第3話

 クルスくんが卒園する頃には私も立派な保育士になっていて、その頃にはもうニライくんの事を思い出すのも忘れかけていた。子供を追いかけまわして七年だ、思い出せない子も出て来るだろう。ちょっと残酷だけど、野の花を摘んで私の頬にキスしてくれたクルスくんの事は多分三年ぐらい忘れないと思う。

 だけど問題は、私の身体に起こりつつあった。否、ずっとあったものが顕在化してきただけだろう。


 《私はこの七年、一度も髪を切っていない》。


 なのにセミロングの髪はまったく変わらずにそこにあるのだ。

 自分が恐ろしくないなんて、誰が言えるだろう。


 でも私はもう立派な保育士として周囲に認知されているのだ。病院なんてよっぽどのことがないと向かうことが出来ないだろう。保護者ネットワークは恐ろしい。

 思い切って髪を切って見ようかとも思ったけれど、それでも伸びなかったら流石に同僚の保育士たちに怪しまれてしまうだろう。この仕事は美容院に行けるほどの暇を創るのも難しいのだ。誰の誕生日が近いとか、誰の引っ越しがあるとか、こんなイベントあんなイベント温室の野菜の育ち具合に近所からのクレーム対応、休みが休みにならないことがいっぱいある。

 うちに有った魔導書は全部保育園にお下がりにしてしまったから、調べ物をするには図書館にでも行くしかない。しかしスーベンク城を挟んで向こう側の図書館は、ちょっとどころじゃなく遠い。城にも図書室がないわけではなく、私が『私』であることを打ち明ければ入れてくれるだろうけれど、それもまた保護者ネットワークに掴まりやすいものだろう。城の衛兵をやっているお父さんもいるし、掃除婦をしているお母さんもいる。登城する理由なんてなさそうな保育園の保育士が行くには敷居が高い所なのだ、城と言うのは。


 仕方なく保育園の誕生祭の準備、とかこつけて自分で寄付した魔導書を読む。だけどそこには、何も書いてないも同然だった。知ってることしか書いてない。分かり切っていたのに憔悴して、溜息を吐きながら折り紙を星型に畳んでいく。そう言えば爪もやすり掛けで十分になって、ほとんど伸びなくなってるな、なんて思い出させられた。子供を傷付けることがなくて良いか、なんて捨て鉢になっていると、その子供たちを食べる化け物みたいな自分が思い浮かんでぞっとした。

 やっぱり調べた方が良いんだろうか。魔法病院なら近くにある。予約を取れば個室対応してくれるとのことで、保護者の間でも評判がいい所だった。連絡しても良い物かどうか、思いながら細長く切った折り紙を鎖型に繋げていく。単純作業は楽だった。あとはこれを糊で教室を囲むように貼るだけ。画鋲は使わない、落としたら危ないから。


 日も暮れる頃にはすっかり教室の飾りが出来上がってて、我ながら無給で何をしているんだと思ってしまう。まあ保育士の仕事なんてほぼ無給も同然だ。私の属性鑑定能力だって基本給には含まれていない。子供が入園する時期だけちょっと給料が上乗せされるだけだ。

 はーっと息を吐いて明かりになっているランプを消し、鍵をかけて外に向かう。夕暮れの近い春の宵、アーモンドの花を見上げながらとぼとぼと門に向かう。

 

 と、そこにいたのは馬だった。


 馬。なんで保育園に馬? よく見ると馬車だ。後ろに何かを引いていて、御者もいる。


 でもなんだってこんな時間に、しかも保育園に? 泥棒かと思って立ち竦んでいると、馬車のドアを開けて出て来たのは、懐かしい赤い目だった。瞬時に思い出す。勇者の紋章。黒い髪。頬の痛み。自分の奢り。カッと頬が熱くなって、一歩後ろに下がってしまった。人影はくすっと悪戯気に笑って、指をこっちに差し、ボッと火を纏わせている。


 記憶より随分と成長した姿でも分かる。今は多分十三歳。

 ニライくんだった。

 頭がくらくらする。眩暈は何故? 彼は何故、ここに?


