第106話 足の役割

 高松の中で出した答えは、『希望的観測』だという人もいるだろう。いや、状況的には『絶望的観測』かもしれない。

 けれど、推理なんて言葉とは無縁の世界で生きてきた彼が、自分自身で出した答えだ。

 自らの意思で考え、他人に踏み込み傷つけないように生きてきた高松 駿のベイビーステップ。よちよち歩きではあるが、それは大きな一歩だ。シャーロック・ホームズがワトソンに『さぁ、君も帽子を被りたまえ』と言わなければ始まらなかったように、高松 駿は動き出す機会を得た。


「茜さん、俺!」


 閉店作業がまだ途中であることは、わかっている。それでも、この情熱を、行動力を、彼は確かに感じていた。

 自らで決めた『薔薇子の謎』と向き合う意思。

 もう、逃げない。言い訳をして、他者との距離を一定に保つをの止める。

 握った箒の柄が、異常なほどに熱かった。握りしめている拳の熱さが、血液の流れを介して、ふくらはぎに伝播する。

 

「あらら、着いちゃったか。火」


 片桐の顔は、先ほどまでとは違い、雲のような柔らかさを感じさせた。

 青春独特の熱を肌で受け取った片桐は、諦めたように息を吐く。


「そういえば、契約書にサインしちゃったもんね、高松くん。『有事の際には、王隠堂 薔薇子の同行する』ってさ。これは、梅原書店としての仕事でもあるのかもね。時給が発生するかは、梅原さんの判断次第だけれど・・・・・・行きなさい。少年が青年に、その瞬間だよ」


 梅原書店、責任者代理の言葉は強く高松の背中を押した。

 性格上、そのまま箒を投げ出すような真似はしなかったが、丁寧に掃除用具ロッカーに箒を片付けた後、高松は片桐に礼を言ってから梅原書店を飛び出す。

 息を切らし、商店街を走りながら、高松は考えをまとめた。

 阿部市にこだわり、事件を解決する探偵して生きている薔薇子。不可思議な菊川警部との関係性。時々、発生する高松には理解できない会話。

 薔薇子と菊川警部は高松に『何かを隠している』のかもしれない。しかし、そこには悪意が感じられない。まるで『気遣っている』ような雰囲気すらあった。何かの意思を持って、二人は『隠し事』をしている。

 そして、高松の中にも拭いきれない疑問があった。どうして自分には『抜け落ちている記憶』があるのだろうか。

 わからないことだらけだ。それでも、今すべきことはわかっている。


「薔薇子さんに会わないと!」


 今考えるべきことは、それだけだ。そこに全てがあると信じていた。

 これまで避けていたことから逃げない。強い意志から、走りながら高松は携帯電話を取り出す。

 

「六年前の放火事件。現場は雲雀山 春宵の別荘。その住所は・・・・・・」


 検索サイトを利用し、読み進める中で、自分の無知さを恥じた。

 通称、雲雀山焼死事件。その発生日は、七月二日。

 高松は携帯電話画面の右上に強い視線を向ける。その場所には現在の時刻と、今日の日付が表示されている。


「七月二日・・・・・・今日じゃないか。今日は、雲雀山 春宵・・・・・・薔薇子さんのお父さんが亡くなった日だ」


 インターネットが普及してから何年経っただろうか。ネット上の情報の信憑性は確かなものではないが、ある程度の事実を得ることはできる。嘘を嘘と見抜けない者はインターネットを利用すべきではない。そう言ったのは誰だったか、そんなことはどうでもいい。

 けれど、有名な事件の現場や日付が嘘である可能性は低いだろう。

 最初から巻き込まれるつもりで、踏み込むつもりで、土足で突き進むつもりでいれば、もっと早く行動できたはずだ。

 高松はそう悔いながらも、最短距離で走った。六年前、消失してしまった『雲雀山 春宵の別荘』に。


「薔薇子さんは・・・・・・一人で戦ってたんだ。終わったとされていたのに、終わっていなかった事件に。そのために義足で立ち上がったんだ。どうして俺を選んでくれたのかわからない。でも、選んでくれた。なのに俺は、薔薇子さんが迎えに来るのを待ってた。俺の役割は、薔薇子さんの足。俺から行かなきゃならなかったのに!」

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