第12話
――ミネストローネを作ることにした。
桃子は野菜室から根菜とキャベツ、きのこ類を取り出した。買い物した分、ありったけだ。大量に料理してしまいたい気分だった。
包丁とまな板を準備する間、たまは大人しく手を洗った。耳としっぽのコスプレをしたただの子供の仕草だ。
冷蔵庫からベーコンを取り出した。特売になっていた短いのが三連パックになったタイプだ。たまの前にカッティングボードを置く。木製のまな板とは別に、ちょっとしたもの、果物なんかを切るために使う小さいプラスチック製の白い板だ。
「たまちゃん、これを五ミリ幅くらいに切ってくれる?」
と包丁を示した。
「お? 獲物……刃物を使ってよいのか?」
たまの赤い目がきらんと光った。
「子供の手には余る? 物理的に」
「舐めてもらっちゃ困る。わらわは金物も握れぬはした式神とは違うのじゃ」
そう言って二本ある包丁のうち一本を手に取り、危なげなく刻みはじめた。手つきはしっかりしている。ただスピードが遅い。
桃子はつべこべ言わずに野菜類を並べる。かぶ、にんじん、じゃがいも、玉ねぎ、きのこ類。残りものは昨日始末してしまったから全部新しい、三個か四個ずつパックされたものだ。
「なんと今回はこれを全部使って作ります」
「多すぎんかの?」
「それを何日かにかけて食べます。冬と言えばスープ、煮込み系料理。そしてそういうのはたっぷり作った方がおいしいのよね」
「ほえーん」
話している間も手元か目を離さない賢さがある分、たまは五歳の桃子より確実に賢い。
桃子はまな板の上で玉ねぎを一センチ角のあらみじんに切り刻んだ。トントンという桃子の包丁の音と、たまの包丁のスッ、トンッとぎこちない音。
「寒い日には常備スープがあるとホントにラクなんだよね。二十代の頃に覚えたんだけど。そのとき食べるぶんだけよそってあっためるだけ。助かる」
「家も暖まるしのう。――昔は囲炉裏の火だけが唯一の暖での、みんな揃って身を寄せていたもんじゃよ」
「たまちゃんって何歳?」
「いつつ」
「表情変わんないんだもんなあ」
たまが一生懸命カッティングボードと包丁に集中している横で、桃子は鋳物鍋を火にかけた。分厚い鉄の層が煙を出すまで加熱する。にんにくをみじん切りに。オリーブオイルを入れ、馴染ませる。植物油が十分行き渡ったら、にんにくを投入。
「いいによい」
たまは鼻をひくつかせた。手元に山となったベーコンを、流しの上の水切りラックにあった小皿を取って移しかえる。
はい、と小皿が手渡された。にんにくの香りが立った鍋に、桃子はたまの刻みベーコンをどっさり一気に入れる。じゅうじゅうと肉の脂が出て、にんにくは早くも茶色くなっていく。
「ぱちぱちじゃのう。肉と塩気の味がするのう」
とたまはペロペロ舌で空気を舐める。嬉しさのあまり犬のような笑顔である。
「牙が出てるよ、たまちゃん」
「おっと」
玉ねぎのみじん切りを投入。塩を振りかける。混ぜる。じわじわじわ、玉ねぎの甘味とベーコンの脂がもっと出るまで待つ。火加減は中火。
「というわけでここからは延々と手を動かします。具体的にはすべての野菜を角切りにするの。やればいつかおわるから、やるよぉ」
たまは生真面目に頷いた。しっぽが上機嫌にぱたぱた振られる。
桃子はまずかぶのお尻を切り捨て、葉っぱも根本ごと切って離した。転がらなくなったかぶをひとつ、たまに渡してやり、やり方を見せながら角切りにする。合間に鍋をかき混ぜるのを忘れない。次第に野菜の甘い香りが広がった。
にんじんを先に細長く切ってから、ざくざくと角切りにするやり方。じゃがいもの芽と根と効率よく取る方法。きのこの食べられる部分はどこからどこまでか。
たまは目をキラキラさせながら桃子の説明に聞き入り、物覚えよく一度で全部を覚えてトントンと包丁を振るった。いかにも楽しそうで、見ようによっては親からはじめて料理を教わる幼児だ。桃子にたまの過去や背景を詮索する気はないが、彼女が知りたいと思うことを知るのが妨げられなければいいと思う。
……二人ともすっかり存在を忘れていた桜史郎が、香りに釣られたのかひょっこり顔を出した。キッチンが一人と一匹でいっぱいなのを見、桃子の肩越しに鍋の中を見て、することがなく手持ち無沙汰にうろうろしている。
「そこの棚の上からトマト缶出して、封を切っておいて」
と桃子は冷蔵庫の横のキャスター棚を目で示す。
「いくつ?」
「二缶」
「んー」
がらがらがら。ごそごそ。ゴトン。あ、落とした。
桃子は黙って唇をきゅっと噛み締める。たまは半眼になって耳を伏せる。二人ともトンタンひたすら包丁を使う。
玉ねぎは茶色になる一歩手前に透き通っている。ベーコンはくたくたになって分離され、いかにも降参しましたといった風情。
