第85話 毒の経路

 だが、この場で葦澤 檸檬について竹内と論じても意味がない。

 ともかく話を事件に戻そう。

 大塚の携帯電話を覗いてしまった岸本 愛美は、連絡先の違和感に気づいた。連絡先に女性の名前が極端に少なく、仕事関係か岸本も知っている友人の名前しかなかったという。

 何かを隠している。そう考えたのは『女の勘』としか言いようがない、と岸本も供述していた。

 相手に秘密があれば、解き明かしたくなるのは人間の基本的性質である。

 岸本 愛美はそのまま大塚の携帯電話を調べ上げた。しかしながら、浮気の証拠になるようなものは見つからない。杞憂だったのか、勘違いだったのか、と岸本が思い始めたと同時に、ちょうど『上七号』からのメールがあったのだと。

 その内容について竹内は「高校生に聞かせるようなものじゃないよ」としか言わないので、おそらく生々しい文面だったのだろう。

 それによって他の『号』も浮気相手だと理解した岸本は、二年という月日、大塚への信頼、未来への希望、その全てに裏切られ殺害を計画した。

 短絡的にも考えられる殺人衝動だが、感情とは一度暴走し始めると止められない。そういうものである。

 ふと、高松の頭に『女を舐めないで頂きたい』という薔薇子の言葉が蘇った。


「それでもまだわからないことがあってね」


 竹内刑事が自分の側頭部を豪快に掻きながら、表情を歪める。

 犯人と動機、そして凶器。高松には、事件を解決する要素は全て揃っているかのように思えた。


「何がわかってないんですか?」

「タリウムの入手経路だよ。大塚 誠の命を奪った毒を何処から入手したのかわかってない。ああ、王隠堂さんのおかげで、岸本がタリウムを処分する前に身柄を押さえたから、二次被害には至っていないんだけどね。凶器が毒ってことになれば、特に上の方がうるさくってね。入手経路を調べるまで、この事件は終わらないんだよ。岸本 愛美もそれについてだけは何も話してくれないしね」


 彼の表情を見る限り、本気で参っている様子である。


「大変ですね」


 警察官ではない高松には、そう言うしかなかった。これから竹内がする苦労など想像もつかない。

 高校生相手に愚痴を話してしまった、と瞬間的に反省したのか、竹内は目の前の資料をまとめて立ち上がる。


「ああ、こんなこと言われても困るよね。大丈夫さ、コツコツ調べていけばいつか真実に辿り着ける。刑事の基本は足だからね」

「それって、父さんの言葉ですか?」


 高松は、自分の父親が履いていた革靴を思い浮かべる。幼少の頃、父と遊んだ記憶などない。いつも忙しそうで、休みとなれば寝ている。菊川警部はそんな父親だった。そして、見る度に『新品』の革靴を履いていたのを覚えている。

 今考えれば、それほどまでに靴底をすり減らしていたのだろう。


「刑事の中で伝えられている言葉さ。まぁ、今は歩き回る以外にも捜査方法はあるけどね。基本は足、って菊川警部は言い続けてるよ。現場でしか得られない情報を大切にするんだ、あの人は。僕も刑事として、菊川警部のようになりたいと思っているんだよ」

「父さんのように? もっと偉大な刑事はいくらでもいるでしょう」

「あれ、知らないのか? 菊川警部は刑事時代から、大きな事件をいくつも解決していてね。阿部市警内では、憧れている刑事も多いよ。それこそ『雲雀山 春宵』の事件も・・・・・・」


 竹内がそう言いかけた時、ノックもなく取調室のドアが開いた。

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