第9話
十二月五日。
気づけば食器と衣類が爆発的に増えていた。そして貯金のゼロが一個減っていた。
「パンクする……収納がパンクする……」
桃子は頭を抱える。
「そんで通帳が痩せ細る……っ」
午前十一時。家の中で一人。今日は土曜日である。
桜史郎は奏汰、優希と共に部活動を始めた。その名もオカルト部。近隣で人に害をなす幽霊とか怪異をこらしめるのが活動内容なのだそうだ。
「それって学校の認可受けてるの?」
と桃子は訝しみ、桜史郎は言葉を濁した。
「認可とかは重要ではない」
「じゃあ部活じゃなくて同好会じゃない?」
「うーっるっさいなあ! もう!」
という具合だった。三人は今日も街を歩き回り、ささやかなものからバトルが必要なものまで、人々のお悩みを解決するらしい。
「くれぐれもケガだけはしないでよ」
「ハイハイ。いってきまーす」
と見送ったのが十時前のこと。
改めて自分用のパソコンを立ち上げ、財務状況を直視して頭を抱えた今。
(とりあえず死んでも桜史郎に働いてとは言いたくない)
のは確定。
(バイトしようかな……体力がもたないか。節約かあ。でも肉は食べさせてあげたい)
ひとまず、きちんと家計簿をつけることにしよう。どんぶり勘定じゃなくて。桃子が家計簿アプリの評価サイトを立ち上げたときだった。
ピンポンピンポン、と立て続けにチャイムが鳴った。そういえばこんなこと前にもあったな、と桃子は階段を降りる。
「はいはーい」
チェーンを外そうとする手が止まって、いったんスコープで確認した。
「げっ」
室井真弘だった。幼馴染だが高校以来接点がない。駆け落ちしたとかヤクザに追われてるとかいろいろ噂があった元同級生だ。地元から消えた以外の情報を本気で知らない。よって桃子は静かに静かに扉から離れて、居留守を決め込むことにした。
――ピンポーン。
玄関脇の物置に使っている部屋の中に、そういえば小さいカラーボックスを入れていたかもしれない。
――ピンポンピンポンピンポン。
引っ張り出せばひとまず小物の収納に使えるだろうか……。
――ピンポンピンポンピンポンピンポ、
「……何の用!?」
桃子は観念した。室井はちょうど扉の開閉ルートの外ギリギリにいて、よっと道で会ったみたいに手を上げる。
「久しぶりーい。覚えてるー?」
「ギャルみたいな声出してんじゃないわよ……」
「あははははは。まあまあちょっと話だけさせてよ奥さん」
飛び込み営業マンみたいな猫撫で声である。桃子はぞっと鳥肌が立って身を引いた。室井はその隙間をずずいっと詰めてくる。ガラの悪い野良猫みたいな男だった。
「誰の奥さんでもねーよ」
桃子は踏ん張って家の中には入れない。こういうとき近所の目がないというのは困ったものだ。後手に持ったスマホを握りしめた。緊急通報システムの使い方を思い出しながら。
「おお怖。お前ひょっとしてフェミニスト?」
「用件だけ言って」
「これ」
差し出された通帳を桃子は反射で受け取った。二通ある。ご丁寧に間にカードがはさまっている感触もする。
「ご両親が桜史郎クンに残したお金と、あんたのご両親からのお金だよ。使い方は任せるって伝言だ」
「……何を言っているの? なんであんたがこれを持ってきたの?」
桃子は焦りとともに室井に詰め寄った。
「親戚でもなんでもないあんたが? どうして」
室井はにやりとした笑み浮かべ、
「俺は一族の鼻つまみ者でね。倫理呪言委員会には睨まれてるし。こういう下っ端の使いっ走りみたいな仕事しか回ってこないわけ。その分マスコミみたいに情報は集まるんだけど。あの【はぐれ】、うまいことこの家に取り入ったみたいじゃないか」
桃子は室井を睨みつけた。心の中で二人の自分が戦い、結局より大きくわめいた方が勝利した――知りたい、と思った。ほとんどはじめて。諦めていたことを。今までにない欲求が自分の中に膨れ上がる。
「車で来たの?」
「お?」
「足が見当たらないけど歩いてきたの? 駅から三十分よ、ここ」
室井はいやなものの匂いを嗅いだ猫のように顔をしかめた。
「軽い運動だよ。悪かったね」
「じゃ、ちょっと歩かない。駅まで送るわ」
「はあ?」
「知りたいことと聞きたいことがあンのよ。ちょっと待ってなさいよ、コート取ってくるから」
それでばたばた二階の自室に入って玄関に戻ると、室井は律儀にそこで待っている。姿を消すかと思ったのに、猫みたいに。