「久し振りだね、カナイ先生」

 ぱっと笑った顔はあの時と同じだった。変わっているのは圧倒的な存在感。多分王立の魔法学校に進んだのだろう、鋭い魔力が感じられて、立っているのが難しくなる。

「あの後俺ってば結局当局に見付けられちゃってさ、親とも離れて寮暮らし出来る魔法学校に入ったんだ。母さんの悲鳴はすごかったけど、慣れた国から出られもせず城挟んで向こうに引っ越しただけなんて、流石に間抜けだよねえ。優しい言葉を掛けはしたけど、半狂乱で俺の事取り返そうとして。しまいには先生の所為だって言うからちょっと記憶弄って、俺って今天涯孤独の身なんだ」

「何で……どうして……」

「先生が俺の力を見抜いてくれたから仕官するのも楽に済んだんだよ。本当にありがたく思ってる。それにしても先生、あの頃から全然変わらないね。俺と十歳も離れてるなんて嘘みたいだよ。あの頃の先生は十六歳だっけ。今は二十二・三? 本当ちっとも、変わらない。何でだろうね?」

「知らない……ニライくん、怖い……」

「怖い? 先生のお陰で俺は今勇者の修行を最短でこなしてるからね、そう思うのも仕方ないかもしれない。来世があるならまた先生と会いたいと思う程度には、俺は先生が好きだよ?」

 わらうわらうわらう。なんでこんなに怖いんだろう。ぶるっと震えた肩、ぱたんっともう一人馬車から出て来た子供が顔を上げる。赤い目はニライくんと同じ。聖性の証がそれなんだろう。そっちは今年卒園して、今は魔法学校の初等部に入っているはずの、クルスくんだった。


 ぺちっと自分の頭の高さにあるニライくんのお尻を叩く。炎が消えて、少し安心した心地になる。両手を腰に当てて、制服姿の彼はこら、とニライくんを叱るそぶりを見せた。

「プレッシャー掛けるのも催眠術使うのもダメだって最初に言っておいただろう、ニライ! そう言うのは俺の仕事だ!」

「るっさいなあクルスは。俺より年下の癖に」

「でも先生に教えてもらった期間は俺の方が長い! 六年だ! 羨ましいだろ!」

「あーもーはいはい羨ましい羨ましい」

 場に満ちていた鋭い身体を貫くような空気が薄れ、私は膝を付いてはあーっと深呼吸をする。息苦しかったのかとようやく気付いて、それから彼らの言葉を反芻する。催眠術? 私は今何をされかけていたの?

 解らない、とにかく肺腑に新しくて新鮮な冷たい空気が欲しくて、何度も深呼吸をした。魔法を使った喧嘩は見て来ただけだ。自分が仕掛けられたことも仕掛けたこともない。ぼーっと生きていた私が、今初めて向き合った殺気めいた鼓動がこれだった。ニライくん。私を恨んでいる? 家族とも離れ離れ。すべては私の紋章鑑定の所為。クルスくんのような歓待は、受けられなかった?

「大体俺は先生に感謝してるんだぜ。自分の事を分かってくれる人がいるって思えたから勇者修行だって何とかやれてる。お前みたいに実家に縛られたりもしない。過剰な期待を誰からも受けてないって言うのは精神的に楽なんだよ、俺は。困ってるのは違う方だ。だから俺は先生に会いに来た」

「わ、私に何をしろって言うの? 勇者と賢者が、揃って一体何を――私なんて家庭菜園ぐらいしか趣味の無い低魔術師なのに」

「先生の自己認識は間違っている」


 ニライくんに軽く睨まれて、びくりと身体が震えてしまう。間違っている? それ以外に私に出来ることなんて、傍迷惑な紋章鑑定ぐらいだ。しかも自分の属性はハッキリしてない出来損ないの。

 とん、と一足飛びに距離を詰めて来たニライくんは、私が座り込んでいる所為もあるだろうけれど、随分背が伸びたようだった。十三歳、思春期に勇者の修行なんて聞くからに苛烈なことで身体を動かしていれば、その成長は早いのだろう。にっこり笑って、また私の前に指先の火を見せる。くらっとした私は、今度こそ園庭に倒れた。こらっとクルスくんの声が遠くに響く。

「催眠術は俺に任せろって言っただろう! お前のは雑過ぎて意識を残してしまったり下手すると永遠に解けなかったりするんだからな!」

「いーじゃんその方が持ち運び楽で。でも先生にはお世話になったから、これでも軽くした方だぜ」

「勇者の魔法はいい加減にすると人死にが出て面倒なんだよ! 面倒見役の俺の負担も考えろ!」

「まあ良いじゃん、今回は成功っぽいよ。ちゃんと目を閉じてるし」

「耳は閉じられないだろう!」

「ま、良いから――さっさと城、連れてこうぜ」


 父さん。母さん。

 どうやら私は良い歳になって誘拐されていくようです。

 昔の生徒達の手によって。

 出来れば助けて下さい。

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