第43話 高松くんのえっち
高松は心の中で『何か? じゃないだろう』と呟くが、確かに彼女なら『事件の香り』に自ら歩み寄っていくだろう、と納得すらしてしまう。
「でもですね、薔薇子さん。まだこの男性が亡くなったとは・・・・・・」
高松が言いかけている間にも、薔薇子は動き始めていた。
マー君と一緒にいた女性が泣き崩れている隣を通り、左足に体重をかける形で、動かなくなった彼に近づく。
「ちょっと、薔薇子さん」
彼女が何をするのかわからず、慌てて声をかける高松。しかし薔薇子は、振り返ることもせず、随分と慣れた様子でマー君の体に触れる。
首筋、手首、瞼、背中の順で触れた後、薔薇子は躊躇わずに口を開いた。
「脈、瞳孔、鼓動。パンドラの箱の底に残された一縷の望みを探るよう、様々な角度から確認したが、間違いなく彼は死亡している。心臓マッサージや人工呼吸によって一命を取り留める可能性も考慮したが、すでに手遅れ。ここからもう一度心臓が動き出す可能性はない」
人の死を告げるには、あまりにも淡々とした語調である。彼女はただ事実だけを伝えていた。
想定できたことだが、マー君の死を改めて聞かされた女性は、再び泣き崩れる。
「そんな・・・・・・そんな、マー君! マー君!」
悲痛な嘆きが店内に響き渡った。心臓に突き刺さる女性の高い声が、ひどく痛い。
薔薇子のような若い女性が死亡を宣告しただけなのだが、彼女の堂々とした態度を見れば、誰もそれが嘘やいい加減な発言とは思えなかった。
二日連続で人の死に立ち会った高松は、現状が信じられず、体の芯から発生する小刻みな振動を堪えきれない。手先が震え、自覚できるほどに瞬きが増える。
当然だ。人の死はそれほどまでに重く、深く、大きい。
しかし、高松と全く同じ状況であるはずの薔薇子は、冷静に周囲を観察していた。店の間取り、人の反応、距離、色、香り、装飾品の配置、音、温度。五感の全てを余すことなく活用し、この空間に存在する情報を、塵一つ残さず得ようとしている。
そんな彼女の表情は不気味で、どこか魅力的だった。高松は薔薇子の冷酷なまでの冷静さに息を呑む。
そして、察した。
彼女はマー君の死を『事件』だと判断し、『解決』しようとしているのだ、と。
「薔薇子さん、何を・・・・・・」
高松はそう言いかけて、愚問だと自覚する。薔薇の美しさと刺々しさを、二つの瞳に宿し始めた薔薇子がすることは、捜査と推理。それしかない。答えが分かりきっている問いをすることに、なんの意味もない。
それに気づいた高松は、不思議とこう思い始めていた。薔薇子の足になりたい。相棒を意味する『右腕』になれなくとも、彼女が真実へと踏み出す『右足』になりたい、と。
「・・・・・・薔薇子さん、俺に・・・・・・何か俺にできることはありませんか?」
高松の言葉を聞いた薔薇子は、一瞬驚いたように目を丸くする。そして不謹慎にも、唇の端を少しだけ上げた。
「高松くん、キミは呆れるほどの変人だな。変態と言ってもいい。自ら好んで巻き込まれようとするとはね」
「薔薇子さんに言われたくはないですよ」
一応不満の意思を表してはみたが、彼女の言う通りだとも思う高松。けれど、薔薇子の力になりたいという感情に嘘はなかった。
けれど、そんな微かな心の動きに薔薇子が気づけるはずがない。彼女は優秀で、敏感で、鈍感だ。
「この薔薇子さんに変態だと言っているのかい、高松くん。若くて可愛い女の子が、変態であって欲しいという願望を持っていても構わないが、私に押し付けるのは感心しないな。高松くんのえっち」
「え、えっちって・・・・・・」
薔薇子らしくないとも、薔薇子らしいともいえる言葉に、高松は戸惑いを隠しきれない。
すると彼女は、優しく微笑み言葉を続けた。
「まぁ、高松くんの秘めたる変態性はあとで語るとして、なにかしたいと言うなら頼みたいことがある」
高松としては反論したい内容だったが、『頼み』という薔薇子の言葉に全てを塗り替えられ、肯定的に頷くしかなくなる。
「はい、何をすればいいですか?」
「店内にいる全員に話を聞いてほしい。名前、年齢、どこから見ていたか、何か気づいたことはあるか、聞けることは全てだ」
警察が到着すれば、おそらく聴取されるであろう内容を先んじて聞いておけ、ということなのだろう。薔薇子にとって大切なのは、脚色されていない真実だ。
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