第10話
水を抜かれた田んぼにチラチラと陰がある。鳥っぽいけど名前まではわからない。桃子はそっちを目の端に見つめながら前を向いて歩く。
「お前のじいちゃんと渦宮のじいちゃんは敵同士だったんだよ。白黒つけずに死んじまったの。わかる?」
「だからって襲われるいわれはないよねえ……」
「バーカ。因縁っつうのは何百年も続くんだよ。機会さえあれば相手を全滅させたがるんだよ。ちょっと事情が違えば襲ってたのはお前の父ちゃんで、死んでたのは渦宮の連中だ」
「外法師、って人たちは、倫理呪言委員会に入ってないの?」
「だから外道で外法なんだろうが」
チラホラ店舗が増え、住宅街に入り、電車の音が聞こえてきた。室井は足を速め、蔑んだ目で桃子を見下ろしてさっさか歩いていく。
もう二度と戻らない飼い猫が死に場所に向かう背中のように、桃子には思われた。
「波ノ宮くん家は陰陽師? じゃあ、奏汰くんは……」
「宮ってつく名前は陰陽師の名門だろうが。常識だぞ。あのガキは――どっかの誰かの隠し子で、お前の甥と張るくらいの天才だ。冬宮がそりゃあ欲しがるはずさ。鉄口の女ガキを近づけたのも、大方冬宮の上の方の連中の思惑だろうよ」
「やっぱり冬宮は子供の保護施設だけじゃないんだね? 冬宮に所属させられてると、何か後ろ暗いことをやらされるって本当なの。優希ちゃんはあそこにいて大丈夫なのかしら」
「お前さあ」
室井は足を止めてぐるりと桃子に向き直った。駅は寂れていたが、それでも人通りはそこそこあった。休日の昼間、これから遊びに行く人、帰ってきた人。周りの通行人はスマホや通話や目の前に意識を集中させ、二人のことは誰の目にも止まらない。
「能力もねえくせに首突っ込んで、死にたいなら止めないけど」
「私は確かに何も知らない。でも子供がひどい目に遭うなら見過ごせないし、家族が戦っているならそのことについても知りたい。それが悪いことだとでも?」
足を踏ん張って仁王立ちする桃子に、室井は深いため息をついた。胸元をごそごそやり、ン、と名刺を出してくる。
「なんか知りたいことあったら連絡しろや」
「急に優しくなって、何」
「タダでは教えねえ。金払うなら教えてやる」
桃子はメールアドレスと電話番号の書かれた室井の名詞をポケットにしまった。肩書は陰陽師ではなかった。なんの肩書もなかった。
倫理呪言委員会は会社ではない。ただの陰陽師の統制機構だ。室井は何者でもないのだ。
「わかった。また何かあったら連絡する」
頭を下げた桃子に返礼を返さず、駅の改札へ進んでいった。一度も振り返らない。桃子も同じようにした。
食べて帰ろうかと思ったがぜんぜんその気にならない。桜史郎たちは今頃どこにいるだろう。お小遣いは渡したものの、ご飯を抜いてゲームセンターに使わない保証はない。桜史郎と奏汰の二人、どうやら随分ネットゲームにのめり込んでいるようなので。
「まあ優希ちゃんがいれば何かは食べてくるか……」
というわけで、帰ろうと思った。時刻は昼の十二時過ぎ。国道沿いのファストフード店にもチェーン店にも老若男女がひしめいている。ハンバーガー、うどん、揚げ物、しゃぶしゃぶ、カツ丼。商業ビルに出入りする人垣から逃れるように桃子は足を進めた。
家に帰った。手洗いうがい。ついでに着替え。着ていったこの服はもう捨てていいかな、と思う。ボロボロにけば立っているし、ほつれもあるし。
冷蔵庫を開けて残り物の野菜を全部出す。にんじん半分、チンゲンサイ一把、えのき半分。今日の晩ご飯は鍋と決めているので、昨日買ってきた新しい方の野菜は全部そっちに入れる。桜史郎はまたかよと文句を言うんだろう、と思うと少し笑えた。
雪平鍋にお湯を沸かすのはもはやルーティンだ。小さな蒸し器をコンロ下の収納から取り出した。はるか昔に百円ショップで三百円だったセイロだが、ぜんぜん壊れないので重宝している。
セイロを水で濡らす。適当にざく切りにした野菜を敷き詰め、冷凍庫からタラの切り身を取り出してその上に乗せる。一切れだけラップのまま冷凍庫の片隅に転がっていてずっと気になっていた。
お湯が沸いたらその上にセイロを乗せ、強火で七分もすれば魚も溶けるだろう。その間に冷凍ご飯をレンチン。お茶碗に盛る。
蒸し上がったらセイロごとテーブルへ。ポン酢を小皿にとって、ちょっと柚子胡椒。箸は適当でいいや。
「いただきます」
心がぐしゃっとなって、普段の形と異なっていた。室井から聞いたこと、噂話が事実だったこと、それから――桜史郎の両親、妹夫婦のこと。スマホを箱ティッシュに立てかけて動画を見ながら、心あらずに完食する。それなりにおいしかった、と思う。
セイロはシミなどがつかない限り洗剤で洗わなくていいと聞いたので、それを実践している。水とスポンジだけであらかた拭ってしまうと、実質洗い物は茶碗と箸だ。ありがたい。
それからは家のことをしたり、改めて金銭の計算や支援金のことなどを調べて日が暮れた。
乾いたセイロをしまおうとして、そういえば、と桃子はしゃがみこんだ。セイロの隣にあるパスタケースの中身が全然減っていない。
「うふ、うふふふ……」
ついつい笑い出してしまう。パスタは一人ぶんなら楽だが二人ぶん以上を作るなら何か別のものでも作るか、となる。
中身がみっしり詰まったパスタケースはご褒美のようだった。一人で生きていくことに不満はなかったし、寂しいと思ったこともない。けれど――一緒の家に帰ってきてくれる人がいるなら、それもまた幸せだ。それは桜史郎たちが桃子のところに来なければ経験できなかったことだ。
「そうだね。今に不満なんか一つもないもの。私は、ここで頑張るの」
と一人ごちた。ますます決意が固まった。才能があるとかないとか、一族の一員だけど本当の意味では部外者だとか、それが悲しいだの悲しくないの。そういうのはいったん、横に置いておいて。桜子の代わりではなく桃子は桃子として、桜史郎たちを支えるのだ。
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