第88話 発情期

 薔薇子の隣に追いつき並んだ高松は、彼女の晴天にも負けない横顔を眺め、カフェ『グラシオソ』で事件があった日の夜を思い出す。


 とりあえずの聴取を終え、家に帰った高松 駿は、心配そうな顔をした母親に歩み寄られた。

 高松 茉莉花である。


「駿、今日はどうしたのよ。バイトなのは知ってたけど、こんなに遅くなるなんて」


 気づけば時刻は二十一時だ。普段の高松なら、もう夕食を済ませている時間である。

 そもそも、前日にも殺人事件に巻き込まれているため、茉莉花は過度なほど心配をしていた。

 

「あ、母さん。ただいま。それがさ」


 そこから高松は、着替えを済ませ、夕食を口にしながら『今日』あったことを説明する。

 もちろん、カフェ『グラシオソ』殺人事件についてだ。

 話を聞き終わった茉莉花は、深い息を吐き「そんなこともあるのねぇ」と目を丸くしていた。


「俺だってびっくりだよ、二日続けて事件に遭遇するなんて」


 高松は用意されていた麦茶を飲み干す。飲み込んだのは、何も麦茶だけではない。父親である菊川警部のことを一緒に飲み込んだ。連絡は取り合っているはずなのに、どうして離婚したのか。どうして自分は父親に一度も会えなかったのか。聞きたいことはいくらでもある。それでも高松は聞かない。

 母親に余計な心労を与えないよう、高松なりに考えてのことだった。

 そんな話をしている中、高松はなんとなく疑問に思っていることを言葉にする。


「そういえば、さっき話した薔薇子さんのことだけど」

「めっちゃ綺麗だっていう女の子? 昨日の事件にも居合わせた探偵さんなのよね。もしかして駿、惚れちゃったとか。母さん、恋バナ大好きよ。聞かせて聞かせて」

「そうじゃないよ。てか、恋バナって。そうじゃなくってさ、気になるんだよ」

「やっぱり恋バナじゃない。発情期の男子が言う『気になる』なんて恋よ、恋」


 想像して欲しい。自分の母親が『発情』という言葉を遣ってくる瞬間を。

 高松は、先ほど食べた鯖の味噌煮を吹き出しそうになりながら、首を横に振る。


「だーから、違うってば! 発情期ってなんだよ、思春期だろ。俺が気になるのは、薔薇子さんの行動。事件は解決しているはずなのに、その現場に居た『他の交際相手』に話をしてたんだ。それも煽るように。多分、他の人に知られたくないようなことを、根掘り葉掘り言い当ててさ」


 それを聞いた茉莉花は、机に頬杖をつき、猫のような目つきで「ふーん」と微笑んだ。


「なんだよ、母さん。何かを見つけた時の薔薇子さんみたいな顔して」

「あら、母さんのことを『綺麗な女の子』と一緒にしてくれるのね。マザコン? やめなさいよ、モテないから」


 モテない、なんて言葉も薔薇子に似ていて、高松の気持ちは複雑だ。

 だが、『何か見つけた』という高松の推察は正しかったらしく、茉莉花は懐かしむような顔をして言葉を続ける。


「駿、『チョコちゃん』を覚えてる?」


 茉莉花の言葉は、高松の記憶を奥深くから引き摺り出した。


「そりゃ、覚えてるよ」


 高松 駿が菊川 駿であった頃、飼っていた犬の名前である。茶色のトイプードル。その見た目から『チョコ』と名付けられた、高松にとって最初の友人だ。

 チョコが死んだのは、高松の両親が離婚する少し前。高松がまだ小学五年生だった時のことだ。

 忘れるはずがない。高松が初めて経験した永遠の別れ。

 あれほどの悲しみは、その日以来経験していないほどだ。

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