第93話 フロイトと古書

「変な夢、ねぇ」


 本棚の整理をしながら、高松は最近見る夢について片桐に相談した。彼女は高松にとって、なんでも話せる姉のような存在である。

 すると片桐は、買い取った古書の状態を確認しながら相槌を打って、視線を上げずに店の角を指差した。


「そこに専門書の棚があるでしょう? 夢診断みたいな本もいくつかあるはずよ。一番有名なのはフロイトかな。夢と精神状態の関係やら、欲望についてやら、専門用語が多かったり、固い文章だったりはするけれど、読んでみると案外面白いわよ。これは私なりの解釈だけれど、フロイトは人間の精神をある意味『物体的』に考えていたのかも。それを知識や研究というメスで解剖していく。そう感じる本だったわ」


 どこの棚に何の本があるのか、片桐が暗記していることに驚きはしない。けれど、咄嗟にその概要を説明できることには驚きだ。


「あ、茜さん、もしかしてですけど、ここにある本を全部読んでいるんですか?」


 高松が問いかけると、片桐は持っていた本を机に置き、顔を上げた。


「あら、全部じゃないわよ。新刊や大衆雑誌なんかはまだ読めていないし」

「それって、新刊と大衆雑誌以外は全部読んでるってことじゃないですか。新刊はどうせいつか読むんだろうし、大衆雑誌にはそれほど興味ないだろうし、実質全部ですよ。凄い・・・・・・」

「変なこと言うのね、高松くん。料理人が自分の出す料理の味を知らないと思うかね? 作家が自分の作品の内容を理解していないと思うかね? 私は梅原書店の店長代理。この書店にある本くらい読んで、覚えているわよ」


 あっさりと言いのける片桐。言っていることは正しいし、理解もできるが、それを実際に行うのは中々難しいことだろう。


「充分凄いですよ。えっと、フロイト・・・・・・」


 片桐を称賛しながら、高松は専門書の棚を探る。

 結論から言えば、何冊かの本に目を通したが、高松の欲する答えは得られなかった。

 仕事中、それほど本を読む時間があったのは、開店の十時から二時間、一人も客が入ってこなかったからである。


「ひーま」


 自分の仕事を終えた片桐は、レジ前の椅子に座り、体を前後させていた。


「仕方ないですよ」


 高松が答える。そう話す彼の手には、一枚のチラシが握られていた。

 内容は『阿部市トキワ公園 古書市』の広告である。

 今日は阿部市にある最も大きな公園で、年一回の古書市が催されているのだ。本を好む顧客のほとんどがそちらに行っているのだろう。

 暇になることは開店前から想像できていた。

 それでも店長代理である片桐にとって、心中穏やかではいられない。


「うちには、古書市よりもレアな本だってあるのにさ」

「イベントはイベントですよ。屋台も出るし、古書以外のフリーマーケットもある。誰もが好きじゃないですか、お祭りってやつが」

「随分、冷めた言いようだなぁ。高松くんは嫌いなのかな、お祭り」

「祭り自体は嫌いじゃないですけど、人混みが苦手なんです。閉塞感というか」

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