第42話 二度目の非常事態
「ば、薔薇子さん?」
「ああ、すまない。少し言葉が強くなってしまった」
元々彼女の言葉は強いことなど、今はどうでもいい。高松は薔薇子に止められた理由がわからないまま、動けずにいた。
そんな呪縛を解くように薔薇子は言葉を続ける。
「状況がわからない以上、医療知識のない人間が触れるのは危険なのさ、高松くん。それにこの反応はおそらく『中毒』だ」
「中毒、ですか?」
高松が聞き返すと、薔薇子はマー君の動きに注視しながら頷いた。
「誰にでもわかるように説明すれば、服毒した状態ってことだよ。流石の薔薇子さんも、見ただけじゃあ毒の種類まではわからない。けれど体の反応や動き方を見る限り、呼吸不全に陥っているとわかる」
「呼吸不全・・・・・・」
物々しい言葉に高松は息を呑む。呼吸不全の意味はわかるものの、耳馴染みはない。
だが、マー君と一緒にいた女性にとって、『そうですか』と引き下がれる状況ではなかった。
「誰か、マー君を助けてよ! マー君、マー君!」
彼女は人目も憚らず取り乱す。当然だ。誰の目から見ても、マー君に残された時間は少ないことがわかる。
いや、それどころか。そう思いながら、誰も言葉にしない。この場において薔薇子以外は、言葉にする重圧に耐えられなかった。
「・・・・・・もう、手遅れだ」
薔薇子がそう呟いたと同時に、マー君の嗚咽のような声が止む。先ほどまで痙攣していた彼の体は、剥製のように動かなくなっていた。
「マー君? ねぇ、マー君!」
机に溶け出してしまいそうなマー君へ、涙まじりの声をかける女性。けれどその声は届かない。
「し、死んだのか?」
恐る恐るそう言葉にしたのは、店の最奥にいる中年男性だった。男性は、少しでもマー君から離れられるよう壁際に体を寄せ、唇を震わせている。目の前で起きた『何か』に対して、本能的に怯えているのだ。
カウンターに座っていた眼鏡の女性は、本を机に置き、言葉を失っている。カウンターの中で電話をかけていたマスターは、受話器を落とし目を見開いていた。
「た、高松くん、その男性は・・・・・・その・・・・・・」
マスターから漠然と状況を問いかけられた高松だが、彼にもまだ何もわからない。何も答えらず、ただ立ち尽くすばかりだ。
現状確かなのは、マー君が苦しみ、動かなくなったことだけ。
不安と動揺が店内に立ち込める中、凛と咲き誇るように薔薇子が動き始める。
彼女は勢いよく手を打ち音を鳴らした。全員の視線を集めると、舞台は整ったと言わんばかりに、王隠堂 薔薇子は探偵としての顔を見せる。
「誰もその場から動くな。いいかい、根を生やした植物のように一歩も動かず、周囲の情報を目と頭に留めておくんだ」
薔薇子はそう言い放つと、マー君ではなくカウンターの方に足を向けた。
「マスター、キミの名前は?」
「お、俺? 金城やけど」
「そうか、金城マスター。続いて阿部警察署に電話を。死亡者がいることは忘れずに伝えてくれ。ああ、その前に薄手のゴム手袋を二組いただけるかな? 飲食店ならゴム手袋くらいあるだろう」
「お、おう、ゴム手袋な。あるで。あるけど、何に使うん?」
疑問を抱えながらもマスターは、調理用のゴム手袋を用意して薔薇子に渡し、再び固定電話に向かう。
ゴム手袋を受け取った薔薇子は、一組を高松に手渡し、自分は素早く装着した。
「あの、薔薇子さん? ゴム手袋なんて何に使うんですか?」
高松が問いかけると、薔薇子は呆れたように目を細める。
「何を頓珍漢なことを言っているんだ、高松くん。情報というものは、生鮮食品よりも腐りやすい。刻一刻と消えていくものなのさ。昨夜のことを忘れたのかい?」
忘れたくても忘れられるものではない。人生に一度あるかないかの非常事態だった。そう思っていた。
けれど、高松の目の前には、起こり得ると思っていなかった二度目の非常事態が存在している。
「忘れてはないですけど・・・・・・もしかして薔薇子さん、この男性を調べるつもりですか?」
「もしかしなくても薔薇子さん、この男性を調べるつもりだけれど、何か?」
当然のように答える薔薇子。
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