第104話 油性マジックペン

 薔薇子に会えない一週間で、高松は妙な焦燥感を感じ始めていた。それは漠然としていて、とてもじゃないが言語化できない、謎の焦燥感。

 心臓が『もっと酸素をよこせ』と言わんばかりに早打ちを始め、何かをしなければならないはずなのに、何もできない。そんな物足りない時間。

 焦りと物足りなさ。その矛盾の中で、高松は生きていた。


「俺の役割・・・・・・」


 高松は片桐に言われた言葉を噛み砕くように呟く。

 一体自分には何ができるのだろう。どうして薔薇子は自分を選んだのだろう。疑問だけが頭の中で膨らんでいった。いっそ疑問がガスのような気体であれば、このままふわふわと体ごと浮かび始めるのではないか。意味もない『もしも』が思考を邪魔する。


「高松くん? 手が止まってるわよ。さっさと閉店作業始めちゃいましょう」


 呆然と箒を持ったまま立ち尽くす高松に、片桐が声をかけた。

 思考世界から戻ってきた高松は、慌てて床を掃く。


「すみません、ぼーっとしてました」

「そうね、かなり長い時間ぼーっとしているものだから、高松くんの顔にチャップリンみたいな髭を描いておいたわ」


 そう言いながら片桐は油性マジックペンを掲げて見せる。


「ちょ、何してるんですか。やめてくださいよ」


 焦って自分の鼻の下を擦る高松。すると片桐は、悪戯な笑みを浮かべてペンをレジカウンターの上に置いた。


「嘘よ。というか、そんなことされても気づけないほどぼーっとしてたの? 普通気づくでしょうが。どれだけ王隠堂さんのことが気になってるのよ」

「気になってるっていうか・・・・・・だってここまでしておいて、店に顔を出さないなんて何かあったかもしれないじゃないですか」


 高松が言うと、片桐は「そうねぇ」と腕を組む。

 そもそも薔薇子は『事件専門の探偵』だ。自ら事件に首を突っ込むのだから、『何かあったかもしれない』可能性は他の者よりも高い。現に阿部新川駅前ホテルでも、犯人に襲われかけていた。寸前のところで高松が間に入ったが、怪我をしていてもおかしくはなかっただろう。

 その時、薔薇子の代わりに受けた額の傷が、内側からズキズキと痛んだ。


「もし、薔薇子さんに何かあったんだとしたら・・・・・・」

「あったんだとしたら?」


 ふと口にした言葉を片桐に繰り返され、高松はハッとする。

 何かあってからでは遅い。自分には薔薇子のように事件を解決する能力はない。『何かあってから』は探偵や警察の仕事。

 陰鬱とした雰囲気で悩む高松。悩む若人の姿を微笑ましげに眺めていた片桐は、勢いよく高松の背中を叩いた。


「どーん!」

「痛っ! 何するんですか、茜さん」

「いつまでウジウジとしているのよ。そんなに気になるなら、自分から探しに行けばいいじゃない」

「そうは言っても、俺、薔薇子さんについてほとんど知らないですから。あの人がどこにいるのかなんて、見当もつきませんよ」


 自分の背中に手を回して摩りながら高松が反論すると、片桐は真剣な眼差しでこう聞き返す。


「本当に?」

「え?」

「本当に、王隠堂さんがどこにいるのか、見当もつかないの?」

「何言ってるんですか。だって、連絡先も住所も知らないし・・・・・・」

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