第95話 革製の椅子とパイプ椅子
売買契約書。
そう書かれた紙には『店の一角を譲る』という契約内容が、小難しい表現で書かれていた。
甲は乙に梅原書店の南東角、一平方メートルを売却する、と。
当然、甲は梅原。乙は王隠堂 薔薇子である。
「ば、薔薇子さん!? 薔薇子さんが、この店の端っこを買ったんですか?」
「ほーら、驚いた。いい反応するよね、高松くんってば。王隠堂 薔薇子、一度聞いたら忘れられない名前だわ。珍しい苗字に名前よね。ちょっと調べてみたんだけれど、王隠堂ってさ」
片桐が何かを言いかけた時、店の扉が開き、ベルが鳴った。
古き良き、入店の合図である。
高松にはこのタイミングでの入店に覚えがあった。『彼女』はいつだってタイミングよく現れる。いつだって、『その時』に現れる。
そんな気持ちで入口に視線をやると、白と紺のストライプが見えた。深めに被った紺の野球帽には、星のマークが描かれている。
「お届け物です。場所は、えっとこの住所で間違いないですよね?」
店に入ってきたのは、広告でもお馴染みの『夜空運送』の配達員だった。
片桐はすぐにレジから出てきて、配達員の対応に向かう。
高松は、自分の予想が外れた気恥ずかしさを隠しつつ、配達員の手元を見た。『お届け物です』と言ってはずなのに、配達員が持っているのは配達伝票らしき紙一枚だけ。
ダンボールどころか小包一つ持っていない。
そもそも梅原書店に運ばれてくるものは、大抵事務用品か新刊くらいだ。営業中に荷物が運ばれてくること自体、珍しいことである。
一体なんなのか、と気にしつつ、高松は本棚の清掃を進めた。
「それじゃあ、お願いします」
片桐が伝票へのサインを終わらせてから言うと、あれよあれよという間に、『買い取られた一角』へ立派な黒い机と座り心地の良さそうな革製の椅子が運び込まれる。
「あ、あの、茜さん? これって」
恐る恐る高松が尋ねると、片桐は歯を見せて笑みを浮かべた。
「わざわざ聞かなくてもわかることを聞いてくるあたり、高松くんは『基本通り』って感じがするわよね。大体想像できているでしょ? そうよ、この荷物は王隠堂さん宛。梅原さんから荷物を受け取ってあげるように言われてたのよ。王隠堂さん本人は、残念ながら来れないらしくってね」
「やっぱり」
高松は改めて、机と椅子のセットを眺める。明らかにその場所だけ、異質な空間になっていた。
社長室と言われればそうも見えるし、マフィアのボスルームと言われればそうも見える。
どう考えても書店には不釣り合いな机と椅子。
半ば呆れるような気持ちでその空間を見ていると、配達員は最後にパイプ椅子を机の横に置いた。
一仕事終えた様子の配達員は、額の汗を袖で拭いながら確認する。
「配置もこれで要望通り。あとは・・・・・・ああ、そうだ」
すると配達員は、何かを思い出したかのように慌てて外から小さな荷物を二つ持ってきた。
一つは机の上に置く『探偵 王隠堂 薔薇子』と書かれた小さい看板。
もう一つはパイプ椅子に被せるビニール製のカバーだ。
そこにはこう書かれている。『助手 高松 駿』と。
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