第9話 見知った天井

 俺が目を開けたそのときには、既に千歳と雪姫の姿は部屋になく、代わりに見えたものは、見知った白い天井だった。

 知らない天井じゃなくてよかった。心からそう思う。

 しかし、卒倒してしまうとは我ながら情けないものだ。


 とはいえ、多少は言い訳させてほしい。

 タイプが違う美少女二人の半裸──というかほぼ全裸を、しかもナマチチを見せつけられて平気な思春期男子がどこにいるのか。

 そんな鉄心を持ち合わせてこその超人だろといわれれば、ぐうの音も出ないが。


 しかしこれで俺は──いや、考えるまい。

 とにかく、事実は一つだ。

 俺は千歳と雪姫のナマチチを隠すところもなく拝んで卒倒し、朝を迎えた。それだけだ。


「……流石に変なことはされてないよな?」


 今のところ寝床になにかしらの違和感もなければ、ゴミ箱に変なものも捨てられていない。

 いや、あの二人が捨てるようなものを使うかといわれたら正直微妙なラインだが。

 とにもかくにも、変な形跡が見当たらなかったことに安堵しつつ体を起こしたときだった。


「おっはよー! あなたの千歳がモーニングコールに来たよー?」

「おはようございます、義兄さん。目が覚めたようでなによりです」


 特に遠慮の類もなく、部屋のドアが開け放たれる。

 そして姿を現したのは、昨日と同じく勝負下着──ではなく、普通に制服のブレザーを着た千歳と雪姫だった。

 普通の格好で現れてくれたことに安堵しつつ、もう少しプライバシーを強化しようかと思った。


 鍵とかつけようかな。

 いや、つけたところで絶対ピッキングなり合鍵を勝手に作られたりして終わりか。

 もしかしなくても、俺のプライバシーは死の危機に瀕しているのかもしれない。


「おはよう。二人とも、一晩経って頭は冷えたか?」

「ううん、全然! なんなら今だって欲求不満だよわたしは!」

「そればかりは千歳に同意します、生殺しですよ」


 凄いなこいつら、欠片も悪びれていない。

 それならいっそもう据え膳として平らげてくれてた方がマシだったのかもしれない。

 いや、なにがマシなのかはわからんが。


「でも心配しないでゆーくん、わたしはムードを大事にする女だから、ゆーくんがその気になったときのために、『はじめて』は大切に取っておくから……」

「なんの同意も合意もなく形だけの既成事実を作っても意味がありません。私の『はじめて』は義兄さんから直接奪ってもらうためのものですから」


 なにを心配したり、なんの意味を求めろっていうのか。

 聞いたところでまた凄まじい答えが返ってきそうだから黙っておくけどさ。

 少なくとも俺が孤高の超人を目指しているこの人生でそんなことが訪れるかどうかなんてわからんぞ、とは言っておきたいところだった。


「それよりゆーくん、遅刻遅刻! 早く起きて着替えて朝ごはん食べないと間に合わないよ?」

「朝食なら今日は私が作っています、ラップをかけていますのでなるべく早く食べてくださいね」

「ありがとう。二人は先に学校行っててもいいんだぞ?」


 俺が発したその言葉に、千歳と雪姫はつまらないジョークを聞いたときのように顔を見合わせる。


『どうして(ですか)?』


 ハイライトが消失する。

 二人の中にそんな選択肢は最初から存在していなかったらしい。

 わかりきったことではあるが。


 わかりきったことではあるんだが、たまには俺抜きで親睦とかそういうのを深めてもいいんじゃないかな。


 雪姫の義兄として、千歳の幼馴染として俺は二人が仲良くしてくれることを願ってやまないんだが、一向に聞き入れてくれる気配がない。


「わかったよ、着替えて飯をさっさと食べるから二人は悪いけどどこかで待っててくれないか」

「着替え? 手伝う手伝う! さあゆーくん、遠慮なく服脱いじゃって!」

「いいえ義兄さん、それは千歳ではなく私の役目です」

「お願いした覚えは最初からないんだが?」


 なんでナチュラルに自分たちが着替えを手伝うことを前提にしてるんだよ。

 もう俺の半裸どころかほぼ全裸なんて見ただろうが。

 頭を抱えつつ、俺は仕方なく二人の前でパジャマを脱ぎ捨てて、吊るしてある制服に着替えた。


 パンツ一枚見られるなんて全裸と比べりゃ誤差だよ誤差。大差ねえよ。

 普通気にするのは逆じゃねえかな、という話は今更考えるだけ無駄だからその辺に放り捨てておくとして。



◇◆◇




 正直今も我が家というには少しぎくしゃくしているのが、俺と雪姫の家庭事情だ。

 だから、一条家のルールとして、「朝飯と晩飯はやむを得ない場合を除いて必ず顔を合わせて食べること」という取り決めがなされたのだ。


 それは俺が一人暮らしをするときも必ず守るように義母さん、つまり雪姫の母親から言い含められたんだが……思えばあのときから既に外堀は埋まっていたのかもしれないな。


 そんなルールを建前にして食事風景を千歳と雪姫から観察されながら、俺はぼんやりとそんなことを思い返していた。


「一人暮らしなのに誰と顔合わせて飯を食うんだよ、とか言ってた過去の俺を殴りたい気分だな……」

「ですが、客観的に見ても私と義兄さんが同居するのは理に適っています」

「まあ、それは認めるけどさ」

「それならわたしだっておんなじだよ! 女の子が一人暮らしするのって、ゆーくんが思うより勇気もいるし怖いんだよ?」

「ああ、それは確かにそうだ」


 雪姫の言い分にも、千歳の言い分にも理はある。

 実家に義妹一人置いて俺一人が悠々と羽を伸ばしているのは道義的にどうかって話だからな。

 二人分の物件を用意するぐらいなら、家族としての縁がある分一緒に住んだ方が安心だし安上がりだ。


 雪姫にとっても、俺にとっても千歳が押しかけてきたのはイレギュラーだったが、理屈は同じだろう。

 大切な娘をその辺の安アパートで一人暮らしさせるぐらいなら、縁がある相手のところに遣りたいという千歳の親の気持ちもわかる。

 問題は、俺の社会的生命がなに一つ考慮されていないことだが。


「ごちそうさま、雪姫。食器は水に漬けておけばいいか?」

「ええ、帰ってきたら私が洗いますので」

「それとそれと! はい、ゆーくん! お弁当!」

「ありがとう、千歳」


 いつも通りにお礼を言って、俺たちは三人で学校に向かう。

 左腕には雪姫が、右腕には千歳が絡みついて、半ば連行される被疑者のようになりながら。

 まあ、なんだ。


 度々社会的生命が死にかけているのに、二人と一緒にいることに対して悪い気はしないんだよな。

 その不思議は、きっと大事なものをしまう箱に入れておくべきなんだろう。

 そんな感傷に浸りたくなるくらい、空は高く晴れ渡っていた。

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