第86話 親子と他人行儀
「まだやっていたのか」
ぶっきらぼうに言葉を吐き捨てたのは、菊川警部である。髪の毛には妙な寝癖がついており、シャツには汚れと皺が目立っていた。それ以外にも伸びた無精髭や、目の下の黒さが彼の疲労を伝えてくる。
「あ、菊川警部、お疲れ様です!」
慌てて竹内が言うと、菊川警部は部下の挨拶を無視して息子である高松に声をかけた。
「終わったのなら、帰っていいぞ。駿」
わざわざ警察署まで足を運び、捜査協力した息子に対してそんな言い方はないだろう、と高松は口の端をギュッと結ぶ。
「わかってるよ。別に警察に用はないし」
父親への反抗期が突然訪れたのかと思うほど、高松は棘のある返答をした。
それからすぐに、菊川警部も竹内と同じく何日も寝れずに仕事をしているのだろう、と気づき、高松は自省する。
「と、父さん」
「何だ、事件の話ならお前にはせんぞ。何せお前は、王隠堂さんの」
「そうじゃなくって」
高松は父親の言葉を遮り、唾を飲んでから続ける。
「ちゃんと寝てるの?」
「・・・・・・ああ、寝ている。心配するな、大丈夫だ。その・・・・・・お前や茉莉花に変わりはないか?」
「うん。俺も母さんも元気だよ」
「そうか」
小さく頷く菊川警部は、先ほどよりも少しだけ表情が明るくなったような気がした。
父親とのちょっとした会話を終わらせた高松は、その足で警察署を出る。気になることは多かったが、これ以上深掘りできるような空気ではなかったからだ。竹内刑事とは違い、菊川警部から新たな情報を得ることは難しいだろう。特に息子である高松に対しては、潔癖と言っていいほど事件の話をしたがらない。
阿部警察署は大きな交差点の近くにあり、すぐ向かいには小さな学習塾が見える。斜め向かいには古い不動産屋、交差点の大きな道路の向かいにはガソリンスタンドがあった。
高松の帰り道はガソリンスタンド側なのだが、警察署を出てすぐのところで彼は足を止める。
警察署を取り囲む花壇の縁に、他の花々に負けないくらいの女性が座っていたからだ。
王隠堂 薔薇子である。
「ば、薔薇子さん! どうしたんですか、こんなところで」
「やあ、高松くん。キミは今日も頓狂な顔をして歩いているね。警察署の前とはいえ、ここは交差点だよ。事故にでも逢えば、過失割合は車側が十割になってしまう。たとえ歩行者側が赤信号でも、過失割合は車に三割もある。もちろん注意義務はあるけれど、運転者の安全を脅かしたくはないだろう?」
「俺の心配じゃないんですね」
いつも通り棘のある薔薇子の言葉にそう返答する高松。
すると、薔薇子は軽く笑って花壇から立ち上がった。
「今日の聴取に高松くんもいる、と知ってね。待っていたのさ」
「父さんから聞いたんですか?」
「菊川警部は、あれでも真っ当な警察官だよ。事件現場以外で私に情報を与えるような真似はしないさ。まぁ、一部例外を除いて、だけどね。わざわざ聞かずとも、キミがいることくらいはわかる。急遽私の聴取担当が竹内刑事から菊川警部に代わったこと。聴取中、時間を気にする菊川警部の態度。警察官は身内からの聴取をしないからね。そして、菊川警部は私とキミを合わせたくなかった。私がキミを『事件』という『沼』に引き摺り込む、そう考えているんだろう」
そんな意思は常に感じ続けている。菊川警部は、明らかに高松が事件に関わることを嫌がっていた。警察官として、事件現場では他の者と同じように扱っているつもりだろうが、高松に対してだけ『他人行儀』である。
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