第68話 薔薇の役割

 薔薇子の盾になる。そう考える前に、もう送り足の動きを開始していた。

 宇宙船の中で水を袋から出した時のように、旗本の持っているグラスから溢れ出した水は、真っ直ぐ薔薇子の方に向かう。その水を高松が全身で受け止めたのだ。

 ばしゃ、と水が高松に弾かれて床に落ちる。

 高松は、ぽたぽた、と滴る水を腕で拭いながら、旗本に視線を向けた。自分の起こした行動に対し、意味深な視線を受けた旗本は、何かを言われる前に先んじて威圧的な言葉を放つ。


「何よ! その女が悪いんでしょ。デリカシーも、配慮もないようなことばっかり言って!」


 だからといって、水をかけていいわけではない。他人に傷つけられたからといって、他人を傷つけていいわけではないのだ。水をかけられて怒り出す者だっているだろう。そうなれば、争いは激化する。

 けれど水をかけられた高松は、優しく旗本を気遣うような表情を浮かべた。


「落ち着いてください、旗本さん」

「な、何なの?」

「薔薇子さんに水をかけても、どうにもなりません。そうしたくなるくらい、嫌な思いをしたのはわかりますけ・・・・・・でも、旗本さんが怒るべきは、そこまで感情的になるほど大切だった大塚さんを殺した相手でしょう?」

「うるさい! 子どもに何がわかるのよ!」


 旗本を落ち着かせるつもりで高松は話しかけているが、残念ながら彼女の感情は良きところに着地しない。

 高松が薔薇子を守ったことで、『薔薇子は男に守られる』という印象を受けてしまった。何せ、二度目である。先ほども同じ状況で、薔薇子は竹内刑事に守られているのだ。

 どうしてあの女だけ。どうしてあの女ばっかり。なんで守られるんだ。幸せそうに、堂々と、人の心に土足で踏み込んできて。何様なんだ。私はこんなに傷ついているのに。だって、私は。

 そんな感情が旗本の中で大きくなる。

 どす黒く濁った泥が、ポコポコと溢れ出てくるように。旗本の表情が歪む。

 

「何なのよ!」


 甲高い声で叫ぶ旗本。

 これ以上の行動は、さらに強い暴力になりかねない。菊川警部はそう考え、旗本の前に立った。


「旗本さん! これ以上、何かをされれば、警察としては確保しなければならなくなります。けど、今のあなたにそんなことはしたくない」

「警察まであの女の味方をするの!?」

「そうじゃありません。でも、あなたの望みは、誰かを傷つけることじゃないでしょう?」

「わた、私は! 私はずっと傷ついてた。でも誰も助けてくれなかった! あの女みたいに、助けてくれる人なんていなかった。私は・・・・・・私は・・・・・・」


 心の中にある泥を吐き出していくと、徐々に本音まで顔を出し始めた。結果的に、ではあるが、高松が薔薇子を守ったことで、旗本の濁った感情が溢れ出し、本心までたどり着いたのだ。

 荊棘に囲まれた薔薇の姫は、無表情なまま、吐露を始めた旗本の話を聞いている。彼女の役割は、棘を突き立て膨れ上がった水風船を割ること。泥を被るのは、薔薇の役割ではない。


「それでも・・・・・・それでも好きだったの。マー君が全てだったの」


 悲しい言葉が、カフェの中に充満する。

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