第108話 待っていたよ

 心の奥に、好奇心だとか、狂気だとか、非日常だとか、そんなものが刺さって抜けない。痛くて痛くて、けれどその痛みが愛おしくてたまらなくなってしまったのである。

 最初は小さな歯車だったかもしれない。錆びつき、ところどころ欠けた歯車は、運命とかいう不確か気まぐれで動き始め、やがては大きな歯車を動かし始める。

 

「随分、詩人のようなことを言うようになったね、高松くんも」


 薔薇子はいつも通り、飄々とした態度で、ベッド中心に座りこんでいた。あれほど高級そうな椅子を用意してたくせに、一目でわかるほど安っぽいベッドである。

 今まで見てきた薔薇子と全く変わらない態度に、高松はこれまであまり自覚してこなかった感情を抱いた。


「一体・・・・・・一体、何をしていたんですか!」


 その言葉は、薔薇子を責め立てるというよりも、自分自身に言い聞かせたもの。人の心情に対して希薄な薔薇子ではあるが、どういうわけか、高松の言葉を深く理解していた。


「言っただろう? 待っていた、ってね。そもそも数日会わなかっただけじゃあないか。これまでの人生を考えると、たいした時間じゃあない。そう思わないかい?」

「・・・・・・俺は思わない」


 そういえば、高松が薔薇子に対して真っ向から反論したことがあっただろうか。ちょっとした認識の違いで、確認に似た言い合い程度はあったが、これほどまでに強くわかりやすく反対したことはない。

 それに驚いた薔薇子は、珍しく動揺したらしく、ベッドから立ち上がった。


「認識の違い、ってやつかな。私にとって、この数日は必要だった。認識の齟齬というよりも、必要性の説明不足、と言った方が正しいか。前言を撤回するよ、高松くん」

「俺が言っているのは、そういうことじゃないです」


 彼女の言葉に即答した高松の目には、いや瞳孔には折れぬ芯があった。彼の足は、長距離を全力で駆けてきた反動で、震えている。それでも体は震えていなかった。全身に力を込め、立ち向かうべき問題と対峙している。


「俺だって、もう子どもじゃないんです。いつまで蚊帳の外で、指を咥えていればいいんですか?」

「どうしたんだい、高松くん。らしくないじゃないか。いや『らしくなった』じゃないか。そもそも指を咥える必要はないよ。そういえば一説として喫煙者には、赤子の時に母乳を飲んでいた記憶が色濃く残っており、口に何かを咥えていると安心する、というものがあるらしい。乳離の時期ってことかもしれないね」

「俺は!」


 激昂するわけでもなく、高松は薔薇子の言葉を途切れさせるように叫ぶ。


「俺は・・・・・・いつまで他人なんですか。薔薇子さんが俺を選んでくれたんじゃないんですか

? 『薔薇子さんに必要な数日間』に俺は不必要だったんですか? 俺は薔薇子さんの足じゃないんですか? 相手のプライベートを盗み見ることは、俺にとって『正義』じゃなかったんです。でも、けど、だけど! それを破ってでも、俺は薔薇子さんに会いたかった。何が起きているのか、知りたかった。これって薔薇子さんの言っていた『不謹慎な好奇心』ってやつですか?」


 飾り気のない、高松自身の心の言葉である。

 それを聞いた薔薇子は、これまで見せたことのないほど、優しく、嬉しそうに微笑んだ。


「やれやれ、高松くんは。本当に『高松くん』だな。あの時から何も変わっていない。もう一度言う、『待っていた』んだよ。私は、高松くんならここに来ると、信じていた。ああ、もちろん、そうなるであろうという私の推理をね」


 薔薇子はそう言ってから、種明かしをするマジシャンのように語り始める。マジシャンと表現したが、本物のマジシャンは種明かしをしない。正しくは、マジックを覚えたばかりの子どものように、だ。

 高松がこれまで得てきた情報。雲雀山 春宵の別荘放火事件。雲雀山と薔薇子の関係性。片桐茜と片桐 鳳仙の存在。そしてそれぞれの関わり方。そこから薔薇子は、高松が知るであろう事実を予測していた。

 そして、片桐 茜が彼の背中を押すことも。

 最後に薔薇子はこう続ける。


「最近、事件が多くてね。立っている時間が増えてしまった。気付いていると思うが、私は義足での生活を始めて、そう長くはない。本来なら、まだリハビリを続けなければならない状態なんだ。だから、この場所で高松くんを待ちつつ、義足の調整をし、リハビリをしていた。それだけのことだよ、高松くん。キミなら、ここに辿り着くだろうと・・・・・・私は始めて『希望』を、『願い』を込めて推理したのさ。そしてキミは、私の願いと希望に応え、魔法を起こした。最後にもう一度だけ言うよ」


 一呼吸おいて、薔薇子はその美貌を全開放するように、柔らかく、暖かく、恋しく笑顔を浮かべる。


「待っていたよ、高松くん。私が選んだ、たった一人の『相棒』をね」

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