第60話 会話の優先順位
薔薇子の言葉は、動揺と困惑、興奮の中心にいる旗本には上手く伝わらない。だからこそ、旗本の思考に波紋を起こし、困惑の色を強めた。
ともかく、それによって旗本は「殺害した時間?」と疑問を呈する形で、動きを止めたのである。
「もう少し簡単に言うべきかな?」
腕を組みながら薔薇子が言う。
「犯人が大塚くんを殺害したタイミング。言い換えると、『大塚くんに毒を飲ませた』タイミングだよ」
話自体は進んでいないのだが、薔薇子が言葉を噛み砕いたことで、全員にその意味が共有される。次に口を開いたのは、店内最奥のテーブル席にいた中年男性、矢野だった。
「待て待て。そもそも説明が大きく不足しているだろ。この店で男性が亡くなった。それはわかっている。亡くなったのは『大塚さん』なんだろ? それもいい。だがな、殺人事件であるとは聞かされていないし、私たちが何のために集められたのかも聞かされていない。大体、どうして、そこの娘さんが話し始めるんだ?」
矢野は薔薇子に指を向けて言う。
そもそも説明が不足している。何故、薔薇子が話し始めたのか。というのは、尤もな疑問であり質問である。けれど、そもそもの話をするのであれば、薔薇子に質問をすることはお勧めしない。
何故ならば、求めた以上の言葉数で、求めていない答えが返ってくるからだ。
「キミは確か、矢野くんだったかな」
「や、矢野くん?」
二回りは下だろう薔薇子に『くん』付けで呼ばれ、苛立ち混じりに反応する矢野。しかし、薔薇子はそんなことを気にしない。彼女の中にある優先順位は揺るがないのである。
「失礼を承知で問いかけるが、キミは燕の雛なのかい? わかっていることだけ『わかっている』と主張し、わからないことは『聞かされていない』と説明されるのが当然だと思っている。求めるばかりで、自分の無知や無力を恥じる様子がない。ピーピーピーと喚くばかり、囀るばかりで、動こうとはしない。もちろん、キミが本当に燕の雛なら、無知であり無力であることは恥じゃあないよ。だから私は答えてあげよう。『どうして私が話し始めるのか』答えは簡単だ。ここにいる誰よりも、真実を知っているから。こんなことわざわざ説明する必要はないんだけど、親切なんだ。薔薇子さんはね」
いつもながら薔薇子に矢野を煽る意思や、怒らせる思惑などない。ただ本当に彼女は矢野に対し『燕の雛』のようだ、と思っただけである。そして、善意から矢野の質問に答えた。
薔薇子にとって不都合だったのは、この世界での会話は『発言者の意図』よりも『聞き手の受け取り方』が優先されること。
矢野は不快感を露わにして、犬歯を見せつける。だが、彼の中には冷静さも残っており、薔薇子本人ではなく、警察官である菊川警部に不満を述べた。
「おい、警察は何をしている! こんな娘を許していいのか!」
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