第4話
「あ、先生。目が覚めた?」
結局意識も失った私が目覚めたのは、朝になってからだった。いつの間にか服は厚めのネグリジェに包まれて、もと着ていたものは傍らの椅子に掛けてある。その椅子に座ってにっこり赤い目を細めたのは、クルスくんだった。まだぼーっとしてて口が動かない私の代わりに、彼は丁寧に事情を説明してくれる。
「起きなかったらどうしようかと思って心配してたんだよ、ニライの奴は魔法が荒いからね。特に対人魔法はホントへたくそで、動物実験してみた時も冬眠状態から覚めない動物が何匹も出たぐらいでさ。そう言うのを覚ましていくのが俺の仕事になりそうで嫌だなあと思ってたんだけど、先生は平気だったみたいだ。やっぱり特別なんだね、先生は」
「特別……私が?」
「そうだよ。正直何であんなところで保母さんなんかしてるのか解らないぐらい、先生にはとある才能がある。魔術師としての勉強を始めたのが早かったせいで俺も魔法が得意だし、ニライもあの調子だ。だけど絶対的に足りなくなってしまうものもある」
「……魔力?」
うつらうつらしながら起こした身体をもう一度ヘッドレストに預けると、そう、とクルスくんは笑って見せた。こんなに可愛い顔をしているのに、後は賢者か。今も賢者ではあるけれど、本格的な魔法の修行を始めたのは魔法学校に進んでからだから、まだ半年ぐらいだろう。
基礎魔術は保育園の本で独学で学んでいたし、応用魔術の本も置いて来たからそれにも目を通してはいただろう。私が実家から寄付した本は、殆ど彼の為だけのものになっていた。知らない単語の綴りが出て来るだけで子供は飽きる。面白くなければもっとだ。
六歳ぐらいになると初歩の魔法が面白くなってきて本の取り合いにもなるけれど、クルスくんは本が持てる体格になってからはすぐに読んでしまって高等魔術応用の本に向かっていたから、それに巻き込まれたことはない。
クルスくんは続ける。
「魔力を回復するには薬の調合や特別な薬草が必要だったりする。自然回復もあるにはあるけど魔王と戦う段になってそれがなくなるって言うのは結構なハンデなんだ。俺達はそれほどに自分たちの力を過信してはいない。十年も経てば魔王も勢力を伸ばし、大陸を蝕んで行くだろう。その為に出来ることはやっておく。それが先生を城に招いた理由なんだ」
城? ここスーベンク城なの?
一気に覚めた眠気に、私は裸足でベッドを下りふかふかの絨毯を踏みながら窓に向かう。少し隙間があったから夜が明けているのは解っていたけれど、自分がどこにいるのかは分かっていなかった。大きな出窓をカーテンを引っ張って外が見えるようにする。
いつも見えるはずの城は見えなくて、だけど自分のいる建物の高さは足が竦みそうなほどよく解る。
スーベンク城だった。
嘘でしょう、とくらくらする。寝起きにいきなり立った所為もあるだろうけれど。
「わ、私をどうする気!? 言ったじゃない、私は紋章鑑定と家庭菜園作りが得意なぐらいの低魔術師だって! 攻撃魔法なんて使ったこともないぐらい、平凡に生きてるのに――なんで賢者と勇者が揃って私を連れて来る理由がっ」
「だからニライも言ってたじゃないか先生。『先生の自己認識は間違ってる』、って」
「何が、何が間違ってるって」
「まず『紋章鑑定』だけど、あれって実際にはそうじゃないんだよ」
「え?」
そりゃずっと園に籠ってるような生活だから他の紋章鑑定師に会ったことはなかったけれど、自分の唯一のとりえを否定されるとちょっと困るものがある。違う? だって私が額にキスした子たちは皆、その通りの能力を発揮した。違ったのはニライくんとクルスくんぐらいだ。
特別な子供だった二人。クルスくんは六年間すべてのクラスを渡り歩いて平均的にその魔術属性を育てた。ニライくんは解らないけれど、多分城に連れて来られてからスパルタレッスンを受けたのだろう。時々遊びに来る同い年の子たちとは明らかに違う空気を纏っていたから。
