第4話
「どう?」
と小皿に乗せた一口の半分くらいをたまに試食させると、耳がとろんとなったので合格らしい。
「うまいぞ」
「よかった。じゃあ包もうかあ」
桜史郎の意見はわからないが、まあ味が合わなければ酢醬油なりを付けて食べればいいのである。
ボウルの中身をもう一回フライパンに戻し、炒め合わせ、水溶き片栗粉を入れて全体にとろみがつくまでぐつぐつ煮る。斜め後ろから桃子の腰に抱き着くようにフライパンの中身を見つめるたまに、幼い頃の桜子がダブった。
「あとは粗熱が取れたら巻いてくよ」
というと目を輝かせて、
「手伝うのじゃ。わらわもやるのじゃ」
と小さい声で興奮ぎみにまくし立てるものだから可愛らしい。
――こういうのは彼女たちのような存在が人間を誑かすときによく使う手、らしい。桃子が知っているのはそのくらいだ。両親も桜子も、あんたはすぐに騙されて殺されるから無視しなさいと言っていた。
とはいえ、甥っ子が連れてきた女の子の姿の狐に騙されて殺されるんなら、そりゃもう仕方ないだろうと桃子は思う。それでもいいとさえ思う。あんまり痛いのも苦しいのもいやだけど、信じると決めた以上、自分の選択の責任は自分で取りたい。
小さな四角いテーブルにラップを敷いて、春巻きの皮を並べる。桃子の手元を見つめるたまの視線を感じる。ちらっと見るとにこっと笑うので、まったくただの子供にしか見えない。騙すとか騙されるとか、そういう世界と無縁の顔にしか見えないのに。
「じゃ、包む作業しまーす」
「お手本に先に見せておくれ」
買ってきたお子様用の椅子が、ちゃんとキッチンの対角に置かれている。角度調整可能、中学生くらいになるまで使えますのやつだ。たまも気に入ったようで、さっそくそれに座って春巻きを包んだ。
水溶きした小麦粉を接着剤に、くるっと丸めてぱたぱた端を折って……。桃子の指示をたまはよく理解した。思ったより早い時間で終わりそうだった。
さっきから二階でうあー! とかぐえー、とか桜史郎が一人で騒いでいるのに、二人とも触れないでいる。何やってんだあいつ、あの子。と、お互い思っている。
たまは案外器用で、手の小ささを差し引いても上出来だった。最初の一個こそ苦戦していたものの、後半に作った分は桃子がくるんだ春巻きと遜色ない。
深い鋳物鍋にサラダ油を注ぎ、桃子は温度を確認する。揚げる準備が整えられると、野菜室からパプリカとかぼちゃを取り出した。細長い形に切り分けて、
「これ素揚げするとおいしいんだよね。先に揚げちゃお」
「酒に合うかの?」
桃子は首を傾げウインクした。
「合うよお」
「うふふー!」
揚げ油がキラキラときらめく。ふつふつ泡が立つまで煮えた油の中で、野菜はちょっと焦げ目がつくまで、春巻きはきつね色になるまで丁寧に揚げられた。
丸い平皿にグリーンリーフを敷いて、春巻きと揚げ野菜を盛り付ける。
「桜史郎呼んどいで」
「桜史郎ー! ご飯できたわえ! 早ぅ降りてくるのじゃ!」
雪平鍋にお湯を沸かし、顆粒出汁ともやしを入れる。汁物はこれでいい。
残った揚げ油をオイルポットに濾し入れて、テーブルに並べ終えると立派な晩ご飯である。
「――よしっ」
「えっ、マジで春巻き作ってくれた。ありがとうおばちゃん」
と言いながら入ってきた桜史郎は、目を輝かせつつまとわりつくたまを手でいなしている。少し年齢の離れたきょうだいのようだった。
桃子はいつもの席に、桜史郎はその前、たまは子供椅子に座った。今日の食卓は人数分のお茶碗とお椀が揃っている。昼にちゃんと洗って、乾燥させておいたのだ。なんとなく揃えて手を合わせ、
「いただきます」
「……ます」
「いただくのじゃあ」
食事が始まった。たまと桜史郎は揃って春巻きに齧りついた。おっ。桃子は汁椀を啜りながら様子を伺った。
「あっふ! あふ、うまいのじゃー、とろっとしてシャキッとして、肉の味がするのじゃぞぉ。それでもって油がじわっと染みて、滋養の味じゃあ」