切ったら種類ごとに野菜を鍋に入れ、そのつど塩をして上下を返すように混ぜる。野菜の水分が蒸発してじゅわあと湯気が立ち、はじめはなんでもなかったそれが甘い香りに変わっていく。
「桜史郎、コンソメキューブ出して」
「了解ぃ」
野菜が全部入り終わった。もう木べらを入れるのも難しいほどみちみちである。
桜史郎から口の空いたトマト缶を受け取って、というより奪い取ったたまが中身を鍋に注ぎこんだ。ホールトマト缶だから入れる前に手で潰すとよかったのだが……まあやる気をそぐこともあるまい、と桃子は笑顔で見守る。
桜史郎に指示してキューブを三つほど入れさせて、
「これの数と材料の容量は比率で決まってないの?」
「細かい子ねえ」
「そうじゃぞ。モテんぞ」
「……」
がこん、と重たい蓋を閉めた。ぐつぐつと振動が手に伝わってくる。
「しばらく煮込んで、最後にパスタを入れて完成」
「わかったのじゃ」
「水入れないでコゲないのか?」
「野菜から水分が出るし、さっきトマト入れたでしょ? 大丈夫よ」
「ふうん」
子供二人が鍋の様子を見つめる。たまが人間の料理を物珍しがるのはともかく、桜史郎がこの家に来るまで料理を見たことがないのは本当のようで、それは桜子が料理嫌いの女だったというだけでは説明できない、なんだか深い闇を感じる桃子だった。
(桜子、あんたの嫁いだおうちは色々時代錯誤だったかもしれないけれど、桜史郎はいい子よ、ほんとに。……あんたが見つかるまで私で守り切れるといいんだけど)
小一時間ほど三人はおのおの好きなことをして過ごした。
鍋は弱火にされ、ふつふつと湯気を立て続け、やがて桃子はその蓋を開ける。
「よし。最後の仕上げね。好きなパスタを選んでくださーい」
「誰が? 俺が?」
「ハイ、わらわやりたい。が、桜史郎がどうしてもというなら譲ってやらんでもない」
「なんでそんな本気でしぶしぶなんだよ……。いいよ、選べよ」
桃子は百均のプラスチック容器に入ったパスタの袋をたまに見せた。たまは本気で悩み始めた。
桜史郎が興味津々に覗き込む。溢れそうなほどの赤いこっくりしたスープは、とろとろと光り油分が分離して踊る。
「なんでこれこんな脂まみれなの?」
「ベーコン入れたでしょ」
「あ、そっか。……じゃあこれまで俺が食べてたあの赤いスープはなんだったんだ? 肉は入ってたぞ。なのに脂が全然なかった。そういやトマト味でもなかったな」
と、また怖いことを言い始めた十五歳である。
ちょっとしたかわいい食材を集めるのが桃子のちょっとした趣味だった。パスタなら今たまの前に並べられているように、ちょうちょとか、貝とか、星やリボンの形の。角砂糖なら果汁で色と香りをつけてあるの。紅茶もコーヒーも広く浅く、メルヘンな宣伝文句の小さなパックの茶葉やドリップバッグを買ってストックし、楽しむのだ。どうせ消費するのなら多少ぜいたくしてもいいだろう、という意識がいい具合に財布のひもを緩めてくれる。外食したらとんでもない額になる食材でも、自分で作ればそこそこに抑えられるものだし。――もっとも、生活費の増大により、この趣味は今のところいったん中止状態だが。
たまはやがて顔を上げて一袋を桃子に差し出した。
「これにする」
色とりどりの星の形のパスタだった。日本語の説明書きシールがべしんと不愛想に裏面に張られた外国産である。
「いいじゃないの!」
さて、残念ながら下茹でなど無用なことはしない。明けない夜がないように、いつか茹で上がらないパスタもない。桃子は星のパスタをミネストローネにそのままざららっと投入した。裏面の表示時間プラス三分ほどぐつぐつと煮込んだ。
さあできた、というときになって、
「今日ってこれだけなのか?」
といらんことを言い始めたのはやっぱりというか桜史郎である。この――この、十五歳の、いいとこのボンボンの、跡取り長男一人息子め。
「おばちゃん月曜日から仕事が忙しくなるの。年末だから。あったかくてこれだけで一食すませられるってものが鍋いっぱいにあることがどんだけありがたいことか。いつかあんたにもわかるでしょうよ」
「作ってもらっておいて誠意がないぞえ。思えばおぬしは最初からそうじゃった。せっかく穂宮に駆けつけたんになんの武器も持たず……わらわを目覚めさせたからよかったものの、あのまま渦宮に殺されてもおかしくなかったのじゃぞ!」
「今その話は関係ねえだろ……」
「ちょっと待って何それ聞いてないわよ」
ぎゃあぎゃあ言い合いながら桃子は深い平皿にスープを盛り付け、三人でいつもの席についていただきますをした。粉チーズとコショウが取り出され、桜史郎とたまは口の周りを真っ赤にして食べた。――と思ったら、指摘されるまで気づかなかったが、桃子の口も似たようなものなのだった。
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