第46話 割れたグラス

 薔薇子との会話を切り上げた菊川警部は、現場に居合わせた息子に話しかける。


「駿はどうしてここに?」

「薔薇子さんがお金を返しに来てくれてさ。立ったまま話をするのも変だから、このカフェに誘ったんだよ。そしたら、あの大塚さんって人が苦しみ始めて」


 高松の答えを聞いた警部は、気怠そうに大塚の遺体に視線をやった。


「大塚さん、か。警察よりも先に名前を・・・・・・いいか、駿。お前はただの学生だ。そう、人の死に首を突っ込むな。素人が現場を荒らすのは、邪魔でしかない」


 父親だからこそ、息子に対して厳しく言わなければならない。邪魔とはっきり伝えることは、菊川警部なりの優しさでもあった。事件に関わる危険性は、彼が一番知っている。

 その行動の善悪や是非は置いておくとしても、関わって欲しくないという父親の願いだ。

 

「何かに触ったり、動かしたりはしてないよ。薔薇子さんに言われて、全員に話を聞いてただけ。もちろん、警察にも全部話すから」

「そういう問題じゃあない。人の死に関わることが問題なんだ。良くも悪くも、医者や警察はどこか死に対して、非情な部分がある。いちいち動揺していたら仕事にならないからだ。けどな、そういう感情は必要なものなんだよ」

「じゃあ、薔薇子さんは?」

「王隠堂さんは・・・・・・最初からだ。大怪我をした後に、小さな切り傷くらいで騒がないだろ。そういうことだ」


 菊川警部の言葉は、どこか歯切れが悪い。薔薇子の話をする時、必ずこうなる。高松はそんな父が気になって仕方がなかった。


「父さん、それって」


 薔薇子に聞くよりも菊川警部に問いかける方が気楽だ、と高松が言葉にしかけたと同時に、マー君の交際相手、旗本の怒声が店内に響く。


「アンタ、何なのよ! ふざけんな!」


 続いてガラスが割れ、液体が飛び散る音が彼女の声を追いかけた。本能的に怯えを感じる音に、高松は振り返る。

 すると、顔に怒りを貼り付けた旗本が薔薇子に対し、眉間の皺を向けていた。

 右足が義肢である薔薇子は、何かあったときに緊急回避できない。たとえ、水の入ったグラスを投げられても、だ。

 腕を組んだまま凛と立つ薔薇子と、そんな彼女を守るように水浸しになった竹内刑事。そして制服警察官に宥められる旗本。その様子を見れば、何が起きたのかはわかる。

 おそらく薔薇子が旗本に対し、何か気を悪くさせるようなことを言った。そして旗本が激昂。水の入ったグラスを薔薇子に投げつけたところで、竹内刑事が間に入り、水を被った。

 竹内刑事にぶつかったグラスは地面に落下し、音を立てて割れてしまったのだろう。


「落ち着いてください!」


 制服警察官が、旗本を椅子に座らせ、落ち着かせるように話を聞く。

 その動きを見守っていた高松は、濡れ鼠になった竹内刑事の隣を通って薔薇子に声をかける。


「薔薇子さん、一体何をしたんですか」

「何もしていないよ。ただ、話を聞いただけだ」


 薔薇子の答えは、概ね高松の想像通りだった。彼女に悪意はない。本当に何故旗本が怒り始めたのかわからない、といった様子である。

 高松は薔薇子にもわからないことを解明するため、会話を続けた。


「じゃあ、何をどんな風に聞いたんですか」

「事実をありのまま聞いただけさ。『彼には他に何人も彼女がいたんだけど、知っていたかい?』ってね」


 返ってきた答えに、高松は頭を抱える。菊川警部の言った通り、薔薇子には『他人への配慮』が足りない。

 旗本にとって知りたくない事実を突きつけ、それについて意見を求めれば怒るに決まっている。けれど、薔薇子の中では『受け入れて然るべき事実』なのだ。そこから目を背けても何にもならない。本気でそう思っている。


「薔薇子さん・・・・・・いや、薔薇子さんか」


 妙な納得の仕方をした高松に対し、薔薇子は不満そうに目を細めた。


「何か言いたげだね、高松くん」

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