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「三年前のあの時、私すごく怖くて、ショックで。絶望していましたの」
窓から差し込む陽の光をカーテンが遮る。薄暗い部屋の中で、ストレーリチアはぽつぽつと語る。
「そのとき助けてくれたのが、あなた。私の英雄様、ルレザン」
自身の名を呼ばれ、ルレザンは手を止める。しかしストレーリチアが「やめないでくださいまし」と頬を膨らましたため、ルレザンは手を動かす。
まるで蚕の糸のように細いその“白髪”を、ルレザンはクシで梳く。
「英雄、か。孤児院の中に侵入したゾンビに気付けず、結果誰も救えなかった僕が、英雄なんて……」
「自分を卑下しないでくださいまし! 結果的に私が救われたでしょう!」
ルレザンは眉を下げて悲しそうに笑う。その表情は椅子に座るストレーリチアには見えない。しかし、ストレーリチアはルレザンがどんな顔をしているかなんて手に取るようにわかっていた。
「僕は、君を救えたことになるのかな。食人病の魔の手から救えなかったのに」
まだへりくだるルレザンにストレーリチアは振り向く。八の字を逆にした眉に、真っ赤な瞳を爛々ともやしルレザンを映す。
そう。あの時ストレーリチアはゾンビと化した友に噛まれた。そして食人病におかされてしまったのだ。しかし運良く食人病に適応し、体の色が抜けただけで、人を喰らいたくなる欲望をもつことなく済んだ。更に、ストレーリチアは食人病におかされたゾンビを操る力も手にした。しかしこちらはあまり使うことがない。
「何を言っているんですの! ルレザンがいなかったらきっと、私はずっと一人でしたわ。適応したといえど食人病に感染した私を仲間に入れてくれるコミュニティなんてないですもの。ルレザンのお陰で、私は幸せに今を生きていられる。ルレザンは私の光。英雄なのです!!」
「わかったわかった。君の気持ちは十分に分かったから前向いて。髪が編めない」
ルレザンは額に手を当て、照れを隠す。ストレーリチアは「わかったならいいのです」と満足気に前を向いた。
「いい加減、自分で編めるようになれよ」
「うふふ、三年前も同じことを言われましたわ」
「三年前どころか、孤児院にいたときからずっと言ってるよ」
孤児院の者全員が死亡してから。唯一生き残ったストレーリチアはルレザンの家に引き取られた。それからは、ストレーリチアとルレザン二人で暮らしている。
「それにしても、何故目隠しをしているのに髪を編めるのです? 私、いっつも気になって仕方がないのです」
ルレザンは黒い目隠しをしている。それなのに丁寧にストレーリチアの髪を編めている。それがストレーリチアは不思議でたまらなかった。
ルレザンが目隠しを始めたのはつい最近だ。なんでも、自警団での任務中に目を切ってしまったのだとか。
「外から中は見えないけど中から外は見える目隠しなのさ」
「あら不思議。それよりお目目は大丈夫ですの? 切っているなら目は見えないのでは──」
「みえるものはみえるんだ。それよりチア、動かないでくれるかい? 綺麗に編めない」
有無を言わせぬ物言いにストレーリチアは黙ることしかできなかった。
ルレザンの大きな手が大切なものを触るように繊細に、ストレーリチアの髪を編む。この時間が、ストレーリチアはずっと昔から好きだった。なんてったってルレザンが自分を見てくれているのだから。大切にされていることが伝わり、ルレザンの体温がストレーリチアの中に溶ける。いつもルレザンに三つ編みを頼むのは、ストレーリチアがこの幸せな時間を味わいたいからなのかもしれない。
はい、終わり。極楽な時間の終了の合図。それさえもストレーリチアは好きであった。
「ありがとう、ルレザン」
「どういたしまして。さ、僕は仕事に行ってくるよ」
ルレザンは壁にかけてあるライフルを手に取る。慣れた手つきでクルクルっと回しカッコつけた
「行ってらっしゃい、ルレザン」
編み終わった二つの三つ編みをゆらし、ストレーリチアは彼の背中へ手を振る。バタン。玄関の扉が閉まる音がして、ストレーリチアは立ち上がった。
ルレザンの私室。そこには食人病やその病におかされた生物についての本が置いてある。ストレーリチアは迷いなく一つの本を手に取り、パラパラと黄ばんだ紙をめくる。
「食人病におかされると色が抜け、日に弱くなる。その代わりか、五感が異常なまでに発達する」
赤瞳に映る文章をストレーリチアは音読してみる。そしてパサ、と本を放り、ルレザンの椅子に座る。
「私の英雄。みんなのヒーロー、ルレザン。こんな日がずっと、続けばよかったのに」
机に突っ伏したストレーリチアの言葉は、小鳥のさえずりによってかき消されてしまった。
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