第91話 美しき薔薇姫

 薔薇子がどれだけ非難してこようと、高松には高松なりの正義がある。走れない女性を一人残して、歩道に向かうなど自分の魂が許さなかった。

 ふと高松が薔薇子の顔を覗き込むと、彼女は自分の顔を隠すように手で口元を覆っている。どこか赤面して見えるのは、夏前の日差しのせいだろうか。


「高松くんの馬鹿」


 これまで何度も薔薇子から、悪口のような毒舌を受けてきた高松だったが、そのどれよりも『馬鹿』の一言が心を打つ。

 決して傷ついたわけではない。ただ心に、矢のようなものが突き刺さっただけだ。

 気づけば、高松の顔も熱くなっている。でも、おそらくは日差しのせいだろう。多分、きっと。


「はいはい、どうせ俺は馬鹿ですよ。ほら、『グラシオソ』に行くんでしょ? 行きますよ、薔薇子さん」


 高松が背中を向けていうと、背後から煌びやかな圧力を感じた。


「高松くん、水曜日にも言ったが、これからキミは私の助手になる。いいかい? いついかなる時も、助手というのは探偵の後ろについて歩くものだよ」


 薔薇子にそう言われた高松は、自分の記憶との違いに足を止め振り返る。


「相棒、じゃないんですか?」

「相棒という言葉は江戸時代、人を運んでいた駕籠に由来する。時代劇なんかで見たことがあるだろう? 前後に伸びた棒で駕籠を担ぎ、二人組で運んでいる姿を。一人の担ぎ手から見て、もう一人の担ぎ手を『相棒』と呼ぶのさ。つまり、『同じ重さのものを、同じ時間、同じ力で担ぎ続ける者』を『相棒』と呼ぶ。私とキミとでは、背負うものも歩き続ける時間も違う」


 自虐的な意味合いでも、高松を軽んじているわけでもないことは、彼女の言葉から伝わってきた。

 ただ、事実として『二人の差』を言語化している。

 だからこそ、高松も捻くれた受け取り方をして『俺じゃあ同じものを背負えないってことですか?』なんてことは言わない。

 彼は静かに、彼女の次の言葉を待っていた。


「それにキミは助手顔だ。どこかとぼけていて、人の心に易々と踏み込む天性の才がある。背後に立つというのは、大切なことだよ高松くん。探偵が転ぶのは常に後ろ側だからね」

「前には転ばないんですか?」

「探偵が前に転んだ時、それは床に落ちている証拠をより近くで、目に焼き付けようとした時さ。転ぶとは言わない。それに対して、後ろに倒れる時は不慮の事故だ。それを支えるのが助手ってことだよ」


 薔薇子の言葉は、どこか『理論で正当化している』ように感じられる。そう思った瞬間、高松は彼女の歩き方を意識してしまった。

 王隠堂 薔薇子の右足は義肢である。もちろん、それ自体をどうこうと言いたいわけではなく、問題なのは彼女の歩き方がぎこちないことだ。

 薔薇子と出会ってから、もう数日。高松は義足について、なんとなく調べたことがあった。義肢の進歩は著しく、義足であっても、トレーニングやリハビリを積めば走ることも可能。

 けれど、薔薇子は走ることができず、歩き方もどこかぎこちない。まだ義足に慣れていない証拠だ。

 そして、そんな彼女が何らかの理由で転ぶとして、前方の場合は腕で受け身を取ることが出来るだろう。しかし、背後の場合はそのまま地面に投げ出されてしまう。

 例えば、小学生が背負うランドセルが必要以上に分厚いのも、背後を守る為だ。それほど後ろに倒れることは危険なのである。

 高松がそんなことを考えていると、薔薇子は「それに」と言葉を続けた。


「探偵ってやつは、好奇心旺盛な生き物でね。とりわけ、人の死に対して感情が希薄になる傾向がある。ああ、これは事件専門の探偵に限った話だけど。浮気調査なんかを請け負う探偵は、『愛』ってやつを信じられなくなることもあるそうだよ。ともかく、探偵が『何かを誤った時』、背中から刺して止めるのが、助手の役目でもある」

「だったら」


 唇が震えないよう力を入れて高松は言う。


「俺は隣を歩きます。前にも後ろにも転ばせない。隣にいて、同じ場所に立って、誤らせない。それに、王隠堂 薔薇子は間違えないでしょう?」


 そんな力の入った言葉に、薔薇子は呆気にとられ、目を丸くした。


「キミってやつは・・・・・・いい加減、正しい日本語を遣いたまえ。隣は『同じ場所』ではないよ。やれやれ、高松くんは高松くんだな」


 そう話す薔薇子の顔は、朝露に濡れ朝日を乱反射する真っ赤な薔薇のように輝いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る