第71話 薔薇の宿命

 偶然にもカフェ『グラシオソ』で読書をし、事件に居合わせただけだという最上川 裕美。

 あまりにも唐突に、『事件』という舞台上の中心に立たされた彼女は、喉でも詰まらせたような顔で、薔薇子の視線に応える。


「わ、私? 何を言っているのよ、いきなり」


 驚いているからなのか、最上川の反応はあまりにも早かった。まるで不測の事態に備えていたようでもある。

 すると薔薇子は、赤く魅力的な唇を薄く開いて、嘲笑でしかない表情を送りつけた。例えるなら、一方的な着払いのごとき送り方である。


「おやおや、随分と白々しい反応をするものだね、最上川氏。『図星』という言葉を体現しているつもりかな? 素晴らしい。主演女優賞ものだよ。全米は泣くだろうし、映画館は超満員。『図星』という映画のヒロインはキミだよ。けれど、『大塚 誠と八人の女たち』という作品の中では、助演女優ですらない。エキストラというものを軽んじるつもりは毛頭ないが、それでもこの作品の中、観客にとってキミは数字であり背景だ。そして大塚くんにとっても、火曜日の深夜を埋めるための、存在だった。そこから目を背けても仕方がないだろう?」


 薔薇子の言葉は真実であり、事実だ。そして事実というものは、時として人を傷つける。

 そんな事実の暴力性は置いておくとしても、薔薇子の言い方はどう考えても、最上川にとって腹立たしいものであった。


「なんなの!」


 先ほどの旗本と同じように、激昂する最上川。これは、決して没個性な反応というわけではない。薔薇子と相対した者の、その上で刺々しい言葉を受けた者の、適当な反応である。

 しかし、薔薇子の無意識なまま他人を煽る言葉は、緊迫した状況において、相手の本心を吐き出させる効果があった。

 最上川の怒りは続く。


「何様なのよ! 人を馬鹿にして、笑って、なんのつもりなの!」

「ふむ、馬鹿にしているつもりはないんだがね。何様か、と問われれば、王隠堂 薔薇子だと名乗るしかない。さて、遅ればせながら自己紹介が終わったところで、だ。最上川氏、キミが怒るのは事実だからだろう? そして、キミ自身が一番理解していたからだ」


 薔薇子は、最上川の怒りを『名乗れ』という意味だと受け取り、彼女なりに丁寧な自己紹介をする。その後、自分の思うように話を進めた。

 まだ最上川からの正式な『答え』は返ってきていないというのに、強引な進め方だ。

 けれど、薔薇子は曖昧な情報だけで決めつけることはしない。

 最上川が『上七号』であると断言する薔薇子の空気感に、当の本人である最上川も何かを察する。


「・・・・・・」


 彼女の沈黙は、その証拠だ。


「気付いたようだね」


 薔薇子が言う。


「わざわざ突きつけるほどのことではない、と思っていたから、事実を前提に話を進めていただけさ。エネルギーと文字数の節約だよ。けれど、話を聞いているだけの方々は、頭の上に疑問符を浮かべているようだから説明しよう。広くないカフェの中が疑問符で満たされて、少し息苦しい」


 唐突にカフェの広さについて言及する薔薇子に対し、高松はマスター金城の表情を伺いながら苦笑した。誰彼構わず、無意識に攻撃するのは、薔薇の宿命なのかもしれない。

 そんな高松の小さな気苦労も知らず、薔薇子は言葉を続ける。


「当然だが、大塚くんの携帯電話は調べられる。その中で私は『上七号』を真っ先に調べるよう、依頼した。当たり前だろう? 『上七号』の欄には『最上川 裕美』と書かれていたんだからね」


 その言葉を聞いた瞬間、最上川は信じられないと言わんばかりに目を見開く。

 これは推理でもなんでもない。事件現場に居合わせた者の名前が、被害者の携帯電話の中に入っていれば、調べるのは当然である。

 推理はここからだ。


「おや、驚いているのかい、最上川氏。キミは『自分の名前が上七号であると知っていた』んだろう? そして、上七号で登録されている携帯番号は、キミの名義で契約しているものじゃあない。キミは上七号から最上川 裕美に到達するとは思っていなかった。そんな顔をしているね」


 

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