第7話 寝室の侵略者

「いやー、いいお風呂だったね! ちょっとのぼせそうだったけど」

「一時間も入っていれば当然です、それなら早めに上がればよかったのでは」

「え? 雪姫とゆーくんをお風呂で二人きりにしろってこと? 相変わらず冗談きついなー」

「徹頭徹尾本気のつもりですが?」

「あ?」

「は?」


 げっそりしている俺を尻目に、二人はまたもや噛みつきあっていた。

 カミツキガメだってもう少し大人しいぞ。

 まさか着替えまで一緒ってわけにはいかないから水着姿の二人を先に着替えさせたのもあって、本格的にのぼせそうだ。


 冷蔵庫から麦茶が入っているピッチャーを取り出して、コップに中身を移し替える。

 そして一息に煽れば、少しだけ元気が戻ってきた気がした。


「あ、ゆーくん! 私にも麦茶ちょうだい! 今飲んでたグラスに注いでいいから!」

「その必要はありませんよ千歳、義兄さんが飲んだグラスは義妹として責任を持って私が処理しますので」

「処理ってなんだよ」


 時限爆弾か機密文書の類かよ。

 具体的な中身を聞いたら卒倒するって意味では似たようなもんだろうけどさ。


「そんなこと言わなくても普通に二人分のコップは用意してあるぞ、ほら」

「むー、ゆーくんはガードが硬いなあ」

「たまには義妹である私を信じて託してくれてもいいのですよ?」


 謹んで遠慮しておきたい。

 会って初めての頃はこんなじゃなかったはずなんだが、我が義妹はどこで道を間違えたんだろうな。

 頬を膨らませる千歳と雪姫に麦茶の入ったコップを手渡して、遠い目で考える。


 それにしたって今日は一段と疲れたな。

 二人に振り回されているのはいつものことだが、まさか風呂にまで押しかけてくるとは思わなかった。

 今度ルールに混浴の禁止を明文化しておこう。いや、明文化したらしたでなんかその斜め下を潜り抜けてきそうだから嫌だな。


 考えがまとまらない。

 もうこういう日はなにをやっても裏目に出ると相場が決まっている。

 さっさと歯を磨いて寝てしまおう。


 自分のコップを洗いながら、未だに口プロレスを続けている千歳と雪姫を生温かい視線で一瞥して、俺は一足先に寝室へと向かった。




◇◆◇




 ベッドの上はいい。

 部屋の明かりを全部消して、ぼんやりと夜にまどろんでいると、どこまでも人は一人なんだと、そう思う。

 布団を被って寝る、この瞬間こそ安息だ。


 起きている間はいつも千歳と雪姫に振り回されているからな。

 それも悪くないといえば悪くないのだが、俺が真に目指すべきは孤高の存在、超人だ。

 だからこそただ流されている現状をどうにかしなきゃいけないのはわかっている。


 だが、渦潮を人間の力でどうにかできるかと聞かれたら黙って首を横に振るしかないだろう。

 それも特大の大渦二つに挟まれているとなれば、身動きが取れないのも少しは納得してもらえるかもしれないな。

 誰に言い訳してんのかって話だが。


 そんな具合に自嘲していると、部屋のドアがこん、こん、こん、と三回ゆっくりとノックされた。


「義兄さん、入ってもいいですか」

「雪姫か? こんな夜更けになんの用だ?」

「入ってもいいのですね?」


 質問に質問で返すなとばかりに、雪姫はさらに質問を重ねてくる。

 いやまあ、実際疑問文に疑問文で答えたらテストは0点だ。

 それにしたってなんというか、扉越しに「圧」というか、「凄み」を感じるんだよ。


「別に入ってもいいけど、だからなんの用だって──」

「……不束者ですが、よろしくお願いいたします」


 全く話が見えてこない回答と共に部屋の扉を開けた雪姫は、薄い水色を基調として、フリルがあしらわれている下着を身に纏っていた。

 明らかに気合いが入りすぎている。

 洗濯も男女別にしていたから雪姫の下着事情はあまりよく知らないのだが、こんなものを持っていたとは聞いたことがない。


 じゃ、なかった。

 なんで意味ありげに頬を染めて下着姿で俺の部屋に入ってくるんだよ。

 意図はわかる。


 けど、わかりたくない。

 脳が全力で理解を拒んでいる。


 千歳の規格外バストと比べれば大きさこそ劣るかもしれないが、程よく膨らんだ胸。

 風呂場では隣に千歳がいたのとスク水だったのもあって意識していなかったが、雪姫も世間的には胸が大きい方に分類されるのだろう。

 それが涼やかな可愛さを感じさせるランジェリーで彩られているんだ、正気を保っているだけで褒めてほしいぐらいだった。


「待て、雪姫。ステイだ、話し合えばわかる」

「いえ、義兄さんと言葉を交わすよりは身体を交えた方が話が早いと思います」

「早々に対話を放棄しないでくれよ!?」


 対話をすれば必ずわかり合えるとは言わない。

 だが人間が人間たるその証を燃えるゴミ感覚で投げ捨てるのはどうなんだ、雪姫。


「そういえば要件を言っていませんでしたね。端的に言えば夜這いです」

「だと思ったよ! つーか夜這いは宣言してやるもんじゃねえよ!?」

「それもこれも義兄さんが悪いんですよ、どれだけアプローチしても応えてくれないなら、もう既成事実を作る他にないでしょう」


 それについては申し訳なく思うところはある。

 あるんだが、だからといって結論が飛躍しすぎじゃないだろうか。

 なんか雪姫の瞳からはハイライトが消失している気がするし。


「無言は肯定として扱います、その……優しくしてください。私のはじめてはずっとこのときのためにとっておいたので……」

「待て待て待て! 早まるな、雪姫! 俺とお前は兄妹であってだな!」

「義理じゃないですか。義兄妹なら結婚できると法律で定められているので、別に一線を超えるくらいどうということはありません」

「誤差だよ誤差、ぐらいのノリで俺の社会的生命を抹殺しようとするのはやめてくれねえかなあ!?」

「……? なにか問題でも?」


 きょとん、と小首を傾げて、雪姫は心底理解ができないといった風情でそう言った。

 あるだろ、色々。世間体とか。

 少し考えただけでも、あるだろ。


 布団にくるまって壁を背負う俺と、じりじりと下着姿でにじり寄ってくる雪姫。

 逃げ場などあるはずもない。

 だが冗談じゃない、義理とはいえ妹に手を出すなんて──


 そんな具合に顔が青ざめた、刹那。


「おいこるぁー! 人のゆーくんになにしてくれてんのさ、雪姫ぃー!」


 この場をなんとか凌いでくれる救世主は訪れた。

 そのことには素直に感謝したい。

 だが、問題はその救世主も扇情的な赤い勝負下着に身を包んでいたことだった。

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