第97話 少年漫画症候群

 告げられた事実はわざわざ要約するまでもない。

 高松 駿の勤務先は梅原書店のままではあるが、王隠堂 薔薇子が『有事』であると判断した場合、梅原書店員ながら彼女に同行する。そういう契約である。


「疑問は尽きませんけども」


 高松はそのように前置きをしてから、溜め息を吐いた。


「そんなに大切な契約に、俺の意思が介在していないのはどうしてなんですかね」


 当然とも言える高松の不平を聞いた片桐は、サインをするためのボールペンを用意しながら微笑む。


「高松くんの意思が介在するのは、ここからだよ。ふっふふーん、と。ほら、ここにサインするのか、しないのか。それは高松くんの意思でしかないじゃない。私は梅原さんからこの書類を預かっただけだし、強制するつもりはないわよ?」


 確かにそうだ、と高松は納得してしまう。

 ここにサインをすれば、これまで曖昧模糊だった立場がはっきりする。してしまう。

 契約書というモノ、もしくは言葉自体に慣れている社会人であれば、その内容を吟味し、判断することができるだろう。必要以上に緊迫感を覚える必要はない。

 けれど、高松 駿はまだ高校生だ。契約書に対して慣れという『耐性』を得ていない。

 契約という言葉の重みに一瞬、躊躇してしまいつつ、自分の名前が書かれたパイプ椅子を横目で見る。

 椅子の価値に差はあるものの、パイプ椅子は革製の重厚な椅子の真隣に配置されていた。前でも後ろでもなく、真横だ。

 

「・・・・・・突然の行動と、契約書。薔薇子さんなら、俺がどう考えて、どうするのか、推理してこの計画を進めたんでしょうね」


 そう呟きながら高松は、片桐からボールペンを受け取る。

 神妙な面持ちで契約書に向き合う高松に対し、精神的な『姉』である片桐は、温かみのある目を向けた。


「それは信頼? それとも理解? もしくは『希望』かな?」

「全部、です。いや、『期待』かも」

「ふふっ、高松くんって少年漫画症候群みたいなところがあるよね。その場の熱に巻き込まれやすいっていうか、素直っていうか、愚直っていうか」

「俺の勘違いじゃなければ、『愚か』って文字が入ってるんですけど」

「漢字辞書なら、最新版がそこの棚にあるわよ」


 片桐に揶揄われながらも、高松は契約書に自分の名前を書いた。高松 駿は王隠堂 薔薇子の助手として行動することが正式に決定した瞬間である。

 契約書にサインをしてから高松は、目の前で不謹慎なほどのニヤけている片桐のことを考えてしまった。


「あ、いやいや、そういえば茜さんはいいんですか? 俺が薔薇子さんの仕事を手伝うことになれば、その時間、書店での仕事は茜さん一人に任せることになってしまいますけど」

「それ、サインしてから聞く? お姉さんは悲しいなぁ。私のことを考えるのは、二の次かぁ。なんてね。大丈夫よ、だって王隠堂さんは『事件専門の探偵』なんでしょ? 事件なんてそうそう起きるわけじゃないだろうしね。何より、新しいバイトを雇うらしいから」


 そんな話、聞いてませんよ。高松はそう言おうとしたが、黙って目を細める。

 大切な話をギリギリまで聞かされないなんてことに不満を言うなど、今更すぎる。片桐に改善を求めるよりも、諦めた方が早い。

 そのため、新しいバイトを雇うという事実よりも、片桐の表現に着目した。


「らしい、ってどういうことですか」


 高松が聞き返すと、片桐はレジカウンターの下から履歴書を取り出す。


「だって、私の詳しく知らないんだもの。これも梅原さんから事後報告されたことだから。喜ぶといいよ、高松くん。初めての後輩ができるのよ。それも高校二年生の女子。あ、ウチは職場恋愛オーケーだからね」

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