第94話 ポジティブな他責思考

 昔からそうだった、と高松は言いかけて口を閉じた。苦手なものを言葉にしたところで、何も解決はしない。


「閉塞感ねぇ」


 片桐は言う。


「人混みってことは、それなりにひらけた場所だろうし、閉塞感って思っちゃうのは高松くん自身の精神的な問題かな。矛盾とも言えるのかな。まぁ、世の中のことは大抵捉え方次第じゃない? よく言われるけど、『まだ半分もある』か『もう半分しかない』か。それは簡単なようで大きな問題よね。心の問題ってものは、実は心だけの問題じゃないの。置かれていた環境や状況が大きく左右する。そういうものなのよ。ほら、大抵の悩みって『人間関係』によって生み出されるじゃない」

「それも何かの本に書かれていることですか?」


 高松が本棚の埃を払いながら聞き返すと、片桐は右手を銃の形にして彼に向けた。


「ううん、私の言葉。私見ってやつよ。でも芯は捉えていると自負しているの。だってそう考えれば、少しは楽でしょ。そうね、『ポジティブな他責思考』って感じかな。何事も自分のせいだなんて思ってしまうのは、ある種エゴイズムとも言えるわ。背負いすぎないことも時には大切ってこと。まだ高松くんには早かったかな?」

「だから、一歳しか変わらないじゃないですか。けど、少し楽になりました。ありがとうございます」


 夢のことも、記憶のことも、今の高松にはどうしようもない。そこに王隠堂 薔薇子について知らないこと、を含めてもいい。

 自分で解決できないことを、自分のせいにしない。それだけで随分と気持ちが軽くなる。

 高松が表情を緩めると、片桐が話を変えた。


「ところでさ」

「はい?」

「この店、買い取られることになったのよ」

「はい!?」


 突然の報告に思わず高松は、体勢を崩しそうになる。それほどの驚きだった。

 片桐が自分の進学を蹴ってまで守った『梅原書店』が買い取られる。そんな事実をこうも気軽に報告してくるなど、あり得ないことだ。


「ど、どういうことですか? 店が買い取られるって、一体・・・・・・というか、茜さんはどうして平気な顔してるんです? 大問題じゃないですか。梅原さんがこの書店をどこかに売ったなんて」


 捲し立てるよう言葉を並べる高松に、片桐は右手を開いて停止を求めた。


「待った待った。誤解してるわよ、高松くん」

「誤解?」

「考えてごらんなさいな。この店は、商店街の中にあるそれほど大きくない書店よ? 資産価値なんてたかが知れてるわ。確かに駅からは近いけれど、都会ってわけでもないから、今すぐに開発しようなんて計画はない。そんな場所を買おうなんて稀有な人はそうそう現れないわよ」

「いや、でも今、茜さんが『買い取られることになった』って」


 高松が言うと、片桐は店の端、入り口からすぐ左に向かった場所を指差した。特に何かがあるわけでもない、ただの角である。


「そーこ。そこの一角が買われたって話。店はそのまま継続できるし、何かが変わるわけでもないの。ただ、そこの一角だけが買い取られたってこと。店全体を買い取るよりも稀有な人が現れたんだってさ。それも梅原さんの老後が保証されるだけの金額だったらしいわよ。老後二千万問題なんて言われているから、それくらいの金額なのかしら。凄い話よね」


 書店の一角を二千万円で買い取った者がいる。そんな話を聞かされた高松は、ただただ驚くしかなかった。


「こんな書店の端を二千万円で・・・・・・」

「こんな書店で悪かったわね」


 唇を尖らせ、不機嫌そうに見せる片桐に高松は苦笑を返す。


「言葉のあやですよ。俺も梅原書店の従業員ですし、誇りを持ってます」

「高松くんがしているのは、埃を払う、だよ」


 片桐は高松を揶揄うように笑ってから、手元にある一枚の紙をひらひらと見せびらかす。


「驚き桃の木なんとやらってね。きっと、たまげるわよ」

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