私の育て方は間違っていたのだろうか。今まで卒園して行った生徒達に間違った知識を植え付けてしまったのだろうか。そう思うとゾッとしたけれど、椅子から飛び降りて私の隣に立ったクルスくんは冷たくなっていた私の手を掴んで見上げて来る。卒園して半年、まだニライくんのような大きな変化は見られない。
「先生の『紋章鑑定』って言うのはね、自分の魔力を相手に送って、反射したものを見ているだけなんだよ」
「私の――魔力?」
「そして魔力を他人に送ることはまさしく『ギフト』だ。先生は入園式なんかで子供たちの紋章鑑定をするけれど、普通なら二十人にも魔力を注いだら疲れて寝込んでしまうんだよ。いくら微量でも反動がある。でも先生は次の日に休むとかそう言う事は全然なくて、平気な
異常、と言われて、胸がずきんとする。私が初めて紋章鑑定の能力を使ったのは従弟の子供が生まれた時だけど、その時のお母さんの顔が思い出された。慌てて私から子供を取り上げ、ぎゅっと抱きしめる姿。最初は拒絶されていた、私。異常だった私。それは今でも変わっていないのか。大量の子供たちと触れ合って来てなお、この能力は異常と呼ばれるものなのか。
「言葉が悪かったね。異常、って言うか、特別なんだよ。だから、『ギフト』。魔法学校では十年に一度ぐらいそう言う子供がランダムに見られるらしいんだ」
「私、普通の学校だったから知らないわ」
「ふふ、それはそうだろうね。魔法学校って奨学金レベルでもないと倍率高いから。それでもあの保育園ほどじゃないって言うのが怖い所だけど。先生、なんであの保育園の倍率が三十倍もあるのか知らないでしょ?」
「……魔法の基礎を教えられるから?」
「それもあるけど、みんな子供の属性が早く知りたいんだよ。そして早く適性のあるレッスンを受けさせたい。親のエゴって言うか、望みだね。自分の子供は特別でいて欲しいって言う。だから俺の両親も大はしゃぎだった」
「覚えてるの? 一才にもならない頃のこと」
「まあね、賢者なもんで、これでも。暗記力は高いよ。それに先生がいち早く俺の前世の記憶がある事を知ってくれたからこそ、その為の本を園に寄付してくれたからこそ、俺は魔法学校でも優等生で通ってるんだ」
「……」
えっへん、クルスくんは胸を張る。
魔法を送り込むギフト。確かに魔法の使い過ぎで疲れたことはないけれど、それは園児たちに合わせたぐらいしか使わないからだと思っていた。暴力に使ったことはないし、使われたこともない。精々言ってしまえば昨日のニライくんから与えられた催眠術らしきものが初めての魔法攻撃だったと思う。
だけど後遺症ってほどの事もなく、私はのんびり眠り、着替えまでさせられて城なんて場所にいる。どうして。ギフト。私は何を持っているって言うんだろう。魔力を送り込んで、反射で紋章を見る。それ以外に何の使い方があるって言うのか。
魔力切れの話。私のギフト。まさか私は。
「私を――魔力のストックにしていくつもり? 二人とも」
「あは、まあ言っちゃうとそうだね! 流石先生察しが良い! 先生程の潜在魔力を携行できれば魔王を倒すのも十分楽になるって演算結果が出てるんだ! なんてったって勇者と賢者を発掘できた人だ。自分の魔力が相手を上回ってなくちゃそんなこと出来はしない。民間にそんな魔力を置いておくなんてもったいない。だから俺達は先生を攫って来たって訳さ! ねえニライ?」
クルスくんが扉を見るとそれを開けて、入って来たのはニライくんだった。その手にはシンプルなドレスが掛かっていて、彼はちょっと頬を赤くしている。
「先生、着替え」
「あ」
そう言えばネグリジェのままだった。私は慌てて差し出されたそれを受け取るけれど、元園児とは言え思春期の二人の前で着替える訳にも行かない。えっと、と顔を赤くしてお見合い状態になっていると、空気を察したクルスくんがニライくんを追い出して自分も出て行く。
「十分で支度してね? そしたらまたお喋りの続きがあるから」
「支度って、着替えるだけで良い――のよね?」
