第118話 読書の光景

 中学生の女の子と他人事、それこそ物語でも読み聞かせるような口ぶりではあるが、紛れもなく『薔薇子』の話である。

 もしかすると薔薇子はあえて『他人事』のように話しているのだろうか、と高松は慎重に彼女の表情を探る。いや、目の前にいるのはいつも通りの王隠堂 薔薇子だ。

 安心したと同時に、心臓の奥の方で小さな不安が芽吹く。今は、『いつも通りであるべきではない状況』だろう。

 それまで名前も知らなかった他人が、また他の誰かを殺した事件とは違う。

 彼女も被害者の一人だ。『いつも通り』であることが問題。

 その痛みに気づき、高松は自分の胸を押さえた。当然、他者の動きに敏感な薔薇子が、高松の行動を見落とすはずがない。


「ははっ、やはり似ているな」


 突然笑い出した薔薇子。

 高松が怪訝な表情を向けると、彼女は右手を顔の前に挙げて「失敬」と心ばかりの謝辞を述べる。


「似ている?」

「今話していた『刑事』も、ちょうどキミのような表情で話を聞いていたよ。やはり、親子は似ているものだ、と当たり前の確認をしただけさ。いや、似ていない親子もいるにはいるから当たり前ではないか。難しいものだな、日本語とは」


 彼女の『日本語』のハードルの高さには驚かされる。確かに世界で見ても日本語は難しい言語だ。ただし意思疎通程度ならば、それほど難解ではない。相手との齟齬をなくすための絶妙な言葉選びを含めると、難易度は飛躍的に高くなる。

 薔薇子のいう『日本語』とは、全ての意味が正しく相手に伝わる、言語の究極系としての日本語だ。

 そんな薔薇子の『日本語』に対する姿勢を感じた高松は、お返しだと言わんばかりに微笑む。


「ふっ、薔薇子さんこそ似ているじゃないですか」

「似ている?」


 先ほどと全く逆の立場になった二人は、表情を入れ替えたかのように、薔薇子が怪訝な表情を浮かべていた。


「私が誰と似ているというのだね。いや、話の流れ的には父であるとわかる。それほど頭が回らないわけではない。だが、辻褄が合わないのだよ。キミは王隠堂 春蘭を知らないじゃあないか、高松くん」

「確かに知りませんでしたけど、短編集『その名前』に収録されている『炭鉱が死んだ日』を昨日、初めて読みました。雲雀山 春宵が描いた阿部市の人々は、なんというかセピア色なのに騒がしく、生きることに必死で、読んでいて、目の前にそんな光景が広がっている気がしたんです。これって、作者と読者との『齟齬』がないから生まれる読書の光景ですよね? それほどまでに、日本語に拘って、表現に拘って、だからこそ伝わる。親子揃って日本語に厳しいですね」

「た、『炭鉱が死んだ日』はまだ未熟だった頃の父の作品だ。それ以外の作品ならば、日本語や表現、言葉に拘っていることを悟らせもしない。それほどまでに浸らせる書き方をしているよ。次は違う作品を読んでみたまえ」


 自分の父を褒められ、一瞬だけ『王隠堂 薔薇子』の壁が薄れたような気がした。

 それに対して高松は「読みますよ。これから、全部」と真っ直ぐ答える。

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