第5話
合奏の旋律は魔物たちを追い払う効果がある。そう言うわけで鼓笛隊を最前列に進むのは、大陸中の兵隊を集めた大兵団だった。魔王の城に向かって行く私――魔法補助役カナイと、勇者ニライくん、賢者クルスくん、剣士はアルジャータで聖剣を引き抜いたもとは吟遊詩人たちの護衛人だったと言うマリンさんだった。ちなみに女性である。だけど魔法を使うニライくんと同等の力があるのだから、とっても頼もしい。案外パーティは偏らないものなんだな、と思わせるには十分な強さをしていた。
ニライ君は今年で十八歳。私は保育士を辞めて魔力を溜める修行――と言う名の餌扱い――をさせられてから五年になる。賢者であるクルスくんが十二歳と若いのはちょっと異色に見られたけれど、実力は十分に育っていた。先生のお陰で六年分飛び級してるようなものだからね、とは本人の言。本当は前世の記憶で基礎魔法は出来たんじゃないかと思うのが私の見解だ。まあ偏った育ち方をしていないのは良いことだったらしいけれど。
私にとってはまだまだ園児だった頃の印象が強いけれど、感じられる魔力はその頃を大いに凌いでいる。そして何より、勇者の共として、友として、彼は十分な素質を発揮していた。雄弁に語り各国の軍をまとめ上げたのも、クルスくんの功績は大きい。
一方私は見る人が見ると『うおっ、まぶしっ』と言われる程度に魔力を溜められる身体になっていた。園児たちの先生辞めちゃうの? と言う声に後ろ髪を引かれつつ無理な修行をさせられたからだろう、魔力の受け渡しだって経口接触じゃなく手を触れるだけで十分になっていた。とは言え一番手っ取り早いのが経口接触なのは変わらず、私はクルスくんやニライくんと不本意なキス練習が待っていた。最初のニライくんがしたようなご無体ではないにしても流石に人権無視だろうと訴えたら、あなたにそんなものありませんよ最初から、と言われ、愕然としたものだ。
勇者は魔王を倒すもの。賢者はそれを助けるもの。剣士は彼らを守るもの。『ギフト』は人々の役に立ってこそ意味がある。郊外の保育士さんでいたかったなあと言うささやかな望みに泣く日もあれば、ニライくんやクルスくんがベッドに潜り込んできて温もりを分け合うこともあった。園児たちとのお昼寝を思い出して寝ぼけながら子守唄を歌うこともあれば、歌われることもあった。この戦争が終わって五体満足だったら、やっぱり私は保母さんになりたい。
しかし女王のドレスを着こなせてしまう私に、そんな権利はあるのだろうか。持ち主の魔力を鎧に変えるドレスだと言われた。だから多分、足手まといにはならないだろう。あくまで多分だから自信はない。私とニライくんを乗せた馬はカッカッと軽快なリズムで魔王の城まで進んでいく。鼓笛隊の音色を前に。
「ねえニライくん」
「何だ、先生」
先生呼びは相変わらずだ。彼の先生だったことなんてほんの一日だけの事なのに。それどころか時にはベッドで色々仕掛けてこようとする子に育ってしまった。幸い妊娠は避けられたけれど、今日これからはどうなるか分からない。
「この戦争が終わったら、何がしたい?」
「保育園の先生」
存外の答えと即答ぶりに思わず息を呑んでしまう。そうするとそれが伝わったのか、ニライくんはくっくと喉を鳴らして笑った。
「だってそうすれば、また先生と一緒に居られる」
夢は夢だ。勇者になった彼には相応の地位が与えられる――押し付けられると言っても良いだろう。それは多分私達勇者パーティ全員に行われることだ。クルスくんはご両親があの様だから息子を誇ってくれるだろう。マリンさんは親が必要な歳じゃあないけれど領地なんかを貰ったりするのかもしれない。ニライくんは近衛師団長なんかが似合うんだろうな。私はやっぱり、保母さん以外思いつかないけど。市井に戻してくれるならそれで良い。それが良い。
政争に巻き込まれることもなく、魔王の領地の割譲にも拘らず、ただ小さな手が求めてくれるあの場所に戻りたい。その時はもう紋章鑑定もしない。ただの先生として一生を終えることが出来たら幸せだろう。私の最も重い罪は、安易に自分の魔力をばらまいていた事だろうから。変に能力の覚醒なんかさせなくたって良いんだ。自分の能力は自分で見付けて、自分の道は自分で選べるようになれれば良い。誰にも頼らず誰にも縋らず誰にも歪まされず。誰にも邪魔されず誰にも押し付けられず誰にも過度な期待をされずに。
そう言う自分を保っていられれば、それで幸せになれるだろう。誰の所為でも為でもない自分の人生だ。それが解っていなかったから私はこんな所にいる。魔王城は目の前だ。ぎゃあぎゃあ騒ぐガーゴイル、鼓笛隊の音楽に倒れて行くゴブリン、スライムを掻っ捌いていく兵士達。私がニライくんのお腹にギュッと掴まると、ニライくんはマリンさんとクルスくんの馬に合図を送った。
突入だ。場所は前世と変わっていないらしいけれど、内側までそうだとは限らない。私はクルスくんの防御魔法に守られるのを感じながら、いきり立つ馬の衝撃に落ちないよう必死にニライ君にしがみつく。
「ドレスが邪魔で先生の感触が鈍いのは、ちょっと勿体ないな」
馬鹿なことを言う。だけど笑える、まだ、私は。
「じゃあ行きましょうか、ニライくん、クルスくん!」
マリンさんの掛け声に、私達は馬を魔王城に突っ込ませた。
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