「着られるものならね」
くふふっとちょっと意地悪そうに笑うクルスくんが何を企んでいるのか解らないまま。ドアは再び閉じられた。
渡されたドレスはちょっと古いデザインのもので、私は絵本に出て来る女王様を思い出していた。そう言えばこのスーベンク王国も、最初に戴いたのは女王だったという。国民に慕われて街のあちこちに銅像が立っているから、その想像は簡単に出来た。カーテンを念のため閉めて、ネグリジェのリボンを解いて頭から引っこ抜く。セミロングの髪が乱れたけれど、後で軽く手櫛を入れれば良いだろう。子供と遊ぶのに髪型はそう気にしていなかった。結べればいい、ぐらいで。
それも私の魔力が関係しているのだろうか。否その前に私が気にするべきなのは誰が私を着替えさせたかだろうか。魔法で保管されていたらしくデザインの割には傷んでいないドレスに袖を通すと、すうっと吸い付くようだった。両手を入れて、両脚もスカートに通す。身体は柔らかい方だったので、背中のファスナーは簡単に上まで上げられた。レースの着いた襟と袖。オーダーメイドのように身体にフィットするそれを、鏡で見てみる。あんまり似合っているとは言い難かった。庶民のドレスなんて卒業パーティーぐらいしか経験はない。その時は若草色のをあつらえてもらったんだっけな、なんて昔を思い出す。
「せんせー、出来たー?」
コンコンコンコン、とちょっとせわしない四回のノックにはーいと返す。ドアを開けたクルスくんとニライくんは、揃って丸い目で私を見た。ちょっと型の古いパフスリーブ、床を引く裾。本当、女王様みたいで恥ずかしい。こんなかしこまった服を着たのはプロムのパーティ以来だ。
「先生、自分で着たの? それ」
「着ろって言ったのはあなた達じゃない……」
「ごめん、正直着られるとは思わなかった」
「どういう意味? クルスくん」
「それ、魔法の糸で作られたドレスなんだ。初代スーベンク女王以来誰も着られなかったらしいよ。魔法の糸は纏ってるだけで魔力を消費するから。それに普通は服の方が嫌がるんだって。それを着こなせたって事は、先生の魔力の証明なんだよ」
「これっぽっちも嬉しくない……」
「初代スーベンク女王はそれで勇者たちを助けたらしいよ。本来なら城に籠ってるべき女王が率先として戦線に立ったって国民を随分勇気づけたらしい。はい、じゃあこれ普通の服ね。そんなので先生の魔力消費させたら勿体ない」
ぽんと服を渡されて、溜息を吐きながら背中から脱皮のようにドレスを脱ぐ。私にとっては何ともない服だけど、解る人には分かるってやつなんだろうか。しかしこのドレスも私なんか選ばなくったって魔法学校の卒業生を誰か適当に選べばよかったんじゃないかと思える。薄いピンクのドレスに着替えてから、私はドアを開けようとノブに触れた。
開かない。
「あ、先生終わったんだね」
「……もしかして内側からは出られない魔法なんて」
「使ってるよ? 先生の事だから『私には園児たちがー』って言い出してそのまま城下に戻って行っちゃうだろうから」
「私なんで軟禁されなきゃいけないの!? って言うかいつまで!? それよりどうやってあなた達について行けば良いのか全然分かんないんだけど!?」
思わず叫んでしまう。誘拐拉致監禁。先生はそんな子に育てた覚えはありません。もっともニライくんを見たのは一日だけだけど。クルスくんは六年きっちり人のための魔法を教えたつもりだっただけに、ショックが大きい。
「先生は特に何もしなくて良いよ。魔王攻略の際に死なないように俺達に着いてきてくれれば。どうせ魔法なんてほとんど使えないでしょう? 二十二年分の先生の魔力が、その変わらない容姿に繋がってると思うな」
ぎくっと変わらないことに触れられて私はニライくんを見てしまう。たった一日、十年も前、それでも覚えていたのがこの容姿の所為だとしたら洒落にならない。よくある金髪碧眼なのに。逃げられない。私は逃げたいのだろうか。誰から? 魔王から? それとも元園児のこの子たちから?