「あーよかった。油っこくない?」
「サックリしててうまいのじゃ!」
「桜史郎は?」
と見ると、目を開いて固まっている。もぐもぐすぐに咀嚼したところを見るに、まずいわけではないだろうが……。
あっという間に春巻き一本を食べ終えて、桜史郎はびっくり顔のまま桃子を見た。
「中身が、キャベツだった」
「え? うん。あっ、ひょっとして中華屋さんみたいなタケノコとキクラゲが入ってるのを想像してた?」
「ウン。食べたことあるのは全部それ――あっ、うまいよ。文句言ってるわけじゃないから」
「ああいう本格的なやつは、ウチでは作りませんねえ」
桃子はいい気分だった。ビールがあったらくいっといきたいくらい。
桜史郎は小学生みたいに盛んに頷き、鼻の下をこすってもう一本の春巻きを箸で取る。
「不思議だ。知ってる料理なのに味が違う。これ、味、味噌? 食べたことない味。でも好きだ」
「同じ名前の料理ならなんでも一緒の味なわけあるまいて。わらわでも知っておるわい、そんなこと」
たまは呆れたようにしっぽを振った。
食後の食器洗いは桜史郎に全部やらせた。本人は、そりゃあ大事にされてきた陰陽師の名家のご長男だから、なんだかとっても言いたそうな目つきをしたものだったが、
「居候がとやかく言うんじゃありません。やり方がわかんなかったら聞きなさい」
と言えば素直に従う。根っこのところに穂宮の家の血筋を感じた――実家は今思い返してみると、封建的なところが残りすぎていた。親戚なんか児童書に出てくる陰険な親戚そのものだった。
というか、逆に考えれば両親が『解放』されすぎていたのかも。
お風呂の準備ができたのでたまを入れようと思ったら、
「一緒に入ろうなのじゃ。どうせあやつは食後にもやりたいことがあろう」
としたり顔である。
「一人でも入れるのに?」
「おば――桃子とわらわで入りたいのじゃ! いかんか?」
「いいよー」
ということになった。
ガラスコップを持って手を泡だらけにしながら、肩越しに桜史郎が口をひん曲げていた。
そんなわけで今、桃子は膝にたまを乗せて湯舟に浸かっている。
「極楽じゃー」
「そだねー」
小さな身体が自分と同じ動きをするのが面白かった。子供ってこんな感じなのねえ。
桃子の心を読んだのかもしれない、たまは桃子の鎖骨に頭を預けて上目遣いにこっちを見る。
「桃子は結婚せぬのか?」
「しなかったねえ」
「子供もいらぬと思ったのか。……子供には霊力が発現する可能性もあったのじゃぞ」
桃子はくすくす笑った。
「いやだなあ。そんなんじゃないよ。私は一人が楽しくて、そのまま来ちゃったの」
「ふうむ。そういうのも許されるとは。いい時代じゃのう、今は」
「ほんとにね。戦争もないしね」
「ま、それはいつまた起こるかわらかんし。今や、『こっちの世界』は戦争に突入したようなもんじゃ……慎司と桜子は生きておるぞ。だがおぬしの父母は、桜史郎の祖父母は、わからん」
「そっか。ひとまず、よかった。教えてくれてありがとう。気になってたの」
「桜史郎には、聞けんものなあ。あんな小僧っ子」
「連れてきてくれてありがとうねえ。あなたがついててくれたからあの子、うちまで来られたんでしょ?」
桃子はたまの白い頭に顎を乗せる。今は濡れてしょんぼりした耳が頬に当たる。
「たまちゃんがいなかったら敵討ちに飛び出ちゃって死んでたんでしょう」
「……わかるんじゃなあ」
「血がつながってるからね」
うんうん、とたまは頷く。長い時間を生きた老人のように知恵のある目で桃子を見つめ、
「おぬしのような子が身内にいてくれて、桜史郎は幸せものじゃわえ」
と微笑んだ。石鹸の香りに満ちて、この空間ではたま本人の匂いを確認するのは難しい。
もしも桃子が桜史郎を裏切れば、たまの牙にかかって殺されるのだろう、と確信した。
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