第112話 姫様の右手に口付けを

 人間とはどこまでいっても欲深い生き物だ。人間に欲がなければ、人間たり得ないだろう。

 神話の時代を否定するわけでも肯定するわけでもなく、アダムが蛇にそそのかされなければ、現在の人間は存在していない、というのは事実であろうと逸話であろうと、説得力がある。

 始まりの人間ですら欲を持っていた。

 そして高松にも欲はある。正義感とは相反するように思われるが、正義すらも『欲』といっていい。

 高松の強い言葉を聞いた薔薇子は、言葉で言葉を噛み砕くようなことはせず、ただ話を続けた。


「それで、キミはどうしたんだい。高松くん。インスタントに私の秘密を暴くことはしたくない。けれど、知りたい。その知的欲求・・・・・・好奇心とどのようにして向き合ったのか?」

「薔薇子さんなら、俺がどうしてここまできたのか、わかっているはずじゃないですか」

「ああ、知っている。おそらく、その場の感情で動かされてきた高松くんよりも、深く、鋭く、真実を、ね。けれど、それは高松くんの言葉で聞くことに意味があるのさ。それは『高松くん』が教えてくれたことだよ」


 高松の問いに答える薔薇子の表情は、心なしか嬉しそうであった。

 これまでのことで、誰もが理解しているはずだが、薔薇子には他人の気持ちなど理解できない。というよりもする気がない。彼女にとって大切なのは、そこにある真実だけだ。誰がどう考えているというのも、『推理』に信憑性を増すための『情報』であり、それ以外の何者でもなかった。

 わかりやすくいうならば、『何を考えどうした』というよりも、『何をした』一点のみに興味がある。『何にために』というのはあくまでも、相手を追い詰めるための『情報』にすぎない。

 それなりに薔薇子について理解し始めていた高松は、彼女が求めている答えを想像し、話を続ける。


「俺は・・・・・・俺の周りにある、周りにいる、信頼できる人に少しずつ話をしました。自分の悩みや疑念について、話せる限りで、自然に。その結果、俺にとって必要な情報が徐々に集まってきたんです」

「それは『高松くん』が『高松くん』だからだ。情けは人の為ならず。使い古されカビの生えた言葉だが、存外私はブルーチーズが好きでね。古臭い言葉にも、それなりに美徳を感じるのさ。結局は、高松くんの生き様が、キミを助けた。そういう話だろう。私の美学には反するが、悪くない関係性だ、と一般的にはいうのだろうね。それで?」

「俺はいつの間にか・・・・・・いや、俺のことを理解してくれている人の配慮で、ある本を手にしました。『LA VIE EN ROSE』です」


 高松が本の名前を言いながら、鞄からソレを取り出すと、薔薇子は初めてといってもいいほど表情を大きく変化させた。最初は驚愕。二番目は納得。三番目は落ち着くための呼吸。一気に薔薇子の、見たこともない彼女の表情を目の当たりにした高松に、優越感がなかったといえば嘘になる。


「順を追うのが苦手で、飛び飛びになってしまっていますが、俺は最初から『雲雀山 春宵』は、薔薇子さんの関係者、いや大切な人なんだと思ってました。そして、その次に俺は『雲雀山 春宵』は事件に巻き込まれ亡くなったことを知った。そこで考えたんです。薔薇子さんが『終わった事件』に執着するわけがない、って。それがたとえ、身内の事件であっても。だって、薔薇子さんにとって事件の解決は、被害者への鎮魂だから」

「・・・・・・高松くん、キミは私を過大評価、ううん、過小評価しているよ。私が事件を解決するのは私のためで、被害者のことなどどうでも」

「そうじゃないなら、どうして罪と罰の話をするんですか。事件に対する知的好奇心でしかないなら、罪や罰なんてどうでもいい。誰よりも矛盾しているのは、薔薇子さんだ。たった一人で、過去になってしまって、終わったとされている事件を追っている。だから薔薇子さんは、阿部市に居続けている。違いますか?」


 これが『探偵』高松 駿が話せる全てだった。推理にはいくつか大きな穴がある。理論的でなくてはならない推理に、感情論が混ざっていること。そもそも推理ではなく推論であること。

 もしもこれで王隠堂 薔薇子の心を動かすことができなければ、ここで全てが終わる。そんなことは高松にもわかっていた。けれど、これが彼の精一杯だったのである。

 しかし、薔薇子は想像よりも優しげな顔で、少し俯いていた。確か探偵が下を向くときは、『証拠探し』の時ではなかったか、と高松は不思議に思いながらも、薔薇子の反応を待つ。


「ははっ、いつまで経っても『高松くん』は『高松くん』だな。いつだって、私に足をくれる」


 聞こえるか聞こえないか。それくらいの声量で薔薇子は呟く。そうしてから、強い眼差しで高松を見据え、こう言い放った。


「正解だよ、高松くん。バラバラなパズルのようではあるが、ピースは全て揃っている。植物園を造り上げるための種は全て揃った、いい答えだ。だからこそ」


 薔薇子はそう言いながらベッドから立ち上がり、高松に右手を差し伸べた。


「どこまでも、私を信じ、私についてきてくれるかい? 言っておくが、キミに利点はない。私は私のやりたいようにやる。キミは巻き込まれる。得られるものは、知的好奇心への満足感。それでも、キミは私の隣を望むのなら、改めてこの手を取ってくれ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る