両方当たっているのかもしれないと思いながらやっぱり私は一歩引き下がってしまう。
「先生は昔から綺麗だ。変わらずに」
ぽそりとニライくんに言われて頬がぼっと熱くなる。落ち着け私。たとえ容姿が十六から変わっていなくたって、精神的には十三歳の子供と二十二歳の大人だ。否、彼らが前世の記憶を持ってるなら、精神的にもやっぱり勝てないのか? でも、おだてるために、宥めすかすために褒められるのは嫌だ。ふるふると頭を振って、私は出来るだけ厳しい表情を作る。
「あーもう、威嚇されちゃってるじゃないか。ニライの馬鹿」
「本当のことを言っただけだ! 先生は綺麗だ!」
「だ、騙されないんだからね、そんなこと言われても! 大体どうやって魔力を渡すなんてできるのよ。死なないように魔王の所まで連れて行ったって、私そんな魔法なんか知らないのよ? 足手まといになるだけだわ。そんなのは嫌。先生そんなの嫌ですからね、ニライくん! クルスくん!」
「ひゃっ。久し振りに怒られた!」
言う割に嬉しそうに飛び上がるクルスくんと、一歩部屋に入って来るニライくん。また一歩下がると膝の裏がベッドに当たって、ぺたんっと私は座り込むことになってしまった。それに伸し掛かるように、ニライくんが私の肩を掴む。
「か、勝手に触っちゃいけないんじゃなかったのっ」
「先生は俺が触ると不快なの?」
「そう言う意味じゃありません! 自分の言ったことは自分でも実行しなさい、って言ってるんです!」
「先生から魔力を貰う方法を教えるから、肩に触っても良い?」
いざちゃんと申し込まれると困る。あの時の彼も困ったのだろうか。思い出そうとしても七年前のたった一日の事は、やっぱりぼやけてしまっている。
赤い目が私を見下ろして、ちゅ、と額にキスをした。私の行う紋章鑑定と同じだ。否、そうじゃないんだっけ。でもこれで補給になるならまだ良いか――
なんて考えた次の瞬間。
ぽけっと緩くなっていた私の口唇に、ニライくんの口唇が触れた。
「――――ッ!?」
舌を絡めとられて歯を立てることが出来なくなる。ちゅくちゅくと唾液が絡まる音がいやに響いて耳を塞いでしまいたくなった。だけど身体は動かない、眼も逸らせない。たった一日教え子だった子供に、私は何をされているんだろう。口の中を満遍なく舐められる。上顎の裏を舐められると、力が抜けるような錯覚があった。でも錯覚は錯覚、私は緩い力でシーツを掴み、両肩をあの日と変わらないんだろう温かさで抱かれている。
ひゃあ、なんてクルスくんの冷やかすような声が小さく聞こえた。耳が聞こえなくなる。昨日と逆だ。眼だけが開いて、潤むのが分かる。泣きたい訳じゃないけれど反射的に込み上げて来るそれは、なんなんだろう。私、もしかして気持ち良くなってる? 元教え子にこんなキスされて――キス?
そうだ、これはキスだ。間違いなく、魔力を渡す儀式じゃないだろう。そう思いたいのに、思いたいのに、だんだん力の抜けていく身体は――
くたんっと、とうとう身体を支えていられなくなった私は、ベッドに倒れ込んでしまった。
「やり過ぎだよ、ニライ」
「……つい」
「ついってなんだよ。あー先生、聞こえる? 大丈夫?」
扉の方からベッドに近付いてくるクルスくんは、ベッドに寝ころんでしまった私の目の前にぱっぱっと手を翳して来る。ぱちぱち瞬いて口元から垂れる唾液の感覚に、慌てて起き上がった。
私は。今。元教え子に。何をされた。
「すごいな、あんだけの量の魔力食われてすぐに起き上がれるなんて。やっぱり先生の才能は本物だ。本物の『ギフト』だ」
「あ、あんだけ、って、どれだけ吸ったって言うのよ……」
「ポーション十本分ぐらい軽く吸った。朝練の後だったから魔力が足りてなかったんだが、もう全開だ」
「し、舌まで入れることないでしょ!? 私だって紋章見る時に舐めたりはしなかったわ!」
「……つい」
「だから『つい』って何!?」
赤い顔をするのはニライ君の方になっている。どう考えても怒って良いのは私だろう。正直犯されるかと思った。クルスくんがいるにも拘らずあんなキスしかけて来るなんて。って言うか私のファーストキスどうしてくれるのよこの子は。先生許しませんよ。
深呼吸を何度か繰り返すと、頭がすっきりしてくる。そんなに膨大な魔力を放出したとは自分でも思えなかった。でも賢者が言うんだから相当量の受け渡しがあったんだろう。おピンクじゃなく。おピンクなオーラじゃなく!
「先生は、俺の初恋の人だから」
「へ?」
「儀式的にでも、触れられるのが嬉しくて、つい」
保育園の先生を初恋の人にしてしまう男児は結構多いらしい。ましてあの頃の私は十六歳だ。そして多分、初めて彼に敬意をもって接した相手。勇者の自分を見付けてくれた相手。そんな。そんな思い込みが恋心に繋がっちゃう? 良いのそれ? 先生呆れちゃうよ? そんな真っ赤な顔されたら、先生は。
先生を、辞めちゃうかもしれないよ?
「その理屈が許されるなら俺だって先生が初恋だよ! 先生ちゅー、俺ともちゅーしよう!?」
「気軽に人の口唇を奪って行く方向に行かない! まさか魔力の受け渡しって毎回これなの?」
「いや舌は入れない」
「なんで今入れたの!?」
「先生に俺の気持ちをわかって欲しくて、手っ取り早く」
「そう言う事は時間を掛けてする! 先生怒るからね、次もあんなのしたら!」
「どんなのされたの先生?」
「そこも訊いて来ないー!」
何なのこの子たち。これが勇者の証なの?
私の軟禁&魔術修行は、大体そんな感じに始まった。
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