第41話 事件発生〜カフェ編〜

「薔薇子さんは終わった事件に興味を持たないじゃないですか。そんな薔薇子さんが、解決した事件の犯人に問いかけてた名前が気になって」


 エスプレッソマシンの音が、高松の声を掻き消しそうな勢いである。

 けれど薔薇子の耳にはしっかりと届いていた。


「そうか。雲雀山 春宵について、自分で調べてみたのかい?」

「いえ、勝手に調べるのは、なんかこう・・・・・・薔薇子さんのプライバシーを侵害するようで気が引けて」

「調べられて困るような言葉を口にするほど、浅慮な人間ではないつもりだけれど、キミの心遣いと受け取っておこう。それに高松くんは・・・・・・」


 薔薇子が何かを言いかけたところで、目の前にエスプレッソが置かれた。


「お待たせしました。エスプレッソです」


 先ほどまで高松を茶化していた人物とは思えないくらい、落ち着いた色気のある声で二人に微笑みかけるマスター。

 小さなカップの中で、香ばしさと泡が踊っている。たとえば、激怒している人間が目の前にいたとしても、このエスプレッソの香りを嗅いだだけで、落ち着かせることができるだろう。それほどリラックスを誘うカップだった。

 続いてカップの隣に、チーズケーキが並べられる。二つの色の違いが、相対美を作り出していた。


「ごゆっくり」


 マスターはそう言ってから、エスプレッソマシンの清掃を始める。

 目の前に商品を並べられた薔薇子は、その時間を慈しむように薄く微笑んでいた。


「これは想像していた以上に美味しそうだね。それじゃあ、頂こうか高松くん」

「そうですね。話は食べてからでもいいですし」

「真実よりも優先されるものはないけれど、この場に限りエスプレッソとチーズケーキに勝るものは・・・・・・」


 高松には、甘味への期待に胸を膨らませる薔薇子しか見えていない。そんな状況で、再び薔薇子の言葉は遮られる。


「マー君! どうしたの、マー君!」


 女性の声が店内に響いた。その瞬間、全員がテーブル席の方に視線を向ける。


「マー君!」


 先ほど映画の話をしていた女性は、椅子を倒す勢いで立ち上がり、胸を押さえ机に突っ伏す男性に声をかけていた。


「うぐ・・・・・・がっ」


 心臓から声にならない音を吐き出す男性は、ひどく痙攣しており、口の端には泡のようなものが付着している。エスプレッソの泡とは違い、濁った泡だった。命をすり潰し絞り出したかのような泡は、消えずに机の上に流れ出る。


「マー君!」


 女性は何度も悲鳴のような声で男性を呼ぶ。当然、マー君からの返事はない。ただ嗚咽のような痛々しい声を漏らすばかりだ。

 店内中に息苦しい空気が充満する中、誰よりも先に動いたのは高松だった。


「ど、どうしたんですか!」


 高松に声をかけられた女性は、不安に満ちた表情で縋るように答える。


「いきなりマー君が苦しみ出して! マー君、どうしたの!」


 今わかるのは、カップルで座っていた男性が苦しみ始めたことだけ。それも尋常ではない苦しみ方で、だ。

 慌ただしい中、高松はカウンター側に振り返り、マスターに視線を向ける。


「マスター、とにかく救急車を」

「あ、ああ、救急車やな。わかった」


 戸惑いながらもマスターは、店の奥に設置してる固定電話へ進んだ。

 マスターに指示を出した高松は、カップルがいる机に近づき、男性の肩に手を伸ばす。

 すると背後から、鋭い薔薇子の声が飛んできた。


「触れるな!」


 その瞬間、時間が切り取られたかのように高松は動きを止める。

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