第69話 盲目と自己犠牲と愛
旗本からすれば、大塚 誠に浮気をされていたことは、わざわざ語りたくはないこと。いや、浮気をされていた、というのは語弊がある。旗本が『浮気相手であった』というべきだろうか。最適な表現をするのならば『浮気相手の一人であった』が正しい。
語りたくはないが、語りたい。矛盾した複雑な女性の心が、どうしようもないほど痛々しくもあり、悲しくもあった。
一度決壊した心のダムは、言葉の波を止められない。
「私は、心の底からマー君が好きだった。そこの女が言うように・・・・・・」
そこの女とは、薔薇子のことで間違いないだろう。名前さえ出されていないものの、明らかに示されている当の本人は、無表情とも同情とも無関心とも思えない表情で、ただ口を一文字にしていた。
何を考えてなのか、薔薇子は旗本の吐露に言葉を挟まない。
そんな状況でも旗本の言葉は続く。
「知っていたわよ。マー君に他の女がいることくらい・・・・・・ずっと知ってた。スケジュール管理でもされているかのように、会う日も時間も、驚くほどシビアに決まっていたし、携帯電話はどんな状況でも肌身離さなかったもん。心配になって見た『もしかして彼氏が浮気している?』みたいなネットの記事には、面白いくらい全部当てはまってたし、もちろん面白くなんてないけど・・・・・・」
旗本がどれほど不安な気持ちで、最愛の『恋人』と過ごしていたのか、そんなものは彼女にしかわからないだろう。
辛さも悲しみも、彼女が背負うべきものであり、他人の感傷や干渉は何の役にも立たない。
それでもこの場には『真実』を知らなければ、満足しない者がいた。言うまでもなく、王隠堂 薔薇子その人である。
「だったら、どうして知らないふりをしていたんだい、旗本氏。相手の顔色を窺って、精神衛生上良くない生活や関係を続けていても、未来なんて見えるはずがないだろう。どれだけ期待しても、無精卵から雛は産まれない。どれだけ望んでも、種がなければ芽は出ない。そうだろう?」
今更説明するまでもないが、薔薇子の言葉に悪意はない。彼女が率直に思ったことを言っているだけだ。ただ思考から言語化までの速度が、他人の理解の速度を著しく越えている。それだけなのだ。
けれど、多くの人間は、煽られていると感じてしまう。
どうやら旗本は、そんな薔薇子の言葉がどうしても許せなかったらしく、何か行動に出るわけでもなく、ただ叫んだ。
「好きだったからよ! 騙されていると分かっていても、都合のいい存在だって分かっていても、それでもマー君の隣にいたかった。いつか私だけを見てくれると信じていた! 人を好きになった女として、それくらい望んじゃダメなの?」
「私は、キミの恋心を否定してはいないよ、旗本氏。人間とは愚かだ。合理性に欠ける。感情に振り回される。突発的に行動してしまう。欲望をとめられはしない。だからこそ人間なのさ。正直、私にとって旗本氏がどれほど傷ついているか、なんてことはどうでもいい。知りたいのは、旗本氏が大塚くんを殺すだけの理由があったのか。それだけだよ。でも、失念していたよ。意外だと思うけれど、私に人の心の機微はわからないのさ」
そんなこと初めから分かっていたことじゃないか、と高松は苦笑する。恋心について聞いたところで、薔薇子がそれを推理において、どれほど重要視するのか。おそらくは、カフェ内に置いてある観葉植物の扱いと同等だろう。ただそこにある「事実」でしかない。
「ただ」
珍しく、薔薇子は歯切れの悪い言葉を続けた。
どこか彼女らしくない、優しげな口調だった。
「私は、旗本氏が大塚 誠を殺害したとは考えていない。殺人ってのは、たとえ憎い相手だとしても、その全てを現状で終わらせてしまう行為だ。つまり結局は、何の答えも出ないまま終わる、最も愚かな解決方法なのさ。旗本氏、キミは全てを有耶無耶にして、大塚くんとの付き合いを続けていた。けれど、それは『いつか』という未来への希望があったから。そうじゃないかい? だったら、殺害なんて方法を取るはずがない。キミは『待つ戦い』に誠意一杯だった。それほど、大塚くんのことに対して感情的になれるキミだ。知らないまま、なんて耐えられるはずがない。勝ち負けには、人一倍執着がある。つまり、殺害という「白旗」を振りはしない。だろう?」
相手を殺してしまえば、自分の可能性を全て消してしまう。自ら幸せを捨てる行為だ。
幸せになるために、現状の悲しみや苦しみに耐えてきた旗本が、いきなり行動に出る可能性はそれほど高くないだろう。もちろん、自分の許容量を超えた可能性はある。だが、自分とのデート中に交際相手が亡くなれば、それも事件性の高い方法で亡くなれば、第一容疑者は自分になる。そこまで考えなしに動くようには思えなかった。
「はっきり言おう」
薔薇子は強めの語調を取り戻し、凛とした立ち姿でカフェ内に自分の意見を広げた。
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