第102話 見えない薔薇

「来ないわねぇ」


 片桐 茜がそう呟き始いたのは、薔薇子が梅原書店内に机を設置してから一週間後のことだった。

 その日も高松はバイトのシフトを入れており、いつも通り彼と片桐の二人体制。時刻は既に十八時近く。そろそろ片付けを始めようか、という頃合いだった。

 

「今から来られても、落ち着いて店内を見てもらえないじゃないですか。それとも何か予約しているお客さんでもいるんですか? 俺は聞いていないですけど」


 高松が床を履きながら答えると、片桐は売上表を閉じて首を横に振る。


「そうじゃないわよ」

「え、でも今日はお客さん多かったじゃないですか。有名作家の新刊発売日が被りましたしね」


 梅原書店に入ってすぐの新刊コーナー。平積みされた本には、日本を代表する作家たちの名前が書かれている。それに合わせて片桐が手書きしたポップを飾っていた。そこにある『茜オススメ』という文字は、一部の常連客にとって『面白い本』だという証書のようなもの。

 自他ともに認める本の虫である片桐 茜の勧める本だけあって、売れ行きは好調だった。とどのつまり、梅原書店にとって忙しい日だったといえるだろう。


「そうじゃないわよ」


 高松の言葉を否定する機械にでもなったかのように、片桐は同じ言葉を繰り返した。


「そうじゃない?」

「王隠堂さんのことよ。あれからもう一週間よ?」


 そう言いながら片桐は、薔薇子の机に視線を落とす。

 持ち主不在の机は、どこか寂しそうに書店の角を埋めていた。

 ここ一週間、常連客たちからは「あの机は何?」だとか「休憩コーナーができたんだね」だとか、机に対する質疑や感想が寄せられている。けれど、薔薇子が何をするつもりなのか本人の口から聞いていない以上、軽々しく『探偵事務所になったんですよ』なんて答えられない。

 高松と片桐は「あれは何でもないんですよ」と、若干無理のある誤魔化しで通している。

 まさか、一週間も薔薇子が現れないとは思ってもいなかった。

 

「ああ、薔薇子さんのことですか」


 白々しく答える高松。

 ずっと気にしていたくせに、と片桐は目を細める。仕事中、何かあるたびに高松は薔薇子の机を眺めていた。入り口のベルが鳴るたびに、期待を込めた視線をそちらに向け、何度も残念そうに『いらっしゃいませ』と口にしていた。

 王隠堂 薔薇子が来ていないことを誰よりも気にしていたのは、間違いなく高松である。わざとらしく『来ない話』を『お客さんが来ない話』として進めたのは、高松の思春期らしさなのだろう。

 片桐は彼を茶化すように口の端を緩めた。


「高松くんってさ、机に伏して寝たふりしながら、腕の隙間から好きな女の子を覗くタイプ?」

「何ですか、そのタイプ」

「河原に落ちてるエッチな本を手に取る勇気がないから、足でページ捲ってみるタイプでしょ」

「何診断ですか、それ。俺のこと小学生だと思ってるんですか?」


 不満を主張するように、高松は箒を床に擦り音を鳴らす。すると片桐は、頬杖をついてため息を漏らした。


「こんなにお客さんが来た日に『来ないわねぇ』って言ったら、お客さんなわけないことくらいわかってるくせに」

「・・・・・・本当、来ないですね薔薇子さん」

「あ、話逸らした。まぁ、そういうお年頃か」


 片桐はこれ以上深掘りしないよう、話を一旦終わらせてから言葉を続ける。


「梅原さんとしてはお金を受け取ってしまっているし、このまま王隠堂さんが来なくても、机はそのままでって言われてるのよね。高松くんの方に連絡はないの?」

「薔薇子さんからですか? そりゃあないですよ。だって俺、薔薇子さんの連絡先知らないですし」

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