着古しのジーパンに、いつ買ったかも忘れたトレーナー。その上に通勤用のベージュのコートを羽織った。近所のスーパーにしか外出できないような恰好だが、どうせ相手は室井だしいだろう。
「行くわよ」
室井は歩き出す桃子に苦虫を嚙み潰した顔で従った。彼の心の声がわかるような気がした。
桃子はかつて、室井のことが羨ましかった。今でこそ田んぼの真ん中より路地裏をうろついている方が似合うような小汚さだが、学生時代の室井はちょっとしたもんだったのだ。いじめられっ子だった小学校まではともかく、中学生のガリ勉室井だった頃、彼は全国模試でも上位だった。東京の大学に行くのを目指していたのに。
桃子の成績はといえば中の中か下だったから、彼ほど賢ければどれほど人生に選択肢が増えるだろうと夢想したものだった。結局、東京の大学に行かせてもらえたのは桃子だった。室井は奨学金を借りるのに親の年収がネックになって、そこからどんどんやる気をなくし、落ちぶれていった。
――かつて被害者であった者も、他を脅かし始めれば加害者である。
自分が一番なりたくない姿になった室井を視界に入れたくなくて、桃子は速足に歩きながら質問を繰り出した。後ろを見なくてもついてくる足音はわかった。
「敵って何? 誰? 桜史郎が言ってた、渦宮ってとこ?」
「そうだよ」
「ウチと同じような陰陽師のおうち?」
「……違うよ」
一拍の間があった。桃子は振り返った。遮る物が何もない田んぼの上を、冷たい風がビュウと吹き荒れる。電信柱が揺らぎそうなほどに風が強く、だから今日は洗濯物を真ん中の部屋に干したのだ。
「渦宮の奴らは外法師だ。陰陽師では扱わないような異様な術を使う。それでも目的は一緒だ、人外どもが人に仇なすのを防ぐ。そのために力を使う」
「目的が同じなら、なんで」
「そんなもん国同士の戦争だって同じだろお前、女子大行くようなやつはこれだから視野が狭いんだ」
室井はヘッヘッヘと肩を揺らした。
桃子は悲しくなった。これだから彼とは話したくなかったのだ……秀才だった少年の面影が、こけた頬の男にかぶる。
「外法師は外道だから外法師なんだよ。禁じられている術を使うんだから、一緒にされてたまるか」
――陰陽師の一族は星の数ほどではないが、それでも百を数えるほどには、いる。度重なる自然災害と政変、戦争を乗り越え、むしろ現代に至って増殖していると言っていい。
現代は素晴らしい時代だ。桃子のように半ば家族と縁切りした女が一人で生きていける。こんな時代がかつてあっただろうか! 月の光は蛍光灯に取って代わられ、商品が代替わりするたびに強く長持ちするようになる。その反対に、忘れられた不思議も闇の粘度を増す。
高校生の子供たちが自主的に見回り調伏をしなくてはならないほど、現代に氾濫した幽霊や妖怪、奇想天外な人外どもの攻勢は激しい、らしい。
桃子には見えない世界の話であり、室井にも見えない世界の話だった。
室井の家は何代か前に大陰陽師がいた、それだけの家系だった。しかしその男がくせ者で、安倍晴明の生まれ変わりとも称されるほどの天才で、かつ多淫だった。男の隠し子は増えた陰陽師の家系の数だけいたとも言われる。室井の祖先はその中の一人だ。
「室井って今の肩書は陰陽師なの?」
「ハァ?」
彼が明らかに不機嫌になって黙り込んだので、桃子はあちゃあと思う。
陰陽師の素質がまったくなかった桃子は実家と縁切りするだけですんだ。だが室井には中途半端に素質があったのだ。完全な無能ではなかった。だから室井家は彼を利用しようとした。立派な陰陽師におなりと言って押し付けた。彼は進学と就職によって逃げようとして、頓挫した。
室井の刺すような視線が桃子の背中に突き刺さる。ここは人っ子一人いない田舎の田んぼの道で、アスファルトと電柱が延々と続き、たまに通るトラクターとタクシーを除いて人目はない……と、思わず自覚してしまうほどの視線だった。
「なんで穂宮が襲われたんだろ。知ってる?」
と言ったのは、話題逸らし以上に本音だった。
長い沈黙のあと、室井はぽつんと言い放った。
「目立ちすぎ。お前の父ちゃんは出世するし、桜子サンはえらく才能あるのを産むし、渦宮との禍根を蔑ろにしすぎたんだろ」
「禍根って?」
「は? 自分の家のことなのになんも知らないの、お前。ホントにのけ者にされてたんだなあ!」
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