第109話 床にでも座っていろ
胸の奥が燃えるように熱くなるのを、高松は感じた。
呼び名の違いなど、それほど大きな問題ではない。『助手』という言葉に対して、不満を述べてはいたが、薔薇子との話題の一つでしかなかった。いわば、ただのコミュニケーション。
そう思っていたはずなのに、『相棒』と呼ばれただけで、自分の名前を薔薇子が呼んでくれただけで、どうしてここまで目が熱を持つのだろうか。
ギリギリのところで涙を堪え、高松はぎこちなく微笑んで見せる。
「待ってた、って・・・・・・そりゃリハビリも休養も義足の調整も大切ですけど、連絡の一本くらいくれれば良かったじゃないですか。書店の一部を買い取ったことだって、俺に言ってくれても」
高松の言葉を聞いた薔薇子は、自分の右足を確認してから、ベッドに手をついて立ち上がる。
「離乳の時期だ、と言ったはずだよ、高松くん。赤子じゃあないんだ。欲しいものは自分の足と手で、欲しい答えは自分の目と頭で得なければならない。私にそう教えてくれたのは、他でもないキミじゃあないか」
「俺?」
身に覚えのないエピソードに目を丸くする高松。だが、薔薇子はお構いなしに話を進めた。
「けれど、キミは自分の頭で考え、その足でここまで来た。今の高松くんに求める要素としては、及第点と言ってもいい」
「合格点じゃないんですね」
「甘いな、高松くん。私の中にある『合格点』は、汗と涙くらいでは到達できないよ。それこそ、脳髄が焼き切れるほどの思考と、血反吐を吐き、吐いた血反吐を再び飲み込むほどの覚悟と・・・・・・火焔の中で命を賭して、私を外へ放り投げるほどの愛。それがなければ、『合格点』はあげられない。そして『合格点』はもう、この世にはいないのさ」
言葉の最後。少しの間を挟んでからの薔薇子は、悲しげな表情で重く苦しい言葉を、振り絞るように吐き出していた。
彼女の言葉が何を意味しているのか、今の高松ならば理解できる。
「キミに性急と言いながら、私も話を急いてしまったようだ。少し話を・・・・・・昔話をしようか、高松くん」
薔薇子はそう言って、再びベッドに座った。彼女は右手で自分の真隣を軽く叩く。
ここに座りなさい。そう伝えているような気がして、高松はゆっくりと薔薇子の隣に、腰を下ろそうとした。
その瞬間、薔薇子の右手が高松の背中を押し、無防備だった彼は床に投げ出されてしまう。
「うわっ、何するんですか、薔薇子さん」
寸前のところで受け身を取り、振り返った高松に対し、薔薇子は唇を尖らせた。
「いい度胸じゃないか、高松くん。女性のベッドに座ってもいいと思っているのかい? 外を走ってきた、その汗だくの体で、私のベッドに座ろうというのかい? これはこれは、面白いジョークだよ。これまでで一番、とびっきりのジョークだ」
「薔薇子さんが、ここに座れってしたんじゃないですか!」
「私の記憶が正しければ、いや、正しいけれど。『ここに座れ』なんて言葉は発していない。今だけじゃない。生まれてから、一度もだ。ああ、モテない高松くんは勘違いしたんだね。いいかい? 私はベッドの上に落ちていた髪の毛を、軽く叩いて払っただけさ。キミは床にでも座っていろ」
怒った口調ではあるが、何故か薔薇子の表情は照れているように紅潮していた。その上、『床に座れ』と言いながら、ベッドの下にあったクッションを高松に投げつけている。
「モテないことは関係ない、ただの勘違いですよ、もう。そんなに怒らなくてもいいじゃないですか」
どこか腑に落ちない、小さな違和感を覚えながらも、高松はクッションの上に座り薔薇子を見上げた。
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