第103話 暗闇に垂らされた一縷

 そもそも高松は、薔薇子が携帯電話を持っているのかすら知らない。

 この時代、自分の携帯電話を持っていない者の方が少ないだろう。けれど、あの王隠堂 薔薇子であれば、個人的なこだわりで携帯電話を持っていない可能性もある。

 例えば、『他人の都合でこちらの行動を支配されるなど、納得しかねる』とか『人間は携帯電話の奴隷になってしまっている』とか、彼女ならば言いかねない。容易に想像できる人物であるということだ。

 薔薇子に一度しか会っていないはずの片桐ですら、高松の言葉にある程度の納得を見せる。


「まぁ、そっか。あの子なら、携帯電話を持っていないこともあり得るわよね」


 あの子、と言っているが片桐 茜と王隠堂 薔薇子は同い年である。

 しかし、確かにというべきか、片桐の方が大人には見える。見た目の話ではなく、精神的な話だ。

 

「あ、もちろんですけど」


 高松は話の流れを途切れさせないよう、言葉を続ける。


「薔薇子さんも、俺の連絡先も知らないですよ。連絡先交換の話なんてなかったですから」


 あまりにも複雑、いや雑な関係性に苦言を呈するが如く、片桐は呆れた表情を浮かべた。


「運命の再会待ち、ってこと? それはちょっと、難しいんじゃないのかな。高松くんは少女漫画症候群でもあるの? 併発?」

「症候群の併発って、上の句次第では中々な言葉じゃないですか。違うんですよ」


 わかりやすく不名誉な表現に対し、高松は独自の反論を展開する。


「どう説明すれば良いのかわからないんですけど、薔薇子さんが本気出せば、俺がどこにいるのかわかるんですよ。だから、あの人にとっては連絡先を聞いて、連絡を取って待ち合わせをするよりも、直接俺のいる場所に来た方が早いんだと思います。俺からすれば理解も納得もできないですけど、薔薇子さんなりの『合理的』な方法なんでしょうね」


 高松の説明を聞いた片桐は、意味がわからないという表情で首を傾げた。


「・・・・・・GPSでも埋め込まれてるの?」

「茜さん、昨日SF小説でも読みました?」

「残念。惜しいなぁ、さっきで読んでたのはディストピア小説だよ。AIが人間を脳に埋め込んだチップで支配している世界の話。今日発売したばかりの新刊だよ? 葦澤 檸檬の『after』って作品」


 そう言いながら片桐は、レジカウンターの下から灰色の本を取り出す。


「いや、今日発売したばかりの新刊ってことは、仕事中に読んでたじゃないですか。今日は忙しかったって話から始まってませんでしたっけ?」

「本は読みたいと思った時が読むタイミングなんだよ。一度逃したら、もう読まなくなるかもしれないじゃない」

「大抵の本は読むじゃないですか、茜さん。葦澤 檸檬・・・・・・か」


 一度知ってからどうしても反応してしまう、作家の名前。薔薇子が特別な感情を抱いている作家、葦澤 檸檬。

 その名前を聞いた瞬間、高松の脳は、葦澤の方へ話題の転換を求めたが、今はそれ以外にも気になることが多すぎる。差し当たって、『薔薇子が高松の連絡先を聞くよりも、直接会いに来た方が早い』話に戻した。


「どういう頭の使い方をしているのかわからないですけど、飛び抜けた才能を持っているんですよ、薔薇子さん。俗っぽい言い方になりますけど、一番簡単に説明するなら、推理力。情報を精査し、正しく真実に辿り着く能力が異常に高いんです。あの人が本気になれば、俺がここにいることはわかるはずです。用事があれば薔薇子さんの方から来ますよ」

「推理力ねぇ。推理力って曖昧な力よね。数値化できないものだから、証明は結果でしか表せない。そしてそれは誰かと比べることも難しい。孤独な能力なのかもしれないわね。これは持論だけれど、世界一有名な探偵は多分、シャーロック・ホームズだと思うの。けれど、ホームズの推理力は『シャーロック・ホームズ』に出てくるキャラクターと比べて、相対的に優れているって話じゃない。元も子もない言い方だけどね。ホームズにとって世界一の探偵でいられる環境だった、なんて言うとファンに怒られちゃうかしら。でもそういうものなのよね」


 どこか意味深な片桐の言葉を、今の高松は半分も理解できていない。


「・・・・・・な、なるほど?」

「わかってないない時の『なるほど』は信頼をなくしかねないわよ。つまり、王隠堂さんはその能力ゆえに孤独な状況にあるかもしれない、ってこと。高松くんが、王隠堂さんの助手なのなら、彼女を孤独にさせないことが与えられた役割なのかもしれないわね」


 言葉を追加されても、高松はその真意を理解できていなかった。この時点での高松は『王隠堂 薔薇子の孤独』を知らない。そして、孤独の暗闇に垂らされた、蜘蛛の糸になりうるのが自分だけであることも。

 早く薔薇子に会えれば。今の高松は『待ち』の姿勢のまま、日常を送っていた。

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