第3話 アズ・カートライト
「……さすがですレオンさま。なんと見事なカエルぶりでございましょうか」
「いやこれ謝ってるから! 両生類の血に目覚めた訳じゃないから!」
絨毯の上で丸まっている銀髪の幼女に、俺は土下座姿勢のまま言った。
端から見ればさぞや意味不明な光景だろうな……と心の片隅で思いつつ、彼女の名前を思い出すため"レオン"としての記憶をたどっていく。
……だが、いくら記憶を探ってもこの娘の存在に行き当たらない。ならばもう少し最近の記憶を――ああ、思い出した。
「……アズ?」
「はい。アズでございます」
ほんの数日前の記憶を頼りにつぶやくと、銀髪の幼女――アズは答えた。
彼女はアズ・カートライト。
出会ったのはつい昨日のこと。数年前の記憶をいくら探っても分からないはずだ。
レオンの記憶――彼の耳に入った『大人たちの話』によれば、アズは没落した貴族の娘であるらしい。
詳しい事情は分からない。先代の浪費がどうとか、銅山の枯渇だとか、そういう単語しか記憶に残っていない。
ともかくそうした理由で一家は離散。父親がどこかの家の執事になったり、長女がどこぞの貴族三男の許嫁になったりするなか、アズもまたレオンの従者としてマイヤー家へと引き取られることとなった。
兄ふたりを差し置いてなぜ三男の俺に従者? とは思うが、レオンにとっては『新しいオモチャが手に入ったぜ』くらいしか考えなかったらしい。なんでも言うことを聞くアズへ面白がって様々な命令をし、その挙げ句がダンゴムシ扱い――というのが昨日の
……言われただけで本当にダンゴムシの真似をするとか。このアズって娘、ちょっと従順すぎやしないか。本人も少し前までお嬢様だったはずなのに。
とにかく、現状のままではよろしくない。すぐに改めなければ。
「ごめん、アズ。もう普通に立っていいよ」
這ったままの姿勢で言うが、アズは静かに首を振る。
「ですがレオンさま、私はまだ完全なダンゴムシになりきれていません」
「昨日の俺はどうかしてたんだ。だからもう無理して丸まらなくていいんだよ」
「無理などしておりません。それに、従者とは主の命令に忠実に従う存在であると聞き及んでおります」
起伏の乏しい表情のまま、アズはすらすらと口を動かす。
「なればこそ、私は一度与えられたダンゴムシとしての責務を投げ出す訳にはいきません。さもなくば私の従者としての資質を疑われ、ひいてはレオンさまの沽券にも関わることとなるでしょう」
俺の沽券は甲殻類のアイツにかかっているらしい。
「……いや、だけどさ。そのままじゃ服が汚れちゃうよ?」
「ご心配には及びません。
どうでもいいが俺はこの時、彼女の口角が微妙に上がるのを見逃さなかった。
「レオンさま、ご心配には及びません。私は必ずや立派なダンゴムシになりきってみせます。どうぞ安心してお見届けくださいませ」
銀髪の幼女は淀みなく答えた。その声音には凛然とした響きが含まれていた。俺へまっすぐ向けられた青い瞳には強固な意思の光が灯されていた。
幼いながらも、美しさと強さの両方を備えた佇まい。常人には決して出せない雰囲気である。
ダンゴムシで終わらせるにはあまりに惜しい人材である。とはいえ、このままでは埒が明かない。ここはひとつアプローチを変えてみるか。
「……アズ。きみは少し勘違いしているみたいだ」
「勘違い……ですか?」
「うん」
俺はゆっくりとうなずく。
「従者は主の言いなりになればいいってものじゃないんだよ。それじゃ、ただの人形と変わらないだろう」
「レオンさまは『おまえ俺の人形として使ってやるよ』ともおっしゃっておりましたが」
俺ェ……。
「……ごめんよ、それは俺の間違いだったんだ。間違っていたから、そういう馬鹿なことを言ってしまったんだ。主だって間違えることはあるんだ。そんな主の間違いを従者がそのまま鵜呑みにしていたら、間違ったままおかしな方向に行って戻れなくなっちゃうだろ。分かる?」
繰り返し"間違い"を強調する俺の言葉をアズは黙って聞いている。軽く伏せられた目には、思考の揺らぎが見て取れる。
「きみにはワラジムシ
アズは沈黙し俺の言葉を咀嚼している。様子を見るに、頑固ではあるが聞く耳も持ち合わせているようだ。きちんと話せばきっと理解してくれるだろう。
「……分かりました」
しばらくしてアズは服の汚れをはたきつつ立ち上がった。俺も安堵しつつ立ち上がる。
「しかしレオンさま。私はこれからどうすればいいのでしょうか」
アズが言った。
「私はまだ従者の仕事に慣れておりません。恥ずかしながら、具体的な指示がなければなにをするべきか分からないのです」
「う~ん……それは大人たちに聞けば――」
と言いかけた口を止め、考える。
――そもそも"原作"におけるレオンは人望が絶無であった。
パーティー仲間はふたりいたがいずれも単なる腰巾着であり、最終的に命の危機に陥ったレオンを速攻で見捨てて逃げ出している。
"ラスボス一味に殺される"という
そのため、俺が次に行うべきは人望を得るための努力だ。そうすればいざという時の手助けを得られるかも知れない。
それにアズを味方につけておいて損はしないはず。なにしろ言葉の端々から賢さを感じさせる娘だ。将来、きっと頼りになる人材へと育ってくれるだろう。
もちろん襲撃イベントに巻き込んでしまう危険性もあるため、そこは俺が責任を持たねばなるまいが……。
方針は決まった。まずは従者との信頼関係を築き上げるところから始めよう。
「……いや。だったらアズ、最初の仕事として俺とお話をしよう」
「話……ですか?」
「うん」
俺はうなずいた。
「ほら、俺たちはまだ出会ったばかりじゃないか。だから主として、まずはきみのことをよく知りたいんだ」
「……レオンさまがそうおっしゃるなら。しかしなにをお話すれば……」
「なんでもいいよ。気になってることでも、好きな食べ物でも」
「食べ物……それならブルーベリーのタルトですね。そう言えばしばらく食べていませんけど……」
「じゃあ今度料理人に頼んでみるよ」
「レオンさまはどうなのですか? 食べ物はなにが好きですか?」
「俺? 俺はチーズがたっぷり使われてる料理が好きだな――」
それから俺たちは取り留めのない会話を楽しんだ。
勉強や昼食を合間に挟みつつも話を続け、気がつけば一日が終わっていた。おかげで俺も転生の不安を紛らわすことができた。
記憶が蘇った翌日から、俺は
前にも言ったがラスボス一味は千里眼的な能力で俺を探し当てているため、逃げられる可能性は低い。
つまり、戦闘はまず避けられない。生き延びるためには戦闘能力の強化が必須だ。
ということで武芸の鍛錬に力を入れる。毎日毎日ひたすら木剣を振り、体を鍛え
る。文字通り命がかかっているのだ、辛い苦しいなど言っていられない。挫けそうな時には"原作"中の
気がつけば五年の月日が経過していた。
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『ダンゴムシ、お前甲殻類だったんか……』と思われた方は、
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