があるとわかる。

 スズメバチがさっきのミツバチを捕まえたが、別にスズメバチが悪者というわけではなく、あの虫は生きるためにそうしただけなのだ。ただ――――このシュウマイ一つくらいでミツバチが救われるなら交渉してもいい。


 「あれ? 昨日と具は一緒みたいですね、編集さん。隣失礼しますね」

 

 隣に座ったのは同い年くらいの営業マン。だいたい毎日昼頃になるとやってきて適当な会話をする程度の仲だ。

 ちなみに彼が敬語なのは営業マンメンタリティらしい。私とは真逆で昼の間は敬語にして気を抜かないようにと。


 「今日は卵焼きじゃなくてシュウマイだったよ」

 「ええ? シュウマイもう食べちゃって、わかんないですよ」

 「そういう君は今日もコンビニ弁当か」

 「ええ、こっちは卵入ってますよ。愛しの〇ーソンの」

 「なんだ、別に羨ましくないぞ」

 「そうっすね、いかに安くて美味しくても愛妻弁当には敵いませんでした」


 だんだんと削れ疲れてきている敬語を励ますように彼は卵焼きをパクパクと口に入れた。もちろん敬語は彼の唐揚げの衣よりもすぐに剝げていくのに違いはない。


 「別に愛妻弁当じゃない。経済的な理由でそうなっただけで」

 「じゃあちょっとだけ食べていいっすか?」

 「ダメだ」

 「やっぱり愛妻弁当、ラブラブじゃん」 


 先程スズメバチにシュウマイをあげてもいいと思ったが、今はこの男を喰ってもらいたいと強く願っている。


 「なんすか、そんな怖い目して」

 「いや、君がタンポポを食べたらどうなるのかと思って」

 「えっと、ちょっと何言ってるかわかんないです」


 首を傾げながらサンドウィッチを咥える彼に、私はその意味を伝えることなく、もう少しだけどうでもいい会話をした後、私は公園を出た。



 仕事を終わった後に時間のある日はよく本屋へ行く。特段仕事目線というわけではないが、だからと言って本ばかりを見るばかりでなく、どちらかというと色々な本屋に行ってどんな風に商売しているのかを予想したり、どう本を見せているのかを観察しているのだ。またどんな人が何の本を好むのかを直に見ておきたいのもある――――仕事目線ではない。無意識だから仕事目線ではないはずだ。

 

 それで今日は駅ビルの本屋に来ている。最上階にあるこの店の本棚の間、その小さな窓からは夜景がよく映る。黄色く灯るビルの四角はある意味、星のようで――――けれども駅前の人の多さを実感できる。だからここら辺が発展したのも。

 今は大体十九時ごろで仕事帰りの大人と学生服の子らをよく見かける。大人の方は一人での来客が多く、まちまちであるが、純文学や映画化原作など、あとは仕事に関係する専門書をじっくり手に取っているのを見かける。学生の子らは部活終わりと予備校の帰りなどだろう。漫画やライトノベル、参考書の方に。集団で来ている子はやはり元気なものだ。

 

 本というのは別の誰かへ知識を与えたり、想像を見せたりすることができる。学問の専門書や参考書は前者で、小説などは想像の方だろう。どちらとも文字の偉大さを感じられるものだ。他の動物にはできない、人間の強みだろう。

 ただ興味深いのはあの学生はその夢や目的のために本を取っていて、その先の人生にいる、いわばそれを叶えた人間がそこにいること。なのに互いに本に集中しているところ。仮に将来の自分がそこにいるとしても本ばかり見ていては気付けないのかもしれない。

 前者にとってその場合、本の役割は保たれているのか――――なんてのは結局、思考のお遊びだろう。やめることにしよう。しかしながら本の在り方については考えてしまう事は多い。

 使わない知識を身に着けたところで、あるいは使えない知識を学んだところで、どうにもならない。それどころかもしもその人が何かしらの天才であるならば、無駄な時間かもしれない。


 あっちに脚本の本を覗いている少年がいる。いくつかの本を開いては閉じて、合うのがあれば抱え、そのせいでそれを落としそうになったり、熱心に本を探している。きっと彼は作家を目指しているのだろう。

 私は彼のような子を見ていると昔の自分を重ねてしまう。そして反射的に辞めておいた方がいいなどと思ってしまう。編集者として間違っているとわかっているのに。

 もしも過去の自分があそこにいるとして自分から話しかけたり、なにか教えたりするだろうか。むしろそれこそ彼の尊厳を傷つけてしまうだろう。私は彼にそう、言うのか――――私は自分が好きではないと。だからその夢は無意味だと。


 愚かな思考だった。仕事終わりはやはり疲れているようだ。さっさと本を買って去るとしよう。



 二十時ごろ、スーツ姿の大人らで駅内は混雑していた。伴って中にある飲食店も人が増えてきている――――駅に店が集まる理由。それは人の数が多いからだ。しかも仕事などで安定的に人が通るのだ。立地によるが、基本的に駅ほど人の集まりやすい場所はないだろう。単純に人が多ければそこにある商品は売れやすい。これはどの商品であっても同じだ。


 ただ代わりにあまり見かけない人間も居てしまう。駅を出て少し歩くとボロボロの服と髪の人を見かける。

 都市には才能や良い商品も集まりやすいが、逆に貧困や問題、犯罪も集まりやすい。個人的には都市だから問題があるとかよりかは単純に確率に人数を掛けたらそうなるという因果だろう。


 そういった手に負えない問題を抱えれば、精神的に追い詰められ、視野が狭くなり、どうするにも難しくなってしまう。彼らはやがてその生か、社会を恨むようになるかもしれない。

 そうやって考えるのは非常に功利的だ。自分に何か被害があるから助ける必要があるとか、あるいは逆にそうすることで自分たちがそうなったときに困らないなどとポジティブにも考えられる。

 ただ人目のないところへ追いやられてしまえばその存在を忘れてしまうだろう。ともなると不幸に気付かない。あの人たちは助かりにくくなる。

 一番凶悪なのはきっと無知なのだろう。しかもこれは悪意がない。もっとも質の悪い悪だろうか。

 

 でも今の時代は昔より彼らを助ける制度が多くある。そしてそれは税金とあるいは寄付によって成り立っている。

 またそれ以外に抱える多くの悩みも他人がすでに経験したことであり、その専門家に伺えばいい。ならそのためのお金があれば済むことだ。したらその援助のお金を出せればいい。

 つまり誰かを助けたいのなら金持ちになればいい。そのためには自分自身の才能を、得意分野をやるしかない。むしろそうすることで社会は豊かになるはずだ。人を苦しめる問題の多くもその効率性で無くなっていくはずだ。


――――またあの時の自分だってそうして助かるべきだった。でもなければ今もこうして苦しむことはないのだから。

 街灯一つの橋の上、私は先程買った小説の表紙を見つめた――――昔、私は作家になりたかったのだ。紛れもなくそのきっかけは、つまらない日々を支えてくれた作家たちへの憧れだった。本屋に行っては熱心に知識を探し、寝る間も惜しんで物を書いた。最初は自分は天才だと信じ、その未来を想像しては楽しんでいた。ただそれは次第に、挫折を経験するたびに、変わり果てたのだ、稼ぎ方にこだわっているだけの亡者へ、そしてその理由を善意だと妄信する悪魔へと。



――――悪魔の赤子は可愛いだろう。夢というのはまさに小さな自己欲望でしかなく、最初は輝いて見えるものだ。しかしそれは徐々に育ち、自分を呪う存在へなる。それが膨れ上がって嫉妬へ変わるとき、もう夢は殻ばかりでとっくに悪魔になっているのだ。

 仮にその先で誰かが救われたとしても、ただの相乗効果に他ならず、善意によるものではない。むしろ善意に見せかけた自己満足だ。

 誰かを不幸にしてでも叶えようとするか。今その夢は大きな欲望に、まさしく悪魔に変貌しようとしているのに。



―――あとがき―――

僕にはこの主人公の気持ちに共感はできないです。むしろ本編は自分の嫌いな人間が書いた小説なのかもしれないです。


ただ現実として主人公と似た心境の人間はいるでしょう。仮にいないとしてもそれを人間法則的にあり得ないと見なすのは、むしろこの主人公と同じになってしまう。

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