第74話 神は細部に宿る
すると、薔薇子はじっとりとした視線を菊川に向ける。
「大塚くんが備考欄に、最上川氏の名前を登録していた。キミも見たはずだろう? 菊川警部」
「確かに名前はあった。最上川という名字は珍しく、本人である可能性は高い。だが、確信には至らないだろう」
「数多ある苗字の中でも、最上川という苗字は珍しいなんてものじゃあないさ。全国に数十名いるかいないか。そんなレベルだが、私は可能性の話はしない」
「じゃあ、どうして」
菊川警部の問いかけに対し、薔薇子はうっすらと微笑んだ。その微笑みは、顔の動きと共にカフェ内を飛び回り、最上川 裕美に着地する。
高松の目には、真っ黒な蝶が薔薇から水辺へと向かって行ったように見えた。不思議な幻覚である。
「見ていたのさ」
薔薇子は言う。彼女は軽やかに重く、清らかに汚れて、強気な弱さを纏わせた声で言葉を続けた。
「この店に入る直前、私と高松くんは、ガラス越しに店内を見ていた。その時にはまだ『可能性』だったが、店のドアを開けてすぐに、私は最上川氏が『何かをするつもり』であると気づいたんだよ」
その瞬間、高松は店に入る時の薔薇子を思い出す。
「ドアを開けてすぐ・・・・・・」
確か、薔薇子はこう言っていた。『ああ、いい香りだね。酔いそうなほど、美味しさが充満している。胸が躍るよ』と。
彼女の言う『いい香り』とは『事件の香り』なのか、と納得した高松。
「見ていたって、何をよ!」
高松の考え事を遮断するかのように、最上川が言い返した。
「何を見て、私が大塚くんのことを尾行しているって決めつけたのよ!」
「落ち着きたまえ、最上川氏。同じことを二度言うのは趣味じゃあないが、特別サービスだ。『神は細部に宿る』だよ。しきりに背後を確認するキミの視線。そして鞄の中に何度も手を入れ、何かを確認している仕草。私はキミが大塚くん、もしくは旗本氏を監視している、と確信していたのさ」
薔薇子が最上川の疑問に答えると、次はマスター金城が声をあげた。
「ちょ、ちょっと待ってや。その人、最上川さんやっけ? カウンターから店内の様子は見とったけど、最上川さんは一回も振り返ってへんで? そこの彼女が大きい声で喋っとっても、一度も振り返らず、本読んではったし」
そこの彼女、とは旗本のことだろう。旗本は大塚との会話を周囲に聞かせるつもりなのか、というほどの声量で話していた。
それでも最上川は振り返っていない。マスター金城の証言は、薔薇子の言葉と矛盾している。
けれど、それはどちらかが嘘をついている、というわけではない。どちらも真実だ。
王隠堂 薔薇子は、マスター金城の言葉を待っていたと言わんばかりに素早く頷く。
「そうだね、最上川氏は振り返っていない。振り返る必要なんてなかったのさ。菊川警部、最上川氏の読んでいた本を調べてくれ。そこに『答え』が挟まっている」
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