第54話 記憶の輪郭

 彼女の言葉は、まだ高校生の高松にでも理解できた。そもそも不貞行為を『火遊び』と称すること自体が、不謹慎な話である。

 人を傷つける可能性を含んだ行為に『遊び』という言葉を遣うと決めたのは、一体誰なのだろうか。その誰かにとっては遊びだったのかもしれない。仲間内で自分を大きく見せるために、不貞行為を『遊びだから』と吹かしてみた。それだけなのかもしれない。だが、その裏で心が、もしかすると体も傷ついている者がいる。

 他人の人生を冒し、狂わし、壊す。貧弱な道徳心や浮ついた虚栄心は、タチの悪い病原菌のようなものだ。

 事実、大塚はそれによって命を落とした可能性がある。

 薔薇子の言葉を飲み込んだ高松だったが、どう返答していいのかはわからず、黙って生唾を飲んだ。言語化できない緊張感で、やけに喉が渇く。

 そういえば、エスプレッソを飲めていない、とこのタイミングで思い出したくらいだった。

 言葉に困っている高松を助けるように、菊川警部が間に入る。


「息子を脅しているところ悪いが、話の続きを聞かせてもらえるか」


 そう言われた薔薇子は、心の底から『心外だ』という顔をしてため息を吐いた。


「薔薇子さんをなんだと思っているのかな、菊川警部は。誰にでも噛み付く狂犬のような扱いはやめてもらえるかい? こんなにも大人しく、躾のされた優秀な可愛い子犬はいないだろう。高松くんを脅すようなことはしないさ」


 彼女の不満を聞いた菊川は、気怠そうに肩を落とす。


「噛み付くだけならまだマシだろう」


 その言葉からは、これまでの苦労が見え隠れしていた。しかし、それによって彼は再び苦労することになる。


「国から首輪を支給されている、疲れ果てたドーベルマンは言うことが違うね。長期休暇をお勧めするよ」

「一に対し、二でも三でも返すのは、アイツにそっくりだな。不本意だが、そう思わされる」

「おや、思い出話に花を咲かせる余裕があるとは、心強い限りだね。そろそろ事件の方は解決できそうかい?」


 薔薇子が放つ言葉の中でも、深く菊川警部の心に刺さるのは『事件を解決できるか否か』である。それを言われてしまうと、彼は不甲斐なさを感じるしかなかった。


「・・・・・・そのためにこうして話を聞いているんだ。事件発生時の状況を王隠堂さんの口から聞かせてほしい」


 菊川警部からそう頼まれた薔薇子は、仕方がないといった具合に眉を顰めて話し始める。

 自分の父親と薔薇子。二人の会話を聞いていた高松は、『違和感』などとあやふやな言葉では濁せない情報を頭の中で整理していた。

 菊川の言葉。『アイツにそっくりだな』の部分。それについて考えるまでもなく、二人には共通の知り合いがいる。そして『共通の知り合い』は薔薇子に近しい人物だ。

 さらに、この会話から二人が『事件現場で顔を合わせるだけの関係ではない』と推察できる。

 そんな考えがよぎった瞬間、高松の胸に『セピア色の何か』が芽生えた。あえて言葉にするのなら、そう。懐かしい、という感情だ。もう忘れてしまい、砕けた記憶の欠片が脳神経を刺激するような感覚。

 何を忘れ、何が懐かしいのか、必死に思い出そうとする高松だったが、輪郭すら掴めない。けれどはっきりと自覚した。自分は何かを『忘れているのだ』と。

 

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