第98話 三すくみの感情
基本的に人情味があり、他人を慮る性質を持つ片桐だが、信頼ゆえなのか高松に対しては揶揄うような口調を挟むことがある。『ことがある』というよりも、コミュニケーションの一つとして、あえて交えているのだろう。
それに対して、高松は不快に思うことなどないし、むしろ二人の関係性であるからこそ、会話として楽しめる要素でもあった。
「職場恋愛って。茜さん、俺のこと『恋愛したくて仕方がない人』だと思ってませんか? 少なくとも公私混同なんて真似しませんよ」
高松が軽く笑みながら、返答すると片桐は「へぇ」と不適な笑みを浮かべる。
「既に浸透していて、正しい日本語として扱われている言葉に反論するのもどうかと思うけれど、そもそも『公』ってのは要するに『仕事』って意味でしょう? そして、仕事とは『私』、私生活を支えるためのものじゃない。人は最初っから公私混同しているものなのよ。生活を充実させるための仕事、仕事を充実させるための仕事。それが職場の恋愛でもね。まぁ、ゆるーく考えればいいのよ。もっと簡単に言えば、『色んなしがらみに囚われず、高松くんは高松くんがしたいように生きなさい』って、お姉さんからのありがたいお言葉でした」
片桐は言いたいことを言い終え、レジの奥にあるバックヤードに引っ込む。
これ以上、来客がないと判断し、残っている作業、正確には『残していた事務作業』に向かったのだった。
片桐の背中がレジ裏のドアで隠れてから、高松は『新しいアルバイトの女子高生』はいつから出勤するのか、という疑問を抱き、バックヤードに足を向ける。
先輩を追いかけようとした矢先、高松は背後から声をかけられ、足を止めた。
「こんな感じで大丈夫ですか? 一応、依頼者の要望通りだとは思うんですけど。確認お願いしてもいいですか?」
夜空運送配達員からの確認である。
だが、そんなことを聞かれても、高松には薔薇子の想定する完成図などわかるはずがない。
「えっと」
当然、答えに困る。しかし、考えてみれば机や椅子の配置など簡単に変えられるものだ。配達されてきた荷物に過不足がないのであれば、配置などそれほど大した問題ではない。
一応ではあるが、高松は配達伝票を確認し、荷物の数量と種類を確認したところで、配達員にとっての業務終了を了承した。
「はい、大丈夫です。暑くなってきた中、ご苦労様でした」
「そうですか。それでは今後ともご贔屓いただけますように」
配達員は爽やかな微笑みで言葉を返すと、帽子を脱いで一礼し、梅原書店を立ち去る。
しかし、と高松は呆れに近い視線を薔薇子の机に送った。
彼女の常軌を逸した行動力について、今更疑問を持つつもりはない。考えてみれば、薔薇子は『したいと思ったことを必ずやり遂げる』という意思を強く感じさせる。
それも思った時に思ったように。良く言えば、即断即決即行動。日和見がちだと言われやすい日本人にとっては、必要な要素なのかもしれないが、あまりにも突然すぎた。
その上、人生を変えられるほどの大金をポンと遣い、やりたいと思ったことを『ほぼ最短』で叶えている。
「やっぱり、薔薇子さんは薔薇子さんなんだよなぁ」
高松はそう呟きながら、これまで抑えてきた自身の好奇心を意識し始めた。
王隠堂 薔薇子は一体何者なのか。
実を言うと、いやわざわざ言葉にしなくても、最適は方法はある。
雲雀山 春宵について調べることだ。作家、雲雀山 春宵と王隠堂 薔薇子に何かしらの関係性があることはほぼ間違いない。ある程度、想像もつく。
けれど、未だ能動的に調べるようなことはしていなかった。
その理由は一つしかない。『薔薇子のプライベートを覗き見するような真似をしたくない』、それだけだ。真実を知るのならば、他者がまとめた情報からではなく、薔薇子の口から聞きたい。それは高松の真っ直ぐすぎる倫理観の影響でもあり、薔薇子に対する誠意でもある。
もしくは、インターネットなどで手軽に情報を得るという軽薄さによって、薔薇子の信頼を失いたくはない『下心』でもあるのかもしれない。
高松の中にも、複雑な倫理観と正義感、好奇心のせめぎ合いが存在した。
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