第105話 まだ終わっていない

 片桐が何故、同じ問いを繰り返したのか高松には分からなかった。

 王隠堂 薔薇子は猫のような女性である。気ままに振る舞い、いきなり現れる。そんな人を探すなど、容易なことではない。

 けれど片桐は、三度「本当に?」と問いかけてきた。

 同じ言葉でも、一度目と二度目では意味が変わる。三度目ともなれば、その差は大きい。

 文字通り、高松は問われているのだ。本当に、薔薇子の居場所を知らないのか、と。

 

「・・・・・・薔薇子さんの居場所」


 自分の心に尋ねるように、高松が呟いた。それに対して片桐は、やけに真剣な表情で語りかける。


「いい、高松くん。本を読む時に大切なのは、『いつ』『誰が』『何故』『どこで』『どうした』なのよ。情景がしっかりと頭に入っていなければ、目の前にあるのは『文字』でしかない。読者が作者の表現したい世界を頭の中で思い浮かべるから『文字』は『物語』になるの。今、自分が何を知っているのか。それを『作者』がどのように描いているのか。考えることから目を背けちゃ駄目よ?」

「俺が何を知っているのか・・・・・・」


 先ほど高松自身が言っていたように、彼は薔薇子の連絡先も住所も知らない。そもそも今の片桐の言葉には、理解できない部分がある。


「いや、作者ってなんですか。俺が向き合ってるのは、ミステリー小説じゃないんですよ」

「同じことよ」


 片桐は言う。


「集合無意識とか、神とか、運命とか、人間にとって都合のいいように名付けられているけどね。世界ってのは、何かと何かが作用しあって廻っているの。目の前にある問題に、誰の作為も介入していないなんてことはありえないの。どんな理不尽も幸福も、ね。だから人間は考えて、考えて、考えて、自分の意思で一歩踏み出さなきゃならない」


 小説の言葉でも引用しているかのような、芝居がかった片桐の言葉は、不思議と高松の心にすんなり入ってくる。運命やら、神やら、そんな大仰な言葉に惹かれたわけではなく、明確に彼女が何かを伝えようとしている意思が感じられたからだ。

 さらに片桐は言葉を続ける。


「私は高松くんの、正義感が強くって、困っている人を見過ごせなくて、他人が傷つくくらいなら自分が傷ついた方がいいって、痛々しいほどの青春感は好きよ? 高松くんの本質は『優しさ』だと思うから。けど、優しいってのは弱いってことなの。弱さに共感できるから、優しくあれるのよ。小説でもそうじゃない? 登場人物に共感できる要素がなければ、真に入り込むことはできない。もちろん、持論だけどね。ああ、勘違いしないでね。弱いことは悪いことじゃないの。でも、臆病なのは悪いことだと思うなぁ、お姉さんとしては」


 普段の高松なら『一歳しか変わらないじゃないですか』と返しているところだろう。

 だが、言い返せなかった。自分が『目を背けている』という事実に心当たりがあるからだ。他人を気遣い、踏み込まない。それは臆病な自分への言い訳である。

 考えろ。

 高松は自分にそう言い聞かせた。

 自分は何を知っていて、何から目を背けているのか。


「雲雀山 春宵は王隠堂 春蘭で、薔薇子さんのお父さんで・・・・・・放火事件で亡くなっている。じゃあ、薔薇子さんのお父さんは『殺された』? でも、その事件は解決してるはず。そもそも雲雀山 春宵は阿部市で亡くなったけど、別荘だった。それじゃあ、なんで薔薇子さんは阿部市で事件専門の探偵をしてるんだ? 他にもちゃんとした家があったはずじゃないか。何か目的があって阿部市にいる・・・・・・そして、薔薇子さんは『終わった事件』に興味を持たないい」


 そこまで言葉にして、高松はようやく気づいた。


「まだ、終わっていないんだ。六年前の放火事件